第14話 距離

 本日二度目の入浴のために私は洗面所に来ていた。

 まずはメイクを落とし、憑いている『さながら誘』も落とさなければならない。

 私は女装さえすれば、一人称もさることながら、振る舞いさえ女の子になるように躾られてしまっていた。

 葵の指導の賜物であるが、男としては褒められたものではない。

 家族に理解があって良かった。

 というより、家族ぐるみで行われているので是非もない。

 鏡の前に立ち、結ばれている髪を解こうとして、躊躇した。

 折角葵に仕上げてもらったのに、一時間足らずで崩してしまうのは忍びない。

 名残を惜しむように、鏡に自身の姿を映し、しばし佇む。

 本当に……綺麗だ。

 これが自分の姿だなんて。

 うっとりと見つめていると、鏡の中の私も、蕩けたような笑みで見つめ返してくる。

 ヤバいなぁ、完全にナルシストの行動だ。

 しかもそれが女装姿だなんて。

 徐々に赤くなっていく顔を見て、ますます羞恥が増していく。

 記念に撮っておこう。

 私は髪型が映えるように、Vサインをして鏡に向かって写メを撮った。

 我ながら良い出来栄えだと思う。

 若干顔の赤みが残っているけど。

 葵への感謝を込めて、その画像をWriterにアップした。

『今日はやらかしてしまいました』

 とメッセージを添えて。

 途端に騒がしくなる我がスマホ。

『今日も、の間違いやろ』

『美しすぎてヤバい』

『女神がいる』

『おかずたすかる』

 次々にリプを示す通知に苦笑し、私はメイクを落としにかかった。

 湯船に浸かり、染み渡る温かさに息を吐く。

 顔をマッサージした後、そのまま先程のやらかしを思い出し手で覆った。

 相談内容を相手方にまで公開するという愚行。

 直前までは覚えていたのに。

 あまりの恥ずかしさに身悶えする。

 まだグルチャに目を通していないが、自身のいじられている姿が幻視された。

 しかしものは考えようで、女子会でたどたどしく様子を窺うよりかは、事前に悩みを伝えていた方が気疲れしなくて済む。

 案外グルチャを覗けば、俺の悩みなんて取るに足りないと、笑い飛ばされているかもしれない。

 きっとそうだ……。

 願望にも等しい祈りを込めてそう呟く。

 風呂から上がり、青の上下の寝間着に着替えた。

 リビングでアイスコーヒーを作り、ソファにぐでんと寝転ぶ。

 はぁ、至福。

 今日のコーヒーは何故か苦いけど。

 時刻は22時45分。

 配信の日は興奮がすぐに冷めず、心地良い余韻が残りなかなか寝付けない。

 両親は既に寝たのだろう。

 葵は……。

「おにーちゃん、お疲れ様!」

 やはり寝てなかったか。

 思いやりの塊のような妹だ。

 必ず労いにくると思っていた。

 俺が身体を起こすと、飛びつくように太腿にお尻を乗せ、正面から抱き着いてきた。

 そのまま腕を背中に回し、胸に顔を擦り付けてくる。

 すん、はあ、と息が荒いのでくすぐったい。

「今日もフォローありがとうな」

 俺は葵の髪を優しく撫で、背中をさすってやる。

 葵はたまに甘え坊が顔を出す。

 何処でスイッチが入るのだろう。

 しばらく好きにさせてやると、ようやく落ち着いたのか、ぷはぁと胸から顔を上げた。

「お風呂に入るの早いよ! おねーちゃんの状態で甘えたかった!」

 そんなことを言われましても。

 すぐ寝れるわけではないけど、寝れる状態にはしておきたい。

 葵が一旦甘え出すと、いつ終わるか分からないからなぁ。

 「また今度……」

 「じゃあ週末! 女子会のあと!」

 随分食い気味で来るな……。

 その日なら配信の予定はない。

 女装は確定してるわけだし、たまには存分に甘えさせてやるか。

「分かったよ。葵のためにおねーちゃんのままでいてやるよ」

「ほんと!? 絶対だからね!」

「はいはい」

 頭を撫で撫ですると納得したのか、葵は俺の太腿から下りてくれた。

「ところで、おにーちゃん、グルチャはまだ見てないよね? 既読付いてないし」

「あー……見たいような、見たくないような。先延ばしにしてる状態だな」

「ふふっ、あの人たち、今はおにーちゃんの写メに夢中だよ」

「さっきアップしたやつか?」

「そ。家宝にするレベルで愛でてるね」

「……ログを掘り返すのが恐ろしいよ」

「どうせすぐに眠れないんだし、しっかり見てあげて。おにーちゃんの悩みなんて吹き飛んじゃうから」

「分かったよ……」

「じゃあ私はそろそろ寝るから。おやすみ、おにーちゃん」

「あぁ、おやすみ」

 そして一人になったリビングで、俺は恐る恐るグルチャのログをスクロールさせていく。


 のぞみん:もう見ました? えげつない破壊力です……

 しおりん:目の前にいたら襲っちゃうよね

 みどりん:早速待ち受けにしたのはいいけど、これ見てるとムラムラしてきちゃう

 さおりん:お姉様が輝きすぎて辛い

 のぞみん:このはにかんだ笑みがなんとも

 しおりん:顔が上気してるみたいで色っぽいよね

 みどりん:くちびる美味しそ~

 さおりん:おねだりしたら吸わせてくれるかもですね!


 好感触……でいいのかな。

 若干怪しい気配がするけど。

 推しの配信者を温かい目で見る……というより、何処か性的な匂いが……。

 いや、やめておこう。

 女の子だけの会話を覗き見してるというだけでもドキドキするのに、不埒な考えを混ぜるとろくなことにならない。

 これは甘い蜜のように見えてその実、獲物を引き寄せてドロドロに溶かす毒の類だ。

 見る権利は与えられているが、場合によっては、見ないという強い意志が必要かもしれない。

 それより、俺の悩みにどう答えているかだ。

 無理やり思考を閉じて、ログをスクロールさせて遡っていく。


 さおりん:お姉様ってこんなことで悩んでたんですね


 あった。

 悩み相談をしていた時間と一致している。


 しおりん:女子会ってネーミングに萎縮してるんだろうね

 みどりん:実際はただのお食事会の延長なのにねー

 のぞみん:初の顔合わせにドキドキしているのはこちらも同じですから、緊張することないのに

 さおりん:初心というか、でもそこが可愛らしいというか

 みどりん:会話をもたせる自信がないって……そんなのいくらでもリードしてあげるし

 しおりん:お姉様さえいてくれれば話なんて尽きないし……見てるだけでも飽きない自信があるわ

 のぞみん:見てるだけでも色々満たせそうですよね笑

 しおりん:ほんそれ

 さおりん:これだけ綺麗な顔をしてるのに、私たちに萎縮するですって?

 みどりん:こっちの方が緊張するわ!


 俺の悩みというのは彼女たちからすればつまらないもので。

 仲良くなりきれていないので会話を続ける自信がない。

 緊張して上手く話せない。

 共通の話題を見つけられない。

 みんな綺麗なので萎縮してしまう。

 女子会のシステムが分からない。

 まるでコミュ障がいじけているだけで、足りないのは勇気だけで……。

 何だろう。

 この温かさは。

 彼女たちは本当に『さながら誘』が好きなんだ、と実感してしまう。

 悩んでいるのが馬鹿らしくなる。

 『さながら誘』との距離が、限りなくゼロに近いのだ。

 俺が知らなかっただけで、ずっと近くに感じてくれていたのだろう。

 俺が戸惑っていたのは、おそらく、心の距離を測りかねていただけで、悩みとはつまり言い訳で……実際は、踏み出すかどうかだけの話で。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る