第9話 紛い物

「ただいま」

 岩島さんと別れ、ようやくの帰宅。

「おにーちゃん、遅かったね」

 リビングの扉を開けると、葵がソファで寝転び、ファッション雑誌を片手に挨拶を返してくれた。

「クラスメイトのお手伝いをしてたんだよ」

 冷蔵庫から取り出したオレンジジュースをコップに注ぐ。

 まだ梅雨前ではあるが、気温は徐々に上がってきている。

 少し歩くだけでも喉がカラカラだ。

 岩島さんの静かな怒りに震えたのも要因の一つかもしれないが。

 一気に飲み干し、人心地つくと葵の正面のソファに座った。

「相手は女の子?」

 葵は雑誌を脇にやり、姿勢を正して聞いてくる。

「同じクラスの岩島さんだよ」

 あぁ、あの人か。

 葵はそう呟くと、「分かってると思うけど、好きになったりしてないでしょうね」目を細めて問い詰める視線を向けてきた。

 高校生だというのに恋愛の一つも自由に出来ないなんて。

 内心ではそう思いながらも。

「そういうのじゃないよ。みんなに公平に、だろ」

「分かってるならよろしい!」

 俺は『さながら誘』のロールプレイの一環として、恋愛禁止令を出されている。

 魅力的な女の子は周りに幾人かいるが、好きだという気持ちは抱いていない。

 禁止令が心を制限しているのか判断はつかないが、そもそも、俺は男として見られてないんだよな。

 一線を引いて、天然記念物として扱われているのが分かってるいるからこそ、恋愛感情の類がわかないのかもしれない。

 だからといって、今の状況がマイナスであるとは思わない。

 まだ意識しないと無理だけど、人に向ける気遣いや思いやりというのは、いずれ自分に返ってくるものだ。

 それを期待するほど浅ましい考えは持っていないが、南方さんや下村君のように、まわり回って感謝の気持ちを伝えられることもある。

 それだけで心が温かくなる。

 自分の行いに自信が持てるというものだ。

 配信者としての繋がりも、この性格というか、行動方針のお陰で、思わぬ縁が幾つか出来た。

 恋愛を除けば、プラスに働くことの方が多い。

 収益という打算的な面から始めたことが、いつしか心を豊かにし、生活を充実させているのは驚きだ。

 これが自然と湧き出た優しさの結果。

 であるなら納得も出来るものの、実際のところは、付け焼き刃の延長といった感覚。

 身体に機械を埋め込んだような、自分の力として正しく認識し辛い状況といえば少しは伝わるだろうか。

 それでも、馴染みつつある。

 いつか違和感を取り除けるほどに、自然と行動に起こせるようになりたい。

 それが偽らざる本心だ。

 長いようで短い高校生活。

 築いた信頼関係はいずれ、いずれ社会人になってまで続くかもしれない。

 努力を惜しむ必要はないはずだ。

 何故俺が女装を、なんて駄々を捏ねてた頃が懐かしく感じる。

 葵に押し切られた感はあるが、良い転機だった。

 性格を変えるなんて思い切ったこと、やろうと思ってやれることではない。

 信頼や感謝を寄せられることを、自分には何処か縁遠いものだと感じていたのに、それをいつしか受け入れてしまっている。

 変われば変わるものだ。

 葵には感謝の念が絶えない。

「今日は配信日じゃないから良いけど、明日は早く帰ってきてね」

「あぁ、分かってるよ」

 だから今となっては、進んで協力している。

 葵のためにも、そして自身の成長にも繋がると信じて。

 食事を済ませて入浴。

 美容マッサージ。

 そしてメイクに機材のチェック。

 配信の進行順を抑えたりとやることは多い。

 ほとんどを葵任せにしているだけに、せめて早く帰宅して時間に余裕を持たせないとな。

「ところで、登録者数なんだけど」

 手元にスマホを引き寄せた葵。

 おそらく、『さながら誘』の管理画面を操作しているのだろう。

「伸びた?」

 顔を顰めたところから察するに、芳しくはなさそうだ。

「現在45万と3,241人」

 それでも、以前に見た時より数は増えている。

 葵からすれば伸び方に不満といったところか。

「そうか、もうすぐだな」

 葵の焦れる気持ちも分かる。

 届きそうで届かない。

 もどかしいものだ。

 とはいえ、始めた当初に比べれば、随分安定したものだ。

 容姿の問題はともかく、キャラに芯が通っていなかったせいだ。

 『さながら誘』を演じきる覚悟。

 それが足りていなかった。

 唐突に女性を演じろと言われても土台無理な話で、口調を女性的にするでなく、丁寧にすることで落ち着いた。

 そうすることで、落ち着きのある女性と見られたのは怪我の功名といったところか。

 とはいえ、レスポンスにまごついてるうちに、包容力を示すどころか、慰められてばかりだったのは苦い記憶だ。

 そんな昔というほど前の話ではないことを回想していると、葵から爆弾発言がもたらされた。

「言ってなかったけど、週末にさ」

「うん」

「人に会ってもらうから」

「誰と?」

「私の友達と」

「いいけど……なん……」

「女装した姿で」

「……は?」

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