第8話 坂を下って

「岩島さんの家ってどの辺だっけ?」

 お互い徒歩通学である。

 徒歩ということは、ここが地元であるか、電車通学だということだ。

 俺の家は坂を下って駅へと向かう途中にある。

 地元で一番近い高校を選んだ結果が、峯高に通う理由である。

 しかし、岩島さんとは中学は別だ。

 おそらく電車通学なのだろう。

 と思いきや、返ってきた答えは想像したものと違っていた。

「坂を下りて、駅に向かう道を途中で左に折れた辺りだよー」

 近いな。

 俺の家からそう離れていない。

「もしかして、同じ中学だった……わけないよな?」

 さすがにこんなに可愛い子を見落とすはずがない。

 もしかすると、外見が変わったとか?

 今よりもっと幼く、高校になって大きく変化した可能性も……。

 いや、ないな。

 そんなに幼ければ尚更覚えているはずだ。

「叔母さんの家がその辺にあって、下宿させてもらってるんだー」

 なるほど。

 知らないはずだ。

 自身の記憶に自信がなくなるところだった。

「そういうことか」

 高校で親元から離れて生活しているなんて。

 寂しさを感じさせない明るい性格だから気付けなかったけど、彼女なりに大変なこともあるのだろう。

「叔母さんの所では良くしてもらっているし、従兄弟のおねーちゃんも優しくしてくれて、寂しくないよ?」

 心配そうにしていたのを見抜かれたようだ。

「それなら良かった」

 クラスメイトとはいえ、聞かなければ知らないことはまだまだ多い。

 変に誤解させかねないし、言い辛いことだってあるかもしれない。

 それでも、知ったからには助力を惜しむ気はない。

「困ったことがあれば言ってよ? 家も近いみたいだしさ」

「え?」

 岩島さんの寂しさを勝手に想像し、親身に接する俺に戸惑ったのか。

 いや、本当に寂しく思うこともあるのかもしれない。

 彼女の明るさは、寂しさの裏返しという側面も持っている、というのは考え過ぎだろうか。

「頼りにしていいの?」

 何にせよ、頼りにされて断るなんてありえない。

 俺は優しく微笑んで言ってやった。

「力仕事以外なら!」

「……」

 一瞬だけ時が止まった気がする。

 我ながら、本音といえども情けない台詞を吐いてしまった。

 出来ないことは出来ないと突っぱねるのもこれ優しさなり。

 そんな持論を女の子に展開して理解を得られるはずもなかった。

 頼りにするどころか、失望されてもおかしくない。

 と思えば、岩島さんは満面の笑みを浮かべている。

「王子に筋肉ついたら困るから、それは大丈夫!」

「あ、そうなんだ……」

 男としての尊厳が容易く蹴散らされる。

 というほど、持ってないな、そんなもの。

 何処に置いてきたんだろう。

 筋トレをしたら取り戻せるのかな。

「筋トレは禁止ね?」

「あ、はい……」

 俺は考えていることが顔に出やすいのだろうか。

 ポーカーフェイスをもっと鍛え……。

「表情筋でも許せないからね?」

 そこまでか!?

 マッチョマンへの道は果てしなく遠い。

 玉子焼きの具体的な案を話しながら、二人でてくてくと坂を下っていく。

「牛乳を入れたり?」

「家庭によって全然違ったりするよねー」

 この話題、意外と盛り上がるな。

 あるあるネタを言い合う感じで、話が尽きなかった。

 しばらくそうして話していると、後ろからキキっと自転車のブレーキ音が聞こえた。

「よお、悠じゃねーか」

「おぉ、大介か」

 こいつの名は板橋大介。

 中学からの友達だ。

 短髪。

 爽やかな笑顔。

 身長は俺より低いが、なかなかのマッチョマンで、運動神経は抜群だ。

 家は駅向こうにあるので遠く、自転車通学をしている。

「下校デートってやつか? 岩島さん、こんちは」

「おひさし、こんちはー」

 二人は一年の時に同じクラスだった。

 目立つ二人なので、話す機会も多かったと聞いている。

「大介、これはデートじゃなくて、ボディーガードをしてるんだよ」

 か弱き妹を守る兄の図、見て分からんのか。

「ははっ! お前のその細い身体で、一体誰を守れるんだよ」

 ぐぬぬ。

 他の奴なら言い返したいところだが、大介とは圧倒的に筋肉量が違う。

 でも俺も男だ。

 女の子のためなら、いざとなれば身を投げ出し……。

「違うよ、私が王子を守るんだもん!」

「――!?」

「そっちかよ!」

 どうやら、岩島さんの見解では俺は守られる側だったようだ。

 こんな小さな女の子に守られる図とか想像したくない。

 せめて、前衛なしの二人とも後衛というスタイルはどうだろうか。

「私が守ってる間に王子はすぐに逃げるんだよ? 分かった?」

 後衛すら許されてないだと?

 しかも諭されているだと?

 これ以上俺のライフを削るのはやめて欲しい。

「悠、お前、女の子にそんなこと言わせていいのかよ? 何なら俺の通ってる道場に来るか?」

 ほぉ、魅力的なお誘いだ。

 大介が通っているのは総合格闘技だっけ?

 男なら憧れるよな。

 練習はチョー厳しそうだけど。

 出遅れ感はあれど、今からでもまだ間に合うよな。

 俺だって女の子を守る最低限の力は身に付けてみた――。

 

 ごりっ。


 ――何の音?

「板橋君……王子に筋肉をつけさせるようなことは……私、絶対許さないから……」

 岩島さんの拳から異音が発生している。

 イオンとか優しそうなものじゃない。

 拳を握りしめる音だった。

 そんな音、どうやったら出るの?

 岩島さん、目が虚ろで怖いです。

「お、おぅ、すまんかった」

 大介をビビらせるとかどんだけだよ。

「俺、道場に顔を出すからこれで」

「お、おう、気を付けてな」

「またね……板橋君……」

 大介は額に冷や汗をかきながら、慌てるように去っていった。

 威圧だけでこれとか。

 岩島さんなら本当に俺を守れそうな気がした。

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