鬼のお嬢は清楚枠?



 雑談配信から約二日程たった後の水曜日。

 朝学校に行く雫を見送ってから、儂は今日の打ち合わせの準備を進めながら椛先輩のASMRをずっと聴いていた。

 昨日の夜から暇があったら聞くようにしているあまりにも質の高いその音声動画の数々に、何度か寝落ちしかけたり、子供に退化しかけたりと色々あったが、彼女のASMR動画を打ち合わせが始まる午後五時までに聴き終えることが出来たのだ。

 代償としてかなり耳が敏感になり、扇風機の風が当たるたびにひやっとしてしまうようになったが、それ以外は問題なく、準備も終わったのであとは時間までゆっくりするだけ……とそう思いながら、もう夏だしアイスでも食べながら待つ事に――――。 


「ッいひっ…………座敷童か……最近見てなかったけど急に悪戯してくるんじゃないぞ」

「はーい! じゃあまた遊びに行ってくるー!」


 甘味を食べようとぼけっとしていた時に、急に耳に吹きかけられるのは少し生暖かい風。

 変な反応をしながら飛び上がってしまい、犯人を捜してみれば俺の真後ろに角を持ったおかっぱの童女がいた。

 急な悪戯を叱ればすぐにそうやって返事をした後で、彼女は部屋にあった毬をもってまた外に飛び出してしまった。

 半月ほど姿を現していなかったこの妖怪は、こんな風に偶に悪戯をするために帰って事があるで慣れてはいるが……今の耳にはやって欲しくなかったなぁ。


「というか…………やばい、まじで暇じゃな――とりあずエゴサでもするかのう……」


 Vtuber生活が始まって一番変わったかもしれない日課になったエゴサーチ。

 次の配信の為になるし、配信の感想が楽しみなこともあって、もはや完全に日常の一部になったその行為。

 そういえばよくエゴサする有名人の話を聞くことがあったし、その時はへー時代の流れを感じるな―と……ぐらいにしか思ってなかったのに、今ではまさか自分がエゴサすることになるとは……なんか凄い。


雪椿【鴉の母親】@新刊ネットで発売中(豊作)@yukitubaki@syota

椛さんとうちの子がコラボした時の奴絵で再現したよ

可愛いでしょ 

#浮夜鴉

#丑三つ時の絵巻物


 とりあえず……といった感じで、自分が用意したハッシュタグで検索してみれば、見慣れた名前の方がなんか月曜日の配信の一つのシーンを漫画にしていた。

 先輩の要素を感じられる鬼にされた俺が、顔にマと書かれた人間に囁いているという感じの漫画なのだが、それには昨日やった台詞のみではなく……その続きが描かれていて、なかなかの業を感じるような仕上がりとなっていたのだ。

 そしてそのツイートのかなりのコメント数に何が書いてあるか気になって、そのままリプ欄を開いてみれば、そこにはこんな風な光景が広がっていた。

 

雪椿【鴉の母親】@新刊ネットで発売中(豊作)@yukitubaki@syota

椛さんとうちの子がコラボした時の奴絵で再現したよ

可愛いでしょ 

#浮夜鴉

#丑三つ時の絵巻物


阿久良椛【妖ぷろ二期生】@tugumin_youpuro

返信先:@yukitubaki@syotaさん


妾にあとでくれると助かるのだ!


源鶫【妖ぷろ三期】@tugumin_youpuro

返信先:@yukitubaki@syotaさん

最高です! もっと二人のやつを描いてください!

#浮夜鴉       


九十又仙魈【妖ぷろ所属/二期生】@nyan.nyan_youpuro

返信先:@yukitubaki@syotaさん

金は河童が出すから にゃーに送るにゃ! 

#丑三つ時の絵巻物

#胡瓜畑   


依童神虎@胡瓜栽培中@ilove_cucumber

返信先:@nyan.nyan_youpuroさん

なんか俺、巻き込まれてるんだが……仕方ないこうななったら……猫、お前に胡瓜味のビール飲ませるぞ?


九十又仙魈【妖ぷろ所属/二期生】@nyan.nyan_youpuro

返信先:@ilove_cucumberさん

そんな毒物飲みたくにゃいな! スピリタス流し込んでやるにゃんよ!   


 リプ欄にあったのは、二期生組と同じ男性ライバーである依童さんのやり取り。

 この三人がこんな風にリプ欄に集まる光景はなかなか見れないので、俺は無性に感動してしまった。俺からの話題で、こんな風に推し達のやり取りが見れるのは最高なのだが……胡瓜味のビールってなんなんだろう。こういうやり取りは見てて楽しいし嬉しいのだが、なんというか胡瓜味のビールが意味不明すぎて、なんか混乱してしまう。


「……あ、切り抜きあがってる――ちょっと見てみよう」


 気になってしまったので依童神虎さんの名前で切り抜き動画を調べてみれば、そこには丸々一本の胡瓜がビールの中に沈んでいる一層目立つサムネの動画があった。

 なにか開いてはいけないような圧を感じながらも、それを開くことにして視聴してみれば……べろんべろんに酔った様子の神虎先輩が胡瓜を擦り下ろす音と、それがビールに入っていく音が流れてきた。

 それを飲みながら、「あ? 胡瓜は万能なんだぞ!?」と叫ぶ先輩が印象的で、たった数分の動画なのに、グランドクロス級の衝撃に儂の頭は襲われた。


「……俺ビール苦手だけど、なんかこれなら飲める気がしてきたな……胡瓜って万能らしいし」


 そしてあまりの胡瓜に対する熱弁に……どういう訳か、これもしかしたら美味しいのではないか? という結構やばめな思考に陥りかけたりしてしまった……というかそんな言葉が無意識に出てしまった。

 やっぱり胡瓜大戦の名は伊達じゃないなと、ちょっとよくわからない戦慄を覚えならが時間を潰していると……いつの間にか、切り抜き動画を見続けていたせいで集合時間が迫っていた。


「あれ、まだ明るくないか……今、夏じゃん」


 今は八月、つまり夏真っ盛りで日が暮れるのが遅い。

 そのせいで時間の感覚がおかしくなっていたのか、今の時刻は午後の四時。

 全然日が昇っているが待ち合わせの時間はもうすぐで……正直にいうと今から全力で空飛んで、本社にいかないと間に合わない感じだ。

 そんなこんなで私服に急いで着替えた俺は、メイド服ではないことをちゃんと確認してから妖ぷろの本社がある秋葉原へと飛ぶことにした。


<24 + 【ASMRコラボ】

妾:先に本社で待たせてもらいますね 15:30

社畜:集合場所は二階の社員食堂です夜神楽さん 15:50

既読2:今出ました。すぐに向かいます! (`・ω・́)ゝ16:05

奴隷:浮世鴉殿、間に合いますか? 16:11

既読2 今、空――あと三十分あれば多分着きますので安心を 16:14


「よし間に合ったぁ!」


 急いでいたせいで途中で人間にばれかけたりしたが、なんとか俺は五時前に秋葉原の妖ぷろ本社の上空にやってくることが出来たのだ。

 とりあえず近場の公園にでも人にばれないように降りた俺は、空を飛んでいる時についたゴミなどを払い妖ぷろ本社に足を踏み入れて、二階の社員食堂に向かうことにした。


「あの……浮世鴉さんであっていますか?」


 食堂に向かう途中、遅れたし何か飲み物でも買っておこうと思った俺が自販機前にいると、誰かが声をかけてきた。聞きなれないはずだが、何故か染み付いたようなそんな声……なんでだ? と思ったが、この少しぞくぞくする様な声には心当たりがあった。


「そうですが……貴方は椛先輩ですかね?」


 声をかけてきたのは、七尾と同じ大和撫子を体現したようだが、彼女にはない清楚な雰囲気を纏う濡鴉の髪をした女性。雰囲気以外は七尾に似てる彼女は、何故かこの場で着物を着ていて、場違いなはずなのにこれが当たり前であるような印象を持たせてきた。

 身長は俺より10㎝程小さく、見上げるようにこちらをみて頷く目の前の女性。

 半信半疑で訊いてみたがこの様子だとあっているようだな。


「あ、すいませんこういう時は私からですよね……妖プロ二期生の阿久良椛――改め早良理沙さわらりさと申します」

「丁寧にありがとうございます。妖ぷろ三期生、浮世鴉こと夜神楽紡です。今日はよろしくお願いします先輩」


 互いに自己紹介を済ませたので、話題を続けようと俺は何か話そうかと思ったが……なんというか、上手く言葉が出なかった。

 こうなった理由としては、椛先輩が配信時とかなり違う様子だったからっていう単純なもの。普段の元気で活発な様子の配信姿からは想像できない程に清楚な雰囲気を纏う女性……それだけなら問題なかったが、昔どこかで会ったことがある様な感じが彼女からはしてしまい、どうにもなんか話しづらかった。


「あの……とりあえず食堂行きませんか?」

「そうですね、皆様待っていますし行きましょう。あ、私飲み物半分持ちますよ」


 そう言ってとても自然に腕の中にある飲み物を抜き取った彼女は、先に食堂へと向かってしまった。そんな彼女に何か言いようのないやり辛さを感じながらも、今は考えても仕方ないという風にちょっと逃げた俺は、彼女の後に続くことにした。


「お嬢様、その方が?」

「ですね、浮世鴉である夜神楽さんです。あの夜神楽さん、彼女は私のマネージャーの――」

「お嬢様流石にこういうのはボクから……初めまして浮世鴉殿、ボクは早良お嬢様の侍女、稗田甲山ひえだこうざんという者です。以後お見知りおきを……」


 社員食堂でそんな風に自己紹介してくれたのは、三白眼の長身の女性。

 175㎝はあろう彼女は、少しこちらを威圧するような感じで睨んできて、緊張のせいもあり失礼かもしれないが、なんというか蛇に睨まれた鴉みたいな状況だぁ……とそんな事を思ってしまったのだ。


「私の紹介は別に大丈夫ですねよね、夜神楽さん」

「ですね、もう何度も顔を合わせてますし大丈夫です社さん」


 話しかけてくれた社さんに正直助かったと思いながら、俺はマネージャーの二人組に買ったばかりの麦茶を渡して、第二会議室に移動することにした。


「それでは配信の内容を決めていくのですが、理沙さんはどういう内容でASMRを流していく感じだったのですか?」


 少し会議室で交流し場が温まってきた所で社さんが先輩にそんな事を聞いた。


「あ、そうですね……えーと、確か台本を作ってきたので……ちょっと待ってください」


 社さんに声をかけられた早良先輩は、ずっと持っていた大きい巾着袋からかなり分厚い四冊の本を取り出して、俺ら三人に一冊ずつ配ってくれた。

 あの本がよっつも入っているって事は結構重いと思うんだが……よく平然とした様子でいられたな。

 そんなちょっと場違いな事を考えながら俺はその分厚い台本を受け取った。


「説明させていただきますね。今回は浮世鴉さんの声の幅を活かした配信がしたかったのと……前回の配信で氷華さんに送ってもらった漫画を参考にした形で台本を作らせて貰いました。どうぞ目を通してみてください」


 そう言われたことで台本を開いてみたのだが……それにはこれでもか! というほどにびっしりと文字が並んでいたのだ。

 具体的に言えば、どこで何をするか、そして何の道具を使うか、このセリフのあとは何秒間を開けて喋るか、等々事細かに次にやる配信の詳細が書かれていた。


「シチュエーション的には、コラボを誘った時点で一応三つほど考えていたんです。ですが、あの雑談コラボで一緒にやった鬼の姉弟が忘れらなくてですね、ちょっと頑張って考えてみたんですよね」


 目を通してから俺は、頭の中でこの台本の中身を演じる自分を何度か想像する。

 四千文字はかるく書かれてであろうこの台本。かなりの拘りと熱を感じるこの一つの作品は、今まで彼女がやってきたASMRの経験を全て活かしたような物で、並々ならぬ想いを感じることが出来た。

 この中に詰め込まれた好きという感情。これが見たいという執念に近いナニカ。圧倒的な想像力から生み出されたコレを見るだけで想像できるような、拘りに拘った彼女の台本――――。

 それはどうしようもなく、演者である儂を刺激してきて……何よりこれに込められた癒したいという感情が、儂を本気にさせてくる。


「ちょっと拘りすぎちゃったのですが、夜神楽さんと社さんこれで大丈夫でしょうか? それと何か気になることがあったり、ここはこっちの方がやりやすいみたいな台詞があったら修正しますので、遠慮なく仰ってください。あ、甲山も遠慮なく言ってね」

「お嬢様、ボク的には問題は一切あるようには感じませんね……正直に言わせていただきますと、この場でこれを聴きたいと思うくらいには気に入りました」

「私はそうですね、いいとは思います。二人の視聴者層に刺さるような内容ですし、何より初めてASMR配信をする夜神楽さんにも分かりやすいように作られているので、私からはいう事がありません」

「よかったです! えっと、夜神楽さんはどうですか?」


 頭の中で演じていたせいで少し反応が遅れてしまったが彼女に送る言葉はもう決まっている。


「問題ありません、この内容で行きましょう。弟役というのはあまり演じたことがありませんが、完璧以上にあなたの弟になってみせます。多分演じればいい弟は、義理でいいですよね?」


 書き忘れていたのかは分からないが、この台本に並んだ台詞と注釈にある細かい拘りを見るに……今回儂が演じるのは僕口調の義弟系の鬼。


「はい義理の弟で頼みます……でもよく裏設定的に気づきましたね、これは正直私の嗜好を入れた感じで気づかれるとは思いませんでしたので、ちょっと驚いてしまいました」

「正直俺の願望もあったのですが、あっていたのならよかったです。それで改めて言わせてもらうんですが、この内容で配信しましょう。絶対にこれで行きたいです……正直なところ、ASMRをやった事がないので心配ですが、そこは何とかやらせていただきます。任せてください」


 今回のシチュエーション。

 それは鬼の姉弟が森に迷い込んできた人間に病んでしまうという、ちょと尖った内容でちょっと人を選びそうな感じがあるが……正直それは気にしてはいられないだろう。

 だって、期待された故に他人に用意された一級の作品の一役を任せられたという事が他の事をどうでもよくしてくれているからだ。

 推しに期待されている。

 浮世鴉の力を見てくれてか、重大な役を任せてくれている。

 そんな事を考えると、自然に体に力が入り……気づけば笑みを浮かべていた。


「やりましょう椛先輩……金曜日、視聴者方を沼らせる為に貴方の期待に応えてみせます」

「はいやりましょう――違うな、やるぞ親友。人の子らを妾等の虜にして骨抜きにするのだ」


 ここ数日で何度も聞いた彼女の別の声。

 配信状態に切り替わった彼女は、俺の笑みに返答としてか挑戦的な笑みを浮かべてきた。

 配信内でやる内容が思ったより早く決まったことでかなり時間が余った打ち合わせ。もう予定もなくなったから帰っていいことになったので、早く帰って練習しようと少しワクワクしながら俺は会議室から出ようとしたのだが……。 


「ではそのためにも今日から特訓ですね、この後時間ありますか? 忙しくなければ私の家に招待しようと思っていたのですが……」


 部屋から出るタイミングで、急に彼女がそんな事を伝えてきたのだ。


「――――え? あ、いいですよ」


 色々な事を断りなれていないせいか、反射的にその誘いを受けてしまったが……これはどういう状況なのだろうか? え、つまり……なんだこれ、なんで俺は推しライバーの家に誘われてるの? なんか色々ぶっ飛んでいないか、この状況?

 もう俺はどこからツッコんでいいか分からないぞ? 

 そんな言葉が頭に浮かび、反射的に口に出しそうになったがそれを寸前で止める。

 一度行くと言った以上、彼女の家に行くという事から逃げられなくなった俺は……頭痛と胃痛を感じながらそこで考えることを止めた。


 

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