未来を視る者 (1)

 翌日は週末で、授業が午前中しかない日だった。レーナもアビゲイルも昼食後は寮の自室にり、呼び出された時間までの空き時間で宿題をする。そして、少し早めに談話室に向かった。


 しかし談話室にたどり着く前に、ある問題に直面した。談話室への通路が封鎖されていたのだ。

 通行止めを示す柵が置かれ、柵の前には王宮で見るような衛兵がひとり、仁王立ちしている。とても素通りできる雰囲気ではない。あまりのものものしさに、レーナは息を飲んだ。足がすくむ。

 そんな友人をチラリと横目で見たアビゲイルは肩をすくめ、一歩進み出て衛兵に声をかけた。


「すみません、学院長から談話室へ呼び出しを受けています。通ってもかまいませんか?」

「失礼ですが、お名前をお聞かせ願えますか」

「二年生のアビゲイル・フォン・リヒベルクです」

「同じく二年生の、レーナ・フォン・レンホフです」


 レーナもあわててアビゲイルの横に並んで名乗る。衛兵は胸ポケットに入れた書き付けをチラッと確認してから、ふたりに向かって敬礼した。


「はい、伺っております。どうぞお通りください」


 衛兵が柵をずらしてくれたその隙間を通って、談話室に向かう。談話室の入り口もまた、何だか様子がおかしかった。いつもなら開放されている出入り口の扉が閉まっていて、ここにも衛兵がひとり立っている。先ほどと同じように衛兵に名を告げて、中に通してもらった。


 談話室の中もまた、常にない異様な雰囲気に包まれていた。

 まず、奥の図書室との間にある両開きの扉が閉まっている。そのせいで、談話室がいつもよりずいぶん狭く感じた。

 大人の男性が数人、部屋のすみに固まって座っているのもまた、常にはないことだった。レーナはその中に、見知った顔を見つけた。レンホフ家の執事長マルセルである。つい見間違いかとまじまじと見てしまったが、マルセルに間違いない。マルセルはレーナと目が合うと、サッと立ち上がってお辞儀をした。レーナも小さく手を振って挨拶を返す。しかしなぜマルセルが寮の談話室なんかにいるのか、さっぱりわからない。


 大人たちとは少し離れた場所に、ヴァルターとアロイスが座っていた。このふたりも呼ばれたらしい。レーナとアビゲイルに気づくと、ふたりは挨拶代わりに手を挙げた。すっかり心細くなっていたレーナは兄たちの近くのソファーに腰を下ろし、小声で話しかけた。


「ねえ。お兄さま、何か聞いてる?」

「いや。何も」


 兄の隣に座っているアロイスを振り返ると、アロイスは肩をすくめて首を横に振った。こちらも何も情報はないらしい。ほどなくイザベルと監督生のティアナが合流した。

 おしゃべりなどできる雰囲気ではないので、手持ち無沙汰だが静かに待っていると、やがて奥の図書室への扉が開いてハインツが現れた。


「ああ、そろってるね。こっちに入ってきてくれるかな」


 手招きされて図書室に入ると、長テーブルにはすでに数人が席についていた。その顔ぶれもまた尋常ではなく、部屋に入った瞬間にレーナはあっけにとられて目をまたたいた。


 召喚した本人である学院長がいるのはまあ当然として、なぜかレーナの父ヨゼフがいるし、長兄パトリックもいる。さらにジーメンス公エーリヒと、どうしたわけか国王リヒャルトまでいた。他に誰だかわからない壮年男性がふたりほど。アビゲイルとティアナの様子から察するにそれぞれの家族、おそらくは父兄であろう。

 これだけ国の要人がそろっているなら、寮内にしては異常なあの警備体制も納得ではある。談話室でマルセルの近くにいたのは、きっとこの要人たちの従者に違いない。


 室内にいる人物たちをそっと観察していたレーナは、国王の手元に何やら見覚えのあるものが置かれているのに気づいた。不審に思い目をこらせば、アビゲイルが昨日ハインツに貸したはずの「レーナの夢記録」ではないか。思わず悲鳴をあげそうになったが、すんでのところで飲み込んだ。なぜあんなものが国王の手元にあるのか。しかもまるで読み込まれた資料のように、数か所に紙片が挟み込んである。


 ハインツにうながされてレーナたち学生がテーブルにつくと、国王が口を開いた。


「急な呼び出しで、すまない。だが昨日、国政の一大事となりかねない出来事が学院内で起きたと、ハインツから報告があってね。関係者である君たちに、協力を要請したいんだ」


 あの本を手にして語る「国政の一大事」とは、いったい……。レーナはめまいがしそうになって、額に手を当てた。


「あらましはハインツから聞いているが、事実確認をしたい。まずは、ティアナ・フォン・ライベルク嬢」

「はい」

「これから尋ねることが、事実と相違ないかを答えてくれたまえ。内容の是非については、一切問うつもりがない。事実かどうかだけ答えてほしい。いいかな?」

「はい」


 国王は手元の本を広げ、レーナとハインツの逢瀬の噂について書かれた部分と、ティアナがレーナを呼び出して忠告する部分を読み上げた。ティアナは硬い表情で聞いていたが、自分の話した言葉がそのまま読み上げられると驚いたように目を見張り、疑わしそうにレーナのほうを見やった。ティアナと目が合ってしまったレーナは、焦って首を横に振る。何を否定しているのか自分でもよくわからないが、とにかくレーナのせいじゃない。たぶん。


 読み終わると国王は、ティアナに尋ねた。


「どうかな? 事実に相違ないかい?」

「はい。相違ありません」

「そうか。ありがとう」


 次いで国王は、昨日の談話室での出来事について書かれた部分を読み上げた。イザベルが談話室でレーナを押さえつけて「助けて!」と悲鳴を上げるレーナの髪をひとふさ切り落としたが、駆けつけたアロイスがはさみを取り上げ、レーナを保護してなだめた、というところまで読み上げてから、レーナとイザベルとアロイスに対して同じように尋ねた。


「どうだい? これは実際に起きたことかね?」

「はい……」

「そうですね」


 痛みをこらえるような顔をして肯定するイザベルと、まずいものを飲み込んだような顔でうなずくアロイスを見て、事情を知らないティアナはギョッとした表情になる。その一方で大人たちは、イザベルの親であるジーメンス公を含め、顔色を変えることなくその場を見守っていた。

 自分も返事を求められているとわかってはいたが、レーナにはどうしても国王の問いに対して肯定の返事ができなかった。


「あの、でも……」

「うん? 何か実際には起きていないことが含まれていたかい?」

「いえ、そうじゃないけど、違うんです」

「何がどう違うのかな?」

「ええっと……」

「すまない、意地悪だったね。こう言いたいのかな? 事実ではあるが、真実ではない、と」


 自分ではうまく言葉を紡げずにうつむいていたレーナは、言いたいことを国王リヒャルトが的確に言葉にしてくれたことでパッと顔を上げ、「そうです」と大きくうなずいた。その様子を見て、リヒャルトは表情をやわらげる。


「我が国の予言者があなたのような人で、本当によかった」


 予言者? ────国政の長たる人物の口から出たとはとても思えない非科学的な言葉に、レーナは何と返したらよいのかわからなくなって、ただ目をまたたかせた。

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