そっと愛でる会 (7)

 十四歳になるとレーナは王都に戻って王立学院に入学した。

 家庭の事情により、というか両親の伝達ミスにより準備学校へは行かなかったが、母の手配した家庭教師と祖父母から十分な初等教育を受けていたため、入学試験でも特に困ることはなかった。

 ただしその歳まで集団生活を経験していないせいか、よくも悪くもどこか幼さが残っていることは否めない。


 寮に入った初日に見かけたイザベルは、四年前とはまるで別人のようだった。もともときれいな女の子ではあったけれども、光り輝かんばかりのたおやかな美少女に変貌を遂げていた。中性的な雰囲気はどこにも残っていない。たとえ少年用の乗馬服を身につけたとしても、王子さまのように見えることはもうないだろう。

 気後れしつつも、寮の廊下ですれ違ったときに声をかけた。


「イザベルさま、お久しぶりです。レーナです」

「まあ! お久しぶりね」

「あ、そうだ。ご婚約、おめでとうございます」

「ええ、ありがとう」

「神々しいくらいにきれいになってて、びっくりしちゃいました」

「ふふ、お上手ね。ありがとう。いつまでもお転婆娘ではいられないから、ハインツさまにふさわしくありたいと努力はしてきたの」


 イザベルはレーナに身を寄せると、声を落とした。


「小さい頃はわたくしのわがままで振り回してしまって、ごめんなさいね」

「え?」


 これっぽっちも振り回された記憶のないレーナは、突然の謝罪に戸惑った。


「厚かましいお願いだとは思うのだけど、兄の服を拝借して外を駆け回っていたあの頃のことは、できることなら記憶から抹殺してくださるとうれしいわ……」

「あー。あれ、アロイスさまのだったんですね。わかりました、忘れます。はい、もう忘れました。大丈夫です」

「あらためてお友だちになってくださるかしら」

「もちろんです!」


 互いに手を取り、微笑み合ったふたりだったが、残念なことに学院生活では以前のように親しく付き合うことはなかった。イザベルには準備学校でつちかった華やかな交友関係があり、その輪に入って行くのはなかなか勇気のいることのようにレーナには思われたのだ。その点、寮で同室となったアビゲイルはレーナと同じく準備学校を飛ばして学院に入学してきたくちで話も合い、一緒にいて気楽だった。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「────と、そんなわけで内緒のお話なの」

「なるほどねえ。わかった、誰にも言わないわ」

「ありがと」


 レーナの長い内緒話が終わると、アビゲイルはからかいを含んだ笑みを浮かべてじっとレーナを見つめた。


「む。なあに、アビー? 何か言いたいことがありそうね?」

「や、別に。もとは同じお転婆でも、今となっては全然違うなあと思っただけ。片や淑女、片や子猿だもんね」

「ちょっと!」


 枕を投げて抗議するレーナに、アビゲイルは笑いながら「ごめんごめん」と謝る。


「ちなみに、小さい頃はイザベルさまのことを何てお呼びしてたの?」

「えっとね。ベルちゃま……」

「ぶふっ」


 アビゲイルは思わず吹き出して「それは確かに、この歳になると使えない愛称よね」と笑いころげた。笑われてムッと口をとがらせていたレーナも、やがて釣られて笑ってしまった。


「アレも最初は、完全に身内だけだったのね」

「というか、アビーがいなかったらずっとそのままだったんじゃないかなあ」

「そうなの?」

「うん」


 アレこと「イザベル嬢をそっと愛でる会」が招待制の同好会として発足したのは、レーナが学院に入学後のことである。


 同じ寮住まいになったのをよいことに、ハインツはそれまで以上にレーナに絵をねだるようになった。とりわけ門外不出にしている「タロットシリーズ」がお気に入り。

 「タロットシリーズ」はタロットカードを模したシリーズで、寓意画にイザベルやその周辺の人物を登場させている。たいていのカードにはイザベルが登場するが、イザベルをモデルにして描くには忍びないモチーフ、たとえば「吊された男」には兄ヴァルターが描かれていたりする。さりげなく兄の扱いがひどい。

 そのシリーズは手元に残したいから誰にもあげないと伝えても、しばらくするとしれっとまたねだる。


 何度目かでうんざりして「絵は手元に残して、あげるための複製が作れたらいいのに」とアビゲイルにこぼしたとき、彼女はさらりと「作れるわよ」と返した。実家が商会を営む関係で印刷工房とも取引きがあり、アビゲイルはそうしたことにも詳しかった。


 彼女によれば、費用を度外視するなら複製を作ることは可能だと言う。職人に依頼してレーナの原画をもとに印刷用の凹版を作成すればよい。それを使って印刷すれば、何枚でも複製可能というわけだ。たった一枚を印刷するために版を作るなんて、ばかばかしいほど高くつくけれども。


 しかし、その話にハインツが食いついた。いつの間にやら国王夫妻とジーメンス公夫妻が版の作成費用を負担すると話をつけてきただけでなく、アロイスまで巻き込んで「そっと愛でる会」の原型を作り上げてしまったのだった。


 そして版権を持つレーナを会長、印刷工房への発注窓口をつとめるアビゲイルを副会長、活動費用の支援者である親世代の窓口としてアロイスを据え、言い出しっぺのハインツ自身は労せずして欲しいものが手に入る名誉会員というおいしい立場に収まっていた。


「さて、そろそろ点呼の時間ね。明日の準備をして、今日は早く寝ましょうか」

「うん。朝から疲れた……」


 宿題を終わらせて寝支度を始めると、部屋の扉をノックする音がした。

 返事をすると、扉が開いて監督生のティアナが姿を見せた。


 寮では毎晩、消灯時間の三十分前になると全員の点呼をとる。学年ごとの模範生が各部屋を回って点呼をとり、監督生に報告することになっていた。何かしら重要な連絡事項がある場合には、監督生が点呼前に模範生に連絡して回ることになっている。レーナたちの学年の現在の模範生はアビゲイルだ。この時間に監督生が模範生の部屋を訪ねるということは、何かあるということである。

 いったい何ごとだろうと、レーナとアビゲイルは顔を見合わせた。


「アビゲイル・フォン・リヒベルクさん」

「はい」

「レーナ・フォン・レンホフさん」

「はい」

「おふたりに学院長先生から言づてがあります。明日の午後三時に、寮の談話室にお越しなさいと」

「はい……」


 これといって叱責を受けるような心当たりはないものの、不安で顔をこわばらせたふたりに、監督生の少女は微笑みかけた。


「別にお叱りではないから安心してちょうだい。わたくしとイザベルさまも呼ばれているの」

「あら。理由はご存じですか?」

「何か重要なお話があるとだけうかがっています。とにかく明日の午後三時に談話室よ。忘れずにいらっしゃいね」

「はい、伝言ありがとうございます。おやすみなさい」

「ええ、おやすみなさい」


 扉が閉まってティアナの姿が見えなくなると、レーナとアビゲイルは再び顔を見合わせた。


「何でしょうね」

「さあ。何にしても、明日になればわかるわ。さっさと点呼してくる。先に寝てて」

「うん、ありがと。おやすみ、アビー」

「おやすみ」

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