そっと愛でる会 (6)

 それは次の夏のことだった。


 マグダレーナは久しぶりに社交シーズンを王都で過ごした。

 それまでの二年間はレーナを領地に残してシーズン中にほんの数日、どうしても外せない社交だけ駆け足でこなして領地にとんぼ返りしていたのだが、いつまでもそうしてはいられない。この年はシーズンなかばまで少し本腰を入れて社交を行うことにしたのだった。


 ハーゼ領の別邸にはレーナの祖父母が暮らしている。マグダレーナは出かける前に、留守中のレーナのことを義両親に頼んで行った。孫娘には特に甘い彼らはもちろん快諾し、普段よりも頻繁に本邸に顔を出すことを約束した。


 母の心配をよそに、レーナはひと月の留守番生活を乗馬とお絵かきに明け暮れて満喫しちゃっていたが、だからといって寂しくなかったわけではない。母と長兄が王都から戻る日には、見晴らしのよい三階の部屋の窓から身を乗り出し、王都へ続く道から馬車がやってくるのを今か今かと待ちわびた。ようやく遠くに豆粒のような大きさに見えてくると「お母さまたちのおかえりよ!」と使用人たちに声をかけながら玄関まで駆けて行き、うずうずと扉の外で到着を待つ。


 馬車が玄関前につけるが早いか、待ちきれずに扉前まで駆け寄った。しかしさすがに十二歳にもなるともう飛びついたりはしない。


「お母さま、パット兄さま、おかえりなさい!」

「ただいま、レーナ」


 兄のエスコートで馬車を降りた母は目を細めて娘に微笑み、頭を撫でた。


「王都はいかがでしたか? 楽しいことはありましたか?」

「ええ、そうね。いろいろあったわ。さあ、立ってないで中でお話ししましょう」

「はい!」


 荷物の運び込み先を使用人に指示してから、居間に移動する。そこへはレーナへの王都土産が運び込まれていた。本やしゃれた菓子など、王都でないと手に入りにくく、かつレーナの好みそうなものばかり。ご機嫌で包みを開けては歓声をあげる娘を慈愛に満ちた目で見つめていたマグダレーナだが、ふとその表情をかげらせた。


「あのね、レーナ」

「なあに?」


 手にした土産の本から顔を上げて母のほうを振り返り、レーナは「おや?」と思った。母が今までレーナに向けたことのない表情を浮かべていたからだ。それは、父に対して難しい相談事をするときの顔に似ていた。

 微妙な空気を察してかどうかわからないが、静かに居間を出て行く長兄の後ろ姿が視界の端に見えた。


「先日の夜会でジーメンス公とお話ししたときに、頼まれたことがあるの」

「はい」


 ジーメンス公の頼み事がなぜレーナに関係するのかがわからない。きょとんとするレーナに、母は曖昧な微笑を向けた。


「閣下がね、レーナの絵をご所望なの」

「え。なんで?」


 なぜジーメンス公が「レーナの絵」なんてものの存在を知っているのか。兄は確かに「ハインツとアロイスにしか見せない」と約束したのに。


「アロイスさまにレーナから一枚差し上げたでしょう? それをご覧になって、いたくお気に召したそうなのよ。だから一枚譲ってもらえないかとおっしゃって」

「えええ……」


 他の人に見せるなんて約束違反じゃないか、と憤りそうになったが、よくよく思い返してみれば「ハインツとアロイスにしか見せない」と約束したのは兄のヴァルターだけだった。アロイスの手紙には「イザベルには絶対に見せない」という約束しか書かれていない。それはつまり、裏を返せば「イザベル以外なら誰に見せてもよい」という意味にならないか。レーナは自分のうかつさに頭を抱えたくなった。


 何でもジーメンス公は仕事で家を空けることがよくあり、そうしたときに手元に娘の絵姿があればもっと頑張れる気がするとのたまったのだとか。

 そういう目的なら、本職の絵描きに発注したほうがよいのじゃないか。そう思ったレーナと同じ感想を母も持ったが、「レーナ嬢の絵がよいのだ」と言われたと言う。そんな風に娘の絵を褒められるとついマグダレーナもうれしくなって、しかし娘が嫌がっていたことは覚えていたので「絵を譲るとは約束できないけれども、レーナ本人に聞くだけでよいなら聞いてみる」と約束してしまったらしい。


「だからね、レーナがどうしても嫌ならお断りしてもかまわないのよ」


 そう言われても、本当にお断りしてかまわないのか、レーナは判断に悩む。

 ジーメンス公がさらに「イザベルには内緒にすると誓う。お礼は乗馬用品と聞いているが、アロイスに負けるわけにはいかない。もっとよいものを贈ると約束しよう」とのたまったと聞いて、今度こそレーナは頭を抱えた。


 「イザベルには内緒」というその条件に物申したいし、正直もう乗馬用品はこれ以上欲しいものはないし、だいたいそこで息子と張り合う意味がわからない。

 言いたいことはいろいろあったが、困ったように微笑む母を見て、レーナはそれらをすべて飲み込んだ。あまり気は進まないが、母を困らせてまで我を通したいわけではないのだ。


「ええっと、ちゃんと約束を守ってくださるなら差し上げても……」

「まあ、いいの?」

「はい」

「助かるわ。ありがとう、レーナ」


 ホッとしたように肩の力を抜いた母に、レーナは謝礼に欲しいものは特にないと伝えた。何しろ立て続けに贈り物攻勢を受けたため、すっかり満ち足りてしまったのだ。それに、もともとレーナに物欲はそれほどない。それを聞いて、母は笑った。


「あらら。張り切ってらしたから、がっかりなさるかもね」

「でももう、アロイスさまから十分いただいたから」

「そう、わかったわ。レーナは本当にいい子ね。わたくしの自慢の娘よ」


 ジーメンス公に絵を一枚送ると、すぐに礼状が届いた。そしてさらにふた月ほどしてから、外国製のタロットカードと外国語の児童書が数冊送られてきた。旅先で購入したものらしい。それを眺めていると、ジーメンス邸でイザベルに見せてもらった本やカードが懐かしく思い出された。うれしい贈り物だった。


 その後なぜか王妃からも絵をねだられ、断れるはずもなく一枚贈ったが、何とかそれ以上の拡散は抑えられたようである。ただし、ハインツだけは性懲りもなく同じ手口で何度もねだってきた。その都度レーナがうっかり喜んでしまうようなものを、まるで家族の会話を盗み聞きしたかのように的確に選んで送ってくるので、まったくたちが悪い。


 レーナの王立学院への入学が近くなった頃、ハインツとイザベルが婚約したという話を母から聞いた。なるほどそういうことだったのかと、とても腑に落ちた。この頃にはもうハインツに限っては絵を贈ることに抵抗が薄くなっていたレーナは、婚約祝いとして水彩画を一枚ハインツに贈り、とても喜ばれたのだった。

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