そっと愛でる会 (1)
談話室から自室に戻ると、レーナは力なくベッドの上にへたり込んだ。
「疲れた……」
「そりゃ、あれだけ大騒ぎすればねえ」
アビゲイルも自分のベッドに腰掛けながら、思い出し笑いをした。
「そうだ、アビー、リボンごめん。せっかく貸してくれたのに」
「気にしないで。あれは見本品の余りものだから。他にもたくさんあるし」
アビゲイルの家は名の知れた商会を営んでおり、輸出入により国を富ませた功績を買われて十年ほど前に男爵位を賜ったばかりの新興貴族である。そんな実家の仕事の関係で、彼女の持ち物には流行の最先端の品物や珍しい輸入品の小物などが多く、よくレーナにも融通してくれていた。
「リボンと言えば、アロイスさまはリボンなんて持ち歩いてらっしゃるのね。びっくりしたわ」
「ご自分用じゃないかな。身体を動かすときに邪魔になるから、運動のときは結わえてらっしゃるわよ。これもお返ししなきゃ」
レーナは自分の髪からリボンをほどき、折り目がつかないよう、丁寧に輪にしてクリップで留めた。
「レーナのことレニーって呼んでらっしゃったのにも驚いたわ。初めて聞いた気がする」
「ああ、あれね。子どもの頃にイザベルさまがそう呼んでくださってたの。それがうつっちゃったんだと思う」
「そうなの? でも、イザベルさまは『レーナさん』よね」
「うん。子どもの頃の話だから」
当時のことを懐かしく思い出し、レーナは小さく笑って舌を出した。
「そう言えば初めての乗馬もイザベルさまに教わったのよね」
「え、そうなの?」
レーナの淑女らしからぬ特技はイラスト画のほかにもうひとつあり、それが馬の早駆けだった。ただの乗馬なら淑女のたしなみの範疇と言えないこともないが、早駆けである。そもそも乗馬などしたことのない女性のほうが圧倒的に多い中で、馬を駆る速度をガチで競う淑女が存在するなどと、いったい誰が思おうか。
そんなレーナの乗馬術が、なんと淑女の鑑のようなあのイザベル仕込みだと言う。
それ以前に、レーナとイザベルが幼馴染みだという話も初耳である。
「話したことなかったっけ?」
「初めて聞いたわ」
「あ、これ秘密なんだった。でも、アビーになら話しても大丈夫かな。絶対に誰にも内緒ね」
そしてレーナは、イザベルとの出会いから「イザベル嬢をそっと愛でる会」が設立されるにいたるまでの話を始めた。
「私ね、兄ふたりとは父が違うのよね────」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
レーナの家、レンホフ家は数年前に子爵位を賜るまでは男爵家だった。その男爵位も、海上における国防の功績を評価されてレーナの父ヨゼフの代で賜ったばかりで、アビゲイルの家と同じく新興貴族なのだった。
ヨゼフは海運業で財を成した、いわば成り上がり者である。伝統と格式に重きを置く貴族社会の中では、やや浮いた存在だった。しかしその豪放でありながら人情に厚い性格を好んで、親しく付き合う者も中にはいた。その筆頭がハーゼ伯ランベルトだ。
しかし、このハーゼ伯は妻マグダレーナとふたりの幼い息子たちを残し、流行病によりあっさりと夭逝する。このときヨゼフも同じ流行病で妻を亡くした。
幼くしてハーゼ伯を継いだパトリック少年の後見人として、名乗りを上げた自称親戚筋の者は多かった。しかしそれは、後見人という立場を利用して実質的に伯爵家を乗っ取ろうという魂胆が透けて見える者たちばかり。そんな者に、うかうかと権限を渡したいわけがない。最終的にマグダレーナが頼ったのは夫の親友、当時まだ男爵でしかなかったヨゼフだった。
しかし、たかが男爵と侮るなかれ。何しろヨゼフの稼業は上品な言い方をすれば「海運業」だが、その内実は海賊と紙一重。商船という名の武装船団を率い、海賊行為を働こうと近づく船があれば返り討ちにして逆に身ぐるみ剥いだ上、あわよくば人質にとって身代金までせしめてしまうような、海の荒くれ者たちの親玉なのである。
男爵位を賜る理由となった「海上における国防」とはつまり、そういうことだった。やり方が荒っぽいとはいえ、領海内の治安向上に大きく貢献したことは間違いない。
ハーゼ伯後見人の立場を得ようと命知らずにも実力行使に訴えた者もいたが、すべてヨゼフが撃退した。ろくな実戦経験もない貴族の私兵など、海上戦において負け無しを誇るヨゼフにとってはものの敵ではなかった。しかしどうせ守るなら、懐に入れてしまった方が守りやすい。ヨゼフはマグダレーナとふたりの息子、パトリックとヴァルターを男爵家の屋敷に招き入れ、滞在させた。
同じ病に伴侶を喪った者どうし、ともに暮らすうちには自然と情も育まれ、マグダレーナはやがてヨゼフの後妻となる。ハーゼ伯の自称親戚筋を黙らせるための政略的な意味合いも少なからず含んだ結婚だった。
ハーゼ家当主の座を物理的に守ったのはヨゼフだが、マグダレーナも負けてはいない。高位貴族とのつながりを強みとし、社交面から長男パトリックを支えた。中でも彼女が親しかったのは、ジーメンス公夫人と王妃である。ジーメンス公夫人はたびたびふたりの友人を自宅に招き、三人だけの小さなお茶会を催した。
この三人の夫人たちには、同い年の息子がいた。マグダレーナの次男ヴァルター、ジーメンス家の長男アロイス、そして王太子ハインツ。さらに、同い年の娘もいた。レンホフ家の長女レーナ、ジーメンス家の長女イザベルだ。彼女たちはお茶会に子どもたちを連れて行き、一緒に遊ばせた。
こうしてレーナは、イザベルと出会ったのだった。四歳の誕生日を迎えて間もなくの頃だ。
「レーナ・フォン・レンホフ、よんさいです」
初めて引き合わされたとき、マグダレーナに教わったとおりに膝を軽く折ってお辞儀をしてから自己紹介をすると、夫人たちは一斉に吹き出した。
「まあ。何とかわいらしいこと」
「上手にご挨拶できるのね。偉いわねえ」
口々に褒めてはいるが、しかし笑っている。
挨拶のときに「四歳」と言いながら指を三本立てたのがツボに入ってしまったらしい。後になってもマグダレーナは「あのときは本当にかわいかったのよ」と、楽しそうに何度も語ったが、その話を聞くたびにレーナは恨めしく思ったものだ。お辞儀だけでなく、笑われずにすむ程度に自己紹介のしかたも教えておいてほしかった、と。
そういえばあのとき、妙に何度も年齢を尋ねられたのだった。
「レーナちゃん、お歳はおいくつでしたっけ?」
「よんさいです」
そして手を叩いて笑い崩れるご夫人たち。
年齢を聞かれるたびに真面目な顔をして指を三本立てるのが、たまらないらしい。
「ああ、かわいい。本当にかわいらしいわ」
「天使のようなお嬢さん、わたくしにもお歳を教えてちょうだいな。おいくつなの?」
「よんさいです」
ここまでくると、さすがにレーナも何かがおかしいと気がつく。かわいいかわいいと褒めているようでいて、そうでもないような。今ならわかる。褒めてない。しかし当時四歳になったばかりの彼女にわかるはずもなく、指を三本立てたまま不思議そうに首をかしげる様子を見て、ご夫人がたはまた「かわいい」と笑いころげるのだった。
「本当にかわいらしいこと。うちのイザベルには、こういう愛らしさはもうないわ。今が天使よねえ」
イザベルとレーナは同い年ではあるものの、生まれ月で比べると一年近い差がある。幼児にとって一年の差は大きい。イザベルのほうが頭ひとつ分ほど背が高かったし、遊びもだいたいにおいてイザベル主導だった。イザベルにとってレーナは「小さい子」という認識だったようで、思い返すと微笑ましくなるくらい一生懸命にレーナの面倒を見ようと頑張っていた。
もちろんレーナは、きれいで優しいイザベルのことがすぐに大好きになった。
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