それは悪夢か正夢か (2)
午前の授業が終わり、再び寮の食堂ホールで昼食をとりながら、レーナはアビゲイルに愚痴をこぼしていた。
「今までこんなこと、一度もなかったのに」
「こんなことって?」
「夢のとおりの出来事が起きたことよ。だいたい、なんだって今頃になってハインツさまとの妙な噂が出たりするのよ……。定期報告なんてこれまでもずっとやってたっていうの!」
「確かに。今さらよねえ」
短い相づちとともに話を聞いていたアビゲイルは、やがてレーナが落ち着いてきた頃を見計らって食事の手をとめ、真剣な視線を相棒に向けた。
「ねえ。早めにイザベルさまにお話しした方がよくない?」
「お話しするって、何を?」
「噂のこと。このままお耳に入ったら、誤解されちゃうじゃない」
「それは困る!」
「だからよ。こういうのは早いほうがいい」
「でも、何て言えばいいの……」
「うーん」
アビゲイルの頭の中には言い訳のシナリオがいくつか浮かんできていたが、嘘のつけない単純な────、もとい素直な相棒を見て、浮かんだシナリオをすべて脳内ごみ箱にポイッと投げ捨てた。
「正直に言えばいいんじゃない?」
「正直に? 『イザベルさまをそっと愛でる会』の定期報告をしてただけですって?」
「や、そこまで馬鹿正直じゃなくていい」
「う……。じゃあ、何て言えば……」
しゅんと肩を落としたレーナの鼻先に、アビゲイルは人差し指を突きつけた。
「あのね、レーナ。正直に言うってのは、嘘をつかないってことなの」
「知ってる」
「つまり、必ずしも誠実でなくても正直にはなれるのよ」
「う、うん」
「だからね、正直に話すからって、包み隠さずすべてを話す必要はないわけ」
「なるほど……?」
明らかに理解できていない様子のレーナは、うなずこうとして小首をかしげてしまっている。アビゲイルは正直すぎる友人に苦笑しながら、具体的に説明した。
「定期報告ついでにハインツさまにお渡ししたものがあるでしょ?」
「うん」
「ハインツさまに依頼されて作成したものをお渡ししたところを見られて噂になってしまったようです、申し訳ありませんでしたって言えばいいんじゃない?」
「なるほど」
レーナがハインツに渡したものとは、イザベルを描いたイラスト画だ。イラストを描くのは、レーナの淑女らしからぬ特技のひとつである。ハインツはレーナのイラストのファンなのだ。もっと正確に言うと、レーナの描くイザベルのイラスト画のファンだった。
「何をお渡ししたのか聞かれたら、どうすればいいの?」
「正直に言えばいいわよ。イザベルさまの絵ですって」
どうせレーナに嘘なんかつけるわけがない。絶対にバラしちゃまずい大事なところ、すなわち今回の件で言えば「イザベル嬢をそっと愛でる会」の存在だけ伏せて、あとは正直に行くのが一番なのだ。「そっと愛でる会」の会則に忠実に従うならば、イザベルにイラスト画の存在を知らせること自体が禁止事項なのだが、今回に限ってはやむを得まい。
「怒られたりしないかな……」
「大丈夫でしょ」
食事に戻ろうとしたアビゲイルは、チラリとレーナの様子をうかがった。まだしょんぼりとうつむいていて、食事の手が止まったままだ。相棒を元気づけるために、もうひとつ提案してやることにした。
「お話しするとき、ハインツさまのイラストをイザベルさまに差し上げたら? きっと喜んでくださるんじゃない?」
「そうする! さすがアビー、ありがとう!」
とたんにパッと顔を上げて輝かせ、元気よく食事を始めた現金な友人を見て、アビゲイルも笑みを浮かべて食事に戻った。
まさかイザベルに話しに行ったことが原因で事態がより悪化しようなどとは、このときのふたりにはまったく思いもよらぬことだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
午後の授業が終わった後、レーナはアビゲイルと一緒にいったん寮の自室に戻り、会員頒布用の在庫の中からイザベルに贈るためのイラストをいくつか見繕った。ハインツ単身のイラストはなかったが、そこは仕方がない。
だってレーナが会長を務めているのは「イザベル嬢をそっと愛でる会」なのだ。ハインツがイラストに登場することがあるのは「イザベルの婚約者」だからである。仮にも王太子に対してひどい言い草ではあるが、あくまでイザベルの添え物にすぎないのだ。
しかしイザベルに喜んでもらえるなら、貢ぎ物用にハインツのイラスト画を作成するのもやぶさかではない。イザベルの反応次第では考えよう、とレーナは心に決めた。
「レーナ、髪はどうする?」
「え?」
いそいそとイラストを贈り物用の飾り袋に詰めていたレーナは、アビゲイルの質問にきょとんとした。
「せっかくイザベルさまにお話ししに行くなら、おしゃれしたいんじゃない? 簡単に結ってあげよっか?」
「おおう、何と気の利く……。ぜひぜひお願いします」
「了解。いま流行りのゆるふわスタイルにして進ぜよう」
「わあ、さすがアビー。ありがとう!」
手先の器用なアビゲイルは、しばしばこうしてレーナの髪型の世話を焼いている。そうしないとこのものぐさな同室者は、今どき田舎娘でもしないようなダサい三つ編みおさげにしてしまうから。別に三つ編みに罪はないし、必ずしもおさげ髪がすべてダサいとも限らないのだが、ものぐさゆえの三つ編みおさげとくれば、その仕上がりに何を期待できようか。
今日も今日とて芸もなくカッチリと編まれた髪をほどいてやると、細かくウェーブのついたきれいな薄茶色の髪が広がる。それをサイドの一部だけ軽く編み込んでレースのリボンで飾れば、田舎娘が都会風の美少女に早変わりだ。レーナは鏡の中でふわりと髪を揺らす自分の姿を見て、感嘆のため息をこぼした。
「すごい。馬子にも衣装って、このことよね」
「いや、リボンつけただけだし」
自分のことを馬子と呼んではばからない友人に、アビゲイルは思わず小さく吹き出した。もともとレーナは素材は良いのだ。素材は。それを活かせる中身が伴っていないだけで。
「さあ、行ってらっしゃい。イザベルさまなら、さっき談話室の読書コーナーでお見かけしたわ」
「ありがとう! 行ってまいります」
緊張の面もちで部屋を出ていくレーナを見送った後、しばらく何かを考えていたアビゲイルは、やがて一冊の本を手にして静かにレーナの後を追った。そこつ者の友人が何かしでかしやしないかと心配になったのだ。少し離れた場所で読書のふりでもして、見守るつもりだった。
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