それは悪夢か正夢か (1)

 ああ、またあの夢だ。


「はぁ……」


 王立学院女子寮内の自室で、起き抜けのレーナは深いため息をついた。


「おはよう、レーナ」

「アビー、おはよう」


 ふたり部屋で同室のアビゲイルはすでに制服に着替えていて、鏡の前で手際よく髪を編み込みにしていたが、レーナのため息を耳にするといったん手をとめて振り返った。


「朝から元気ないわね。もしかして、またアレ?」

「うん。アレ」


 この夢のことは、アビゲイルには「アレ」で通じる。夢を見始めた頃からレーナが愚痴がてらに内容を話して聞かせていたからだ。不思議とストーリー仕立てなその夢を面白がったアビゲイルは、レーナから話を聞くたびにノートに記録してまとめていた。


「あらら。どんな内容だったの? 何か新しいことあった?」

「今日はなかった、と思う」

「なら、いいわ」

「全然よくないから。はぁ……」

「ほーら、ため息ついてないで、はやく着替えて! 朝食の時間に遅れちゃう」


 しっかり者のアビゲイルにせき立てられながら身支度をすませ、ふたりは部屋を出て寮の食堂ホールへ向かった。


 レーナが「アレ」の夢を見るたびに憂鬱になるのは、それが妙にリアルな上に結末がひどいからだ。あろうことかレーナが敬愛してやまないイザベル嬢が、国家反逆罪などというわけのわからない罪に問われて破滅するシーンで終わるのである。ちなみにそのイザベル嬢とは王太子ハインツの婚約者、誰もがよく知るあのイザベル嬢のことだ。


「夢でまでイザベルさまに会えるんだから、素直に喜んどきゃいいのに」

「あんな夢じゃちっともうれしくないもん」

「夢でしょ、夢」

「せっかく見るなら、もっといい夢が見たい……」


 おしゃべりしながら廊下を歩いていると、食堂ホールへ降りる階段のところで上級生と鉢合わせた。足を止めて会釈すると、上級生から声をかけられた。女子寮の監督生をしている二学年上の優等生、ティアナ・フォン・ライベルクだ。


「レーナ・フォン・レンホフさん」

「はいっ」


 フルネームで呼びかけられたためビクッとし、反射的に背筋を伸ばして姿勢を正した。


「少しお話ししたいことがあります。こちらへいらっしゃい」

「はい」


 この流れで「お話ししたいこと」となれば、楽しい話でないのは明らかだ。アビゲイルに視線だけで「ごめん」と謝ると、彼女は「わかった」という合図にヒラヒラと手を振ってひとりで階段を降りていった。


 手招きするティアナの後を歩いて階段わきの柱の陰にある談話コーナーにつくと、監督生はくるりとレーナに向き直った。


「お食事まで時間もありませんから、手短かにお話しします。あなた、噂になってるわよ」

「はい? どんな噂ですか」

「隠れてハインツさまとふたりきりでお会いしている、と」

「え、なんで……」

「どうしてかなんて、あなたが一番よくご存じでしょう? とにかく、ハインツさまにはイザベルさまという立派なご婚約者がいらっしゃいます。そんなかたとふたりきりでお会いしたら周りからどう見られるのか、あなたにだってよくおわかりでしょう。イザベルさまをご不快にするような行いは、お控えなさい」

「はい、申し訳ありませんでした。以後気をつけます」

「ええ、ぜひそうしてちょうだい。お話はそれだけよ。では、お互い遅れないうちにお食事にまいりましょう」

「はい」


 監督生と別れてとぼとぼと食堂ホールに向かうと、先に到着したアビゲイルが隣にレーナの席を確保して待ってくれていた。朝食と昼食はビュッフェ形式なのだが、レーナの分まで取ってきてある。


「アビー、おまたせ。用意してくれてありがとう」

「どういたしまして。何だか顔色悪いけど、大丈夫?」

「うん」


 いつも元気なレーナらしくもなく、食事に手をつけずに青ざめた顔でぼんやりしている様子を見て、アビゲイルは心配そうに尋ねた。


「それで? お話って何だったの?」

「アレの件で、ご忠告をいただきました……」

「え。レーナったら上級生のお姉さまにまで夢の話なんかしてたの?」

「まさか。そんな話はアビーにしかしてない。そうじゃなくて、アレのことよ」

「おう……」


 またしても「アレ」である。これまたアビゲイルには「アレ」で通じる。なぜなら彼女も一枚かんでいるからだ。

 このふたりの会話に出てくるもうひとつの「アレ」とは、非公式な同好会「イザベル嬢をそっと愛でる会」のこと。レーナが会長、アビゲイルが副会長を務めている。そして王太子ハインツは名誉会員だ。ついでに、先ほど声をかけてきた監督生ティアナも会員のひとりである。


 さらに言うと国王夫妻、およびイザベルの両親であるジーメンス公夫妻の公認も得ているし、その上で活動資金の支援までいただいている。そんな高貴な後援者たちの窓口を務める顧問役はイザベルの兄アロイスだし、もはやどのあたりが「非公式」なんだかよくわからない。が、そっと愛でられている当の本人イザベルには徹底して活動を秘しているというその一点において、やはり非公式なのだった。


 とにかくそんなわけで、ハインツとは断じてやましい関係ではない。やましくはないのだが、後ろめたいか後ろめたくないかで言えば、イザベルに内緒の活動をしているという意味ではこの上なく後ろめたい。しかもハインツに定期的に活動報告をしている関係上、秘密裏に会って話をすることは確かにあるのだった。おそらく、そこを誰かに目撃されてしまったのだろう。


「ご忠告自体は、いいのよ。きっと親切で教えてくださったのだと思うし、ありがたく拝聴したの。だけどね、だけど既視感がすごくて、こわくなっちゃった」

「既視感?」

「うん。アレで見た場面とそっくり同じで、セリフまで一緒だったの……」

「え?」

「どうしよう。アレがただの夢じゃなかったら、どうしよう」

「レーナ、落ち着いて。とにかく今は、まずご飯よ」


 青ざめた顔で涙目になっているレーナはアビゲイルになだめられつつ食事をしたが、あまり食は進まなかった。

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