とある茶番劇の華麗ならざる舞台裏
海野宵人
プロローグ
この夜、オスタリア国の王宮内にある舞踏会ホールでは、王立学院の実技教育の一環でもある恒例行事の夜会が開かれている。
ここで、今まさに国家の命運を懸けた茶番劇が幕を開けようとしていた。
茶番劇に国の命運を懸けちゃっていいのかとか、そもそも国の将来が懸かっているようなものを茶番と呼べるのかとか、まあ、いろいろと疑問を差しはさむ余地はありまくるのだが、本人たちはいたって大真面目である。
茶番劇と承知した上でなお真面目に取り組むには、それ相応の理由があるのだ。
この夜会は卒業生のための催しであり、最高学年に所属する学生が全員招待されている。今年は卒業生に王族が含まれていることもあり、会場周辺には例年以上に厳重な警備態勢が敷かれていた。
その王族の卒業生とは、この国の若き王太子ハインツである。
彼は二学年下の女子学生を伴って夜会に参加していた。卒業生のための催しではあるが、卒業生の同伴であれば下級生も参加可能なのだ。夜会はまだ開始前で、ハインツは会場の片隅で数人の学友たちと談笑していた。
するとそこへ、入り口からまっすぐに彼らのもとに歩み寄る者があった。ひときわ豪奢なドレスに身を包んだ艶やかな美貌のその娘は、王太子ハインツの婚約者として知られるジーメンス公爵家の長女イザベルである。彼女は険しい表情でハインツたちの前に立つと、ハインツを睨みつけて傲然となじった。
「ハインツさま、わたくしという婚約者がありながら、これはいったいどういうことですの」
イザベルは「これ」が何のことかを示すように、王太子ハインツがエスコートしている華奢な少女を侮蔑の色を隠すことなくチラリと見やる。
その視線に気圧されたように表情をこわばらせた少女、レンホフ子爵家のひとり娘レーナは不安そうに王太子を見上げてからうつむき、小さく肩を震わせた。王太子はレーナに向かって安心させるように優しく微笑みかけた後、スッと表情を消して感情を排した平坦な声でイザベルに告げた。
「イザベル、君はもう私の婚約者ではない」
「いきなり何をおっしゃいますか。面白くもない冗談はおやめくださいませ」
不機嫌もあらわなイザベルの尖った口調にも少しも動じることなく、王太子はやはり無表情に淡々とした声で返した。
「何も冗談なものか。君との婚約はとうに破棄されているのだよ」
「何ですって?」
「できれば穏便に終わらせたかったが、こんな風に事を荒立てられてしまっては仕方ない。この場で話してしまおう」
不穏なやりとりを目の当たりにした夜会の参加者はおしゃべりをやめ、ホール内はしんと静まりかえった。誰もが息をひそめて耳をそばだてている。
王太子は表情を動かさないまま視線だけを近くに控えた憲兵の方に向け、小さく頷いた。
「君の父君には、かねてから国家転覆の疑いが掛かっていてね。君が父君の差し金でいろいろ動いていたことも、証拠が挙がっている。すべての証拠が出そろった時点で、君との婚約は破棄されたんだ。君の家もそろそろ軍により制圧された頃合いだろう」
驚きに声もなく目を見開いたイザベルの両脇には、いつの間にかピタリと二名の憲兵が張り付いていた。
「このような終わりになるとは、残念だよ。さよならだ、イザベル」
ハインツは最後まで無表情のままイザベルに別れの言葉を告げ、イザベルの脇に控えた憲兵に「連れて行ってくれ」と指示を出した。静まりかえったホールの中、イザベルを誘導する兵士の「こちらへ」との声だけが静かに響く。呆然とした彼女は抵抗することなく二名の憲兵に付き添われてホールから出て行った。
三人が退出した後ろで扉が閉まるまで、人々はまるで呼吸のしかたを忘れてしまったかのようにかたずを飲んでそれを見守っていた────。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
────呼吸のしかたを最初に思い出したのは、レーナだった。まばたきも忘れたままじっと扉が閉まるのを見届け、そのまましばらく固まっていたが、閉まったばかりの扉が小さく開き、連行されて行ったはずのイザベルがひょっこり顔をのぞかせると、レーナはグッと両手を握りしめた。
「終わった……!」
その拳を握りしめたまま、まるで噛みしめるようにして言葉をしぼり出す様子を見て、王太子は無表情を崩して思わず小さく吹き出した。
扉の間から、イザベルがレーナに問いかける。
「どう? あれで良かったのかしら?」
「はいっ。さすがイザベルさま、完っ璧です! みなさま、本当にお疲れさまでした!」
レーナが満面の笑顔で答えると、イザベルはホッとした表情で扉を抜けてホールの中へ戻ってきた。王太子ハインツは彼女を迎えに歩み寄ってエスコートし、レーナにふわりとした笑みを向ける。
「レーナもご苦労だったね。これで全部おしまいだよね?」
「はい、そうです。本当に、無事に終わってホッとしました。ハインツさまったら出番が多いのにてんで大根だし、セリフは棒読みだし、トチったらどうしようと思って、それはもう心配で心配で……」
「心配と言いながら、レーナさんこそ全然笑いをこらえきれてなかったじゃないの。肩がプルプル震えてるのが丸見えだったわ。いつ吹き出すんじゃないかと気が気じゃなかったもの」
呆れをにじませた声でイザベルが言うと、レーナはちょっぴり後ろめたそうな顔で小さく舌を出す。
「だってハインツさまの大根役者っぷりがツボに入っちゃって……。ごめんなさい、反省してます!」
「ふっ、ひどい言われようだなあ。でも気にしないでおくよ。結果的にうまく行ったからね」
和やかなやりとりにホール内の人々の緊張は解けたものの、いったいどういう状況なのかわからず、次第にざわざわと話し声が戻ってくる。
しかし、ややあってから入り口の扉が大きく開くと再びホール内はしんと静まりかえり、人々は姿勢を正して最敬礼の姿勢をとった。入り口から姿を現したのは、国王および国の重鎮たちである。
国王はまず、状況が理解できずにいる参加者全員に向かって、簡単な説明をした。
「参加者諸君、楽にしてくれたまえ。突然のことに驚いたと思うが、今のは容疑者を欺いて捜査を支援するための小芝居だ。息子の婚約は継続しているし、ジーメンス公には何の疑いもかかっていないので、安心してもらいたい」
次に、茶番劇の役者となった学生たちに向かってねぎらいの言葉をかける。
「学生諸君、芝居ご苦労だった。あらかじめ段取りしてあったとおり、内通者たちはすべて捕縛完了したよ」
国王の言葉に、場内のざわめきが一瞬消えた。不安そうにあたりを見回す参加者たちの視界の端には、憲兵に付き添われてホールから退場していく職員の姿があった。
国王はレーナに歩み寄ると「あなたが一番の功労者だな」と軽く肩を叩いてねぎらう。その言葉に王太子がうなずいて手を打ち鳴らすと、人々もひとりふたりとそれにならい、やがてホール内は万雷の拍手に包まれた。それを聞いて、ひと仕事やりとげて興奮状態にあったレーナにも、やっと全部終わったのだという安堵の気持ちがじわじわと染み込んできた。不覚にも涙がこぼれそうだ。
だって、ここに至るまで本当に、本当に、それはもう本っ当に大変だったのだ。
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