第5話 別離の時
夕飯で使った食器の片付けを後回しにし、コーヒーを入れてケーキを用意して、
大好きなレアチーズケーキ。トマリのケーキはいつでも美味しい。
上質なクリームチーズをふんだんに使い、加えられたレモン果汁がほのかな爽やかさを生み出している。敷かれたバターたっぷりのタルト生地はさくさくで香ばしい。
だがこれを食べ終わったら拓真が行ってしまうと思うと、どうしてもフォークを持つ手が
それは拓真も同じ様で、大好きなはずのザッハトルテはあまり減っていない。フォークで少量をすくい、
「やっぱりトマリのザッハトルテは旨いよな」
言葉とは裏腹に、拓真は力無い微笑を浮かべる。
そんな拓真を見ると、ああ、これでは駄目だと、真守はフォークを持つ手に力を込め、レアチーズケーキをたっぷりと切り分けて口に運んだ。
悲しい別れは絶対に嫌だ。確かに拓真がいなくなれば寂しいだろうし、辛くもなるだろう。だがそれを傷にしてはいけない。
真守はレアチーズケーキをごくんと飲み込み、そっと口を開く。
「拓真、拓真には笑って行って欲しい。俺も笑って見送りたい」
それは真守の確固たる意思。拓真は
「そうだよな。俺もそうしたい。そうだよな」
拓真は穏やかに言うと、ザッハトルテをざっくりすくい口に放り込む。そして「うんうん」とじっくりと味わう。
「やっぱり旨いものは楽しい気分で食べたいよな。嫌な思いさせてごめん」
「ううん、多分俺だって同じ気持ちだよ。だからこそだよ拓真。これから拓真は良いところに行くんだから、嬉しいって思っても良いんだと思うんだ」
「それはちょーっと難しいかもな。でも解るぜ。俺もそう思う。なぁ真守、俺、さっきもご飯食べさせてもらって、今も大好きなケーキ食べられて、やっぱり食べることって良いなって思うんだ」
「うん」
「
「うん。俺も役に立てたんなら良かった」
「真守とまた離れるのは寂しい。けど真守の気持ちとか、旨いご飯とか、それに込められた思いとか、俺にはそういうのがあるから、大丈夫だなって今は思う」
「俺もだよ。ちゃんと笑って見送れるよ」
「ああ。ありがとう」
拓真は言うと優しい笑みを浮かべる。真守もほのかに
その時は
いや、慈悲は充分にあった。最後のご飯を、最後のケーキを食べることができたのだから。
両親にも会えたし、兄弟ふたりの時間をたっぷり過ごすこともできた。それはこれからも真守の宝物だ。
拓真は窓の外でふわりと浮いている。真守は柔らかな笑顔で拓真を見上げた。
「真守、本当にありがとうな。世話になった」
「こっちこそ、また会えて嬉しかったよ」
「俺もだ」
そして訪れる沈黙。それは少なくとも真守にとっては心地の良いひととき。
拓真の顔は決して晴れ晴れしているわけでは無い。だがリラックスしてゆるりと上がった口角が、拓真が上を向いていることの表れだと思う。
「じゃあな」
口火を切ったのは拓真だった。
「うん。じゃあね」
だから真守も明るさを含ませる。拓真が安らかに天国に行ける様に。
拓真はにっこりと笑うと、ふぅっと上に飛んで行く。ゆっくりな速度。真守はそれをいつまでも見送る。
やがて姿が見えなくなると、もう生涯拓真に会えないという事実が
予想以上に自分に無理を強いていたことを思い知らされてしまう。
だが拓真を笑って見送れて良かった。真守が熱い目を閉じると、目尻から涙がすうと流れた。
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