第3話 いつか訪れるその時に

 目の前でり広げられている家族の団欒だんらんに、拓真たくまは楽しい気持ちと、もう一生この中に入れない寂しさを感じていた。


 拓真は生前自分が使っていた椅子に掛けている。父の正面、真守まもるの隣だ。


 時折真守が自分に柔らかな視線を投げてくれる。それは確かに自分の存在証明の様なものなのだが。


 父と母の視線は自分に一切向けられない。当たり前だ。見えていないのだから。


 顔が向くことはあるし、目があったかの様なタイミングもある。だが両親の目は拓真を映さない。その場にいないことにされているかの様な錯覚を起こしてしまいそうになる。


 死神の仕事がいつまで続くのかは拓真には判らない。だが。


「そろそろ潮時なのかも知れないな」


 ついぽつりと呟いてしまう。横で笑っている真守にはきっと聞こえていないはずだ。だがまた真守を苦しめる様なことだけはしたくない。


 どうすることが真守にとって、そして自分にとってベストなのだろうか。




 深夜、拓真と真守はダイニングテーブルで向かい合っていた。拓真の前にはあじフライなどが盛り付けられたお皿が置かれている。


「夜中にお腹空いたら食べたいから、少し取り分けておいて良い?」


 真守がそんな理由で、拓真のために置いておいてくれたものだ。


 フライはさくさくが戻る様にオーブンを使い、豚の角煮は片手鍋に入れてコンロで温めてくれた。温野菜だったサラダは冷蔵庫で冷やされているが、これはそのままで。


 言い方はあまり良く無いかも知れないが、残りものだと思えない様に真守が綺麗に整えてくれた。


「ありがとうな。旨そうだ」


 目の前のごちそうに、拓真はふわりと口角を上げる。


「うん。美味しかったよ。食べて食べて」


 真守がにこやかに勧めてくれる。拓真は「いただきます」と手を合わせておはしを取った。


 さっそく好物のあじフライにかぶり付く。タルタルソースをたっぷり付けて。


 さくっとしたこの歯ごたえはフライの醍醐味だいごみだと思う。


 母は優しい味付けのご飯を作ってくれるので、これの下味もきっと最小限。だからあじのふわりとした旨味がしっかりと感じられる。


 海老といかも、温め直したものだと思えない様にぷりぷりだ。


 豚の角煮もお箸で簡単にほぐせてしまう。じんわりとした優しい旨味と脂の甘味が心地よい。


 温野菜では無くなったサラダとジンジャーエールを挟みながら、まずは一通りを食べて行く。どれもとても美味しい。拓真は幸福感に包まれる。


 真守はサラダをさかなに、グラスに移した缶ビールを傾けていた。


「やっぱり母さんのご飯は旨いなぁ。食べさせてくれてありがとうな、真守」


「ううん。せっかくこっちにいるんだから食べて欲しかったんだ。作りたてだったらもっと良かったんだけどね。夜中に揚げ物とかって背徳感無い?」


「分かる。俺は霊体だから太ったり胃もたれとか無いけどな」


 拓真は言って笑う。真守も「良いなぁ」とふっと表情を綻ばせた。


 現金なもので、こうした時間を過ごしていると、もっとこのまま真守と一緒にいたいと思ってしまう。


 だが拓真の死神としての活動は無限では無い。いつ終わりが来るか分からない。


 死神になって、仕事をすることによって受けられる恩恵おんけいは師匠から聞いている。


 だから最初はそのために頑張ろうと思った。迎えに行った人の話を聞いたり、真守に協力してもらったりもした。


 だが真守と生活をしているうちに、そう急がなくても良いのでは無いかと思い始めていた。


 生前は特別仲の良い兄弟では無かったから不思議なのだが、真守との暮らしは予想外に楽しかったのだ。


 それでも両親に見てもらえないことは辛かった。真守と繋がりを持てても、家族の輪の中には戻れないのだ。最初から分かってはいたことだが、実際に経験すると悲しかった。


 次に師匠が訪ねて来るときが、そのターニングポイントになるのでは無いかと思う。今はまだ判らないことも多い。その時にまた考えたら良い。




 夏の休暇が終わり、拓真は真守とともにマンションに戻る。仕事に行く真守を見送り、拓真も死神の仕事のために外に出る。すると師匠が待っていた。


「あ、師匠。おはようございます」


「おはようさん、拓真。結果が出たで」


 その言葉に拓真は固唾かたずを飲む。だが師匠の様子は軽やかだ。


「じゃあ、またうちで」


「おう」


 そうして拓真は出てきたばかりの部屋に、師匠と並んで入って行った。




 その日、真守はいつもより早い帰途に着いた。クライアントからの直帰だったのだ。傾き掛けた西日に照らされ、首筋にすうと汗が流れる。


 明日は土曜日だ。なのでほんの少し凝った料理をしてみようか。拓真も仕事を終えて疲れて帰って来るだろうから、豚肉などで疲労回復を狙おう。


 他にもビタミンなどがたっぷり含まれたお野菜などを使おう。まぐろも良かったはずだ。ここは奮発しちゃおうか。


 真守はスーパーに入り、たっぷり買い込もうとカートを取った。




 家に帰り着いた真守は部屋着に着替え、さっそく調理に取り掛かる。エコバッグから食材を出して、すぐに使うものと置いておくものを分け、後者は冷蔵庫などに入れておく。


 まずは豚肉だ。ロースの塊肉を買って来た。それを2センチほどの厚さに切って行く。


 両面に塩こしょうで下味を付けて、鍋で数回に分けて表面を焼き付けて行く。全部が焼き上がったら鍋に戻し、水をひたひたよりやや多めに入れて火に掛ける。


 沸いて来たらだしの素を入れて、あくを取りながらしばし煮込む。


 次に小鍋にお湯を沸かす。沸いたらだしの素を入れ、短冊切りにしたお揚げとさいの目に切った豆腐を加え、ぐらりと沸いたら火から下ろして余熱で火を通す。


 空いたコンロにフライパンを置く。火に掛けてごま油を引いて、ざく切りにしたニラを炒める。味付けは日本酒とお塩とこしょう。


 しんなりと炒まったら、塩こしょうとマヨネーズで味付けした卵と合わせておく。


 コンロが一旦空いたので、お揚げと豆腐の鍋を火に掛け直す。ふつふつ沸いたらお玉に味噌を取って入れて溶いた。


 ここで豚肉の鍋にお砂糖と日本酒を入れる。5分ほどしたらお醤油を加え、続けてことことと煮込んで行く。


 そのころには煮汁も減り豚肉が顔を出し始めているので、所々に穴を空けたクッキングペーパーで落し蓋をする。


 ここでまぐろと、一緒に買ったサーモンのお刺身を出す。どちらも柵なので切り付けて行く。三徳包丁だが刃を往復させない様に、丁寧に包丁を動かして行く。


 盛り付けは食べる直前にしたいので、それぞれ元のトレイに並べてラップをして冷蔵庫に戻した。つまは大根で作られたものを買って来ている。大葉も用意した。


 豚はぎりぎりまで煮込んで、後の仕上げは拓真が帰って来てからしよう。

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