第2話 家族の食卓

 夕方になり死神の仕事を終えた拓真たくまは、まだ明るい空の中いそいそと実家に向かって飛んでいる。


 今までも行こうと思えば行けた。でも両親が真守まもるのマンションに来てくれることもあって、またいつでも良いかと思ったこともある。


 そして真守が行かないからその気になれなかったことも大きい。多分遠慮があったのだ。


 今は真守が帰っているので拓真も堂々と帰れる。心が踊る。


 今実家はどうなっているだろうか。拓真の部屋はまだあるだろうか。もう片付けられてしまっただろうか。それなら少し寂しい気がしてしまう。


 やがて我が家が見えて来る。屋根から見下ろすのは初めてで、へぇ、こんなになってたんだ、と思う。


 そのまま降りて門扉の前に立つと、じわじわと懐かしさがこみ上げて来た。


 生きている時は当たり前の様にここから出かけ、ここに帰って来ていた。今はそれがとても貴重だ。


 拓真は門扉をすり抜け、その勢いのまま玄関も通り抜けた。すると目の前にまた懐かしいたたきと廊下が広がる。


 拓真はそっと目を閉じる。それぞれの家庭が持つ空気感。それは家族が作るものだ。拓真はそれを目一杯吸い込む。


 ……ああ、我が家だ。拓真の目頭が熱くなる。涙こそ出ないが、拓真の心は嬉しさに溢れる。やっと帰って来れた。拓真はそろりと廊下を進む。


 そのまままっすぐリビングに入る。ソファにテーブルにテレビなど、全て拓真の記憶のままだ。あれから買い替えたり模様替えをしたりはしていない様だ。


 ソファでは真守と父がテレビを見ながら談笑していた。キッチンからはかちゃかちゃと音が聞こえて来る。母が炊事中なのだろう。


 真守が拓真に気付くと小さく頷き、すっと立ち上がった。


「父さん、俺ちょっと部屋に行って来る」


「ああ」


 真守は拓真に目配せをすると、リビングを出て階段を上がって行く。拓真も付いて行った。


「おかえり、拓真」


「ただいま」


 真守の小声に拓真も小さな声で返す。拓真の声は両親には聞こえないが、ついつられてしまうのだ。


 真守が立ったのは拓真の部屋の前だった。


 鍵を取り付けていないシンプルなドアノブを回してドアを開けると、そこには拓真が覚えている通りの光景が広がった。


 勉強をするためのデスク、ベッド、漫画や小説が詰まった本棚、その上に飾られているのは、ドリンクのおまけのフィギュア付きボトルキャップ。


 作り付けのクローゼットには今でも拓真の洋服がしまわれているのだろう。


 確か事故にった日は少し慌てて家を出たので、脱いだ部屋着をベッドに放り投げていたのだが、それは片付けられていた。


 拓真の死後も母が掃除をしてくれているのか、ほこりひとつ積もっていなかった。


「そのままにしてくれてるんだな」


「うん。誰も片付けようなんて言わなかったよ。俺も家を出る前はここに入るのも辛かったけど、父さんも母さんも、今はただ拓真の思い出を思い出すために入ったりする。ああ、拓真は本が好きだったわね、なんて話してるよ」


「そうだな。読書は俺の趣味みたいなものだったから」


 生前は学生でそうお金も持っていなかったから、拓真はよく古書店に行っていた。


 そこで購入したり、読まなくなった本を手放したり。なので手元にあった本はそう多く無かった。


「何か持って帰るか?」


「そうだなぁ、じゃあ」


 拓真は本棚を眺め、3冊の文庫本を抜き出した。


「これ持ってってもらって良いか?」


「うん、わかった。忘れない様に部屋に置いて来る。あとで母さんたちにも言っておくね」


 真守が本を手に部屋を出て行くと、拓真はあらためて部屋を見渡す。


 家具などもあまり置いていないシンプルな部屋だ。細々としたもののほとんどはホームセンターで買ったコンテナや書類ケースに入れて、クローゼットに入れてある。


 衣類も全てそこなので、この家が建って引っ越してくる時に処分したたんすなどもあった。


 この部屋は、まだ両親と真守の心が完全に癒えていない証の様だった。多分そういう親は多い。


 賃貸でのひとり暮らしなどなら、心情とは関係無く引き払わなければならないが、持ち家ならこうして故人の気配を残したまま時を過ごすことができる。


 それが良いのか悪いのか、見送ったことの無い拓真には判らない。


 だがそれも人それぞれなのだと思う。両親と真守はこの部屋とともに暮らして行くことを選んでくれたのだ。


 それも家族の愛情なのだと思う。拓真はただただ嬉しさを噛みしめた。


 真守が戻って来た。


「お待たせ。そろそろ降りようか」


「おう」


「今日は母さんあじフライ揚げてくれるって。拓真も食べられる様にするね。一緒にって言うのは難しいけど」


「お、そりゃあ嬉しいな」


 ふたりは並んでリビングに戻った。




 夕飯の食卓には、真守がリクエストしたあじフライを始め、パン粉を使った海老やいかなど揚げ物をメインに、新鮮なお刺身や豚の角煮、箸休めに冷や奴やきゅうりとわかめの酢の物、温野菜のサラダなどが所狭しと並んだ。


 ダイニングテーブルはこの家を建てた時に買い換えてから使っている4人掛けだ。それがいっぱいになれば壮観で、しかし食べ切れるのか心配になってしまう。


「美味しそう! でも凄いたっぷりだね」


「お腹いっぱい食べて欲しくて。お刺身以外は残しても良いからね。置いておけるから」


「うん、ありがとう」


「真守、ビールどうだ。少し付き合ってくれんか」


「うん、良いよ」


 父はいそいそと冷蔵庫から缶ビールを出し、グラスを2客用意する。下戸げこの母は自分用にお茶碗にご飯をよそった。


 父と真守は互いにビールを注ぎ合い、母は麦茶のグラスを手にする。


「はい、お疲れさま」


 そうして緩くグラスを重ねた。


 真守はぐいとビールをあおって「ぷはぁ」と心地よい息を吐く。


 グラスを置くとおはしを手に、さっそくあじフライを取る。添えてあるタルタルソースを乗せて、大口でかぶり付いた。


「あ〜たまらない」


 真守がそう漏らして表情を緩めると、母は「良かったわぁ」と嬉しそうだ。


 こんがりときつね色に揚がったほかほかのあじフライは、ざくっとさくさくの歯ごたえで、衣に包まれたあじはふんわりほろほろに仕上がっている。


 新鮮な上に臭み抜きもしっかりとしているので、タルタルソースのほのかな酸味と合わさって、しっかりとした甘味が感じられる。


 あじの旬は春から夏だ。そろそろ過ぎるころではあるが、たっぷり脂をたくわえて肥えている。肉厚のそれは食べ応えがあった。


 真守は次々と箸を動かす。ほうろう鍋で似た豚の角煮はとろりと柔らかく、お箸で簡単にほぐれる。お出汁を効かせた程よい味付けは豚の旨味がしっかりと活かされている。


 お刺身は定番のわさび醤油と、お塩を入れたオリーブオイルのふたつの味でいただく。


 添えてあるつまが大根では無くスライス玉ねぎで、彩りには大葉が使われている。


 お刺身に玉ねぎを重ねて塩オリーブオイルでいただけば、即席のカルパッチョの様な味わいだ。


「どれも美味しい!」


 ビールと箸休めの小鉢を挟みつつ、もりもりとお箸を伸ばす。


 温野菜のサラダはブロッコリや人参、ヤングコーンなどを使って色鮮やかだ。


 ドレッシングは市販だが、みじん切りの玉ねぎがたっぷり入っているイタリアン風味で、真守がこの家で暮らしていた時から好きなものだ。


「やっぱり若い子がたくさん食べるのを見るのは気持ちが良いわねぇ」


「そうだなぁ。もうこの歳になると、そうたくさんは食べられないからね」


 両親はそんなことを言いながら、ゆっくりとしたペースで食事を進めている。


「ふたりだったらご飯どんなの用意してるの?」


「野菜の煮たのだったり、豆腐とか、魚も多いなぁ。そういえば家でフライを揚げてくれるのも久しぶりだよなぁ、母さん」


「そうねぇ。ふたりだとどうしても億劫になっちゃって。食べたくなったらお惣菜を買って来るわね」


「俺もだよ。やっぱり揚げ物ってハードル高いよね。なのに母さん、俺と拓真がいる時よく作ってくれたよね」


「あなたたちがいるから揚げ物をしようって気になるのよ。お父さんとふたりだったら、そう量も食べないからねぇ」


「そうだね。私もすっかりと食べる量が減ったよ。揚げ物もそう欲しいと思わなくなったね。海老えびフライなんかも大きいのだったら1本もあれば充分だよ」


「へぇ。俺もそのうちそうなるのかな」


「個人差はあるでしょうけどね。でも真守はせ型だし、太ったりしなかったら減ると思うわよ」


「へぇ、まだ想像できないなぁ」


「まだまだ若いものね。ほらほら、お野菜もちゃんと食べるのよ」


「うん」


 真守は空になった取り皿に温野菜のサラダを取った。

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