6章 あともう少し
第1話 夏のひととき
平日の今日も仕事の
今日も良い天気だ。降り注ぐ太陽を浴びながら死神手帳を確認していると、背後から「おおい、拓真」と声を掛けられる。
この声は、と振り向くと、そこに浮いていたのは想像通りの人物。
「師匠。ご無沙汰です」
拓真が小さく頭を下げると、師匠と呼ばれた男性は「うん。お久しゅう」と口角を上げた。
師匠ではあるが、外見年齢は拓真とそう変わらない。霊体は齢を取らないのだ。なので実際は拓真よりも年上だと思う。詳しく聞いたことは無い。
「ちょっとええか?」
西の地方出身の師匠はなまりのある言葉で訊いて来る。
「はい」
死神の仕事は数人でやっているので、少しぐらいは問題無い。師匠もそんなことは承知なので来ているのだ。
「じゃあうちに来ます? うちと言っても弟の家ですけど」
「そこを寝ぐらにしとんのか。そういやそう言うとったな」
「はい」
死神にはいくつか
「そうか。弟さんにお前さんの姿が見えたんか。そりゃあ良かったな」
「はい」
師匠の柔らかな言葉に拓真も笑みを浮かべる。
家族と触れ合うことを望む死神は多い。だが大半が家族に霊的素養が無く、叶わないことがほとんどだ。
霊的素養は遺伝するわけでは無い。拓真は真守と双子なので同時に発生したが、兄弟姉妹でもある人間無い人間に分かれる。拓真は本当に幸運だった。
「じゃあ行きましょうか。こっちです」
「おう」
師匠と拓真は並んで飛んで行った。
その日の晩ご飯に、真守は冷凍しておいたご飯を解凍し、玉ねぎとほうれん草のお味噌汁を用意した。
ざく切りにしたほうれん草は、ボウルに張った水に入れてあくを抜く。玉ねぎもざくざくと切って、沸いたお出汁に入れてしばし仕込む。
ほうれん草は玉ねぎにしっかりと火が通ってから入れる。しんなりしたらお味噌を溶いてできあがりだ。玉ねぎはとろっとなって甘みが引き立つが、ほうれん草は軸のしゃくっとした歯ごたえが残る様にした。
おかずは両親が遊びに来た時に母が作ってくれた作り置きだ。
ひじきと大豆の煮物、きのこのきんぴら、里芋の煮っころがし。
冷凍しておいたので、レンジで解凍してから温めてワンプレートに盛り付けた。
鶏そぼろもあったのでこちらも温めて、炒り卵を追加で作ってご飯に乗せてそぼろご飯にする。
ありがたい母の味。真守はじんわりと煮汁を含んだひじきを噛みしめる。甘い大豆の歯ごたえも良い。お出汁をふんだんに効かせたふくよかな味わいである。
拓真も里芋の煮っころがしを口に放り込んだ。じっくりと味わって「うん」と満足げに小さく漏らす。
「こうしてさ、死んでからも母さんのご飯を食べられるって幸せなことだよな」
しみじみとそんなことを言うものだから、真守は少し不安になってしまう。
「どうしたんだよ急に。そりゃああまり無いパターンなんだろうとは思うけどさ」
「ああ、まぁ、ちょっとな」
拓真はそぼろご飯をわしわしと食べて「旨いな」とまた呟く。
「あのさ、真守」
「うん?」
真守はお味噌汁をずずっと飲みながら応える。
「もし俺がここからいなくなったらどうする?」
そんな
慌てて口を閉じて口の中のお味噌汁を飲み下し、けほけほっと咳をした。
「突然どうしたんだよ。いなくなるの? 死神じゃ無くなるとかあるの?」
真守の不安が濃くなってしまう。死神の仕事がいつまでなのか、そんな話は何も聞いていない。だが
もしかしたらその時が来てしまったのだろうか。真守はまた拓真を見送らなければならないのだろうか。
真守は拓真が
まだたったの3年。両親も明るさを取り戻した様に見えるが、まだ完全に癒えてはいない。それは真守も同じだ。
そのうち拓真は死神の仕事を終えて、真守のもとを去るのだろう。
だが願わくばもう少し待って欲しい。まだ笑って見送れる自信が無い。今度こそ
「なんて顔してんだよ」
拓真が苦笑する。真守は酷い顔になっているのだろう。頬の筋肉が引きつっている。目頭が熱い。
「まだ俺は死神のままだ。でもさ、先のことは判らないからさ」
「……そうか」
その答えは安心材料にはならない。だがそう言うには拓真にも判らないことがあるのだろう。なら真守は覚悟を決めてその時を待つしか無い。時間は掛かるだろうが。
真守は強張った顔を崩せない。拓真は真守を安心させるためか「大丈夫だって」と笑う。
「おかしなこと言って悪かったな。本当に気にしないでくれ。ほらほら、手が止まってるぜ。せっかくの母さんのご飯、旨く食べようぜ」
拓真はそう言ってからからと笑う。お
真守も同じものを口に運ぶが、切ないことにあまり味がしなかった。
夏の大型連休に入り、真守は休みの2日目に実家に帰る。
もう残暑になろうと言うのに太陽は容赦無い。真守は小形トランクを引きずりながら、はぁと熱い息を吐いた。
実家に到着すると、父も休みに入っていて、専業主婦の母とともに喜んで迎えてくれた。
「どれ、荷物を持ってやろう」
父がにこやかにそう言ってトランクを持ち上げる。
「良いって。重いだろ」
「なんの。軽い軽い」
父は笑いながらそう言って家の中に運び込んだ。
「部屋に上げておいたら良いか?」
「それこそ俺がやるから置いておいてよ」
「良いから良いから」
父は真守に構いたくて仕方が無いらしい。母はそんな父を見てにこにこしている。真守にもそれが分かったので、小さく口角を上げた。
「じゃあ頼もうかな。ありがとう」
「うん」
父は嬉しそうに頷いて、軽やかに階段を上がって行った。
「お父さん、真守が帰って来てよっぽど嬉しいのねぇ」
「父さんも母さんもたまにうちに来るのに」
「それとこれとは違うのよ。言っても真守のマンションは私たちまだなかなか慣れなくて。でもここは皆のお家だから」
「なるほどね」
確かにそうなのかも知れない。真守はもうあのマンションで数年暮らしているので、すっかり馴染んでしまっているが、両親にとってはきっとお客さま感覚と変わらないのだ。
真守もこの家に帰って来たら懐かしさにほっとする。
この家は真守と拓真が中学の時に両親が建てた家なので、例えば柱に背くらべのメモリがあったりするわけでは無い。
だがこの家で笑い、喧嘩もして、母の美味しいご飯をもりもり食べた。
ちなみのこの家を建てる前は賃貸マンションで暮らしていたので、当然柱に傷など付けられなかった。
「まずはお茶でも入れましょうかね。真守何が良い? コーヒー?」
「うん。コーヒーが良いな。俺煎れるよ」
真守が腰を浮かし掛けると、母は「良いわよぉ」とやんわり止める。
「家にいる時ぐらいゆっくりしなさいな。今日は晩ご飯家で食べるんでしょ?」
「うん。明日は友だちと飲んで来る」
「はいはい。じゃあ今日は真守の好物をたっぷり作りましょうね。何か食べたいものはある?」
「揚げ物でも良かったらあじフライ食べたいな」
「あら。じゃあ久しぶりにフライ鍋を出そうかしら。あじフライは拓真も好きだったわよね」
「うん」
だからリクエストしたのだ。できるなら拓真にも食べさせてあげたい。
拓真は今日も死神の仕事だ。死神には盆も正月も無い。いつでも人は亡くなるのだ。
そして盆は死者が増えるらしい。成仏できていない霊が活発化してしまい、いわゆる「連れて行かれる」と言う現象が起きるのだそうだ。
それも寿命のひとつではあるのだが、連れて行かれてしまった人は気持ち的にたまったものでは無いだろう。
拓真は朝から夕方までいつものエリアで死神としての仕事をして、終わったらこの実家に帰って来る予定だ。
拓真にとっては3年以上振りの実家だ。楽しみにしていてくれると良いが。
「あ、
「あらありがとう。じゃあ拓真にお供えしてくるわね」
母は真守から箱を受け取ると、ぱたぱたと和室に向かった。
ごめん母さん。そこにも墓にも拓真はいないんだ。でも夕方には帰って来るから。
真守は自分が悪いわけでも無いのに、申し訳無い気持ちになった。
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