第3話 ご褒美のかつ丼

 そうして3食分ができあがるころには、マコトちゃんもゲームにきりを付けてキッチンに入って来ていた。


 真守まもるが手際よく調理する様子を見て「うわぁ」と感心した様な声を上げる。


「男の人がお料理をするのを見るの初めてです。うちお父さんはお掃除の係で、お台所仕事はしたことが無いから」


「お父さんも家事されるってことは、お母さんお仕事をされてるの?」


 拓真たくまがフランクな言葉で話しているので、真守も自然とそうなっている。


「はい。共働きなんです。私が存分にボクシングができる様にって」


「ボクシングやってたの? 凄いね。良いご両親だね」


 マコトちゃんは嬉しそうに「はい」と笑みを浮かべた。


 さてダイニングテーブルに移って晩ご飯だ。


 真守が調理している間に、拓真が部屋からパソコンチェアを運んで来てくれていた。


 真守はマコトちゃんの前に、1番最後に完成させたほかほかのかつ丼とおはしを置いた。


 1番最初に作ったものを真守がいただく。できるだけ手早く作ったのでまだ温かみがある。


「さ、どうぞ。マコトちゃんが好きな味だったら良いけど」


「ありがとうございます! いただきます!」


 マコトちゃんは手を合わせ、いそいそとお箸を取ると、しっとり卵をまとったとんかつを大口でかぶり付き、続けて丼つゆに染まったご飯を口に運んだ。


 それをもぐもぐと良く噛んで「ふあ〜」と満足げに天を仰いだ。


「美味しいです〜。私好みのちょっと甘い味で。卵もとろとろ〜」


 拓真も丼つゆと卵が絡んだご飯を食べて「あ、本当だ」と目を丸くする。


 真守も卵が絡んだとんかつを噛みちぎり「ん」と納得の声を上げる。


 専門店のものだからとんかつが美味しいのは当たり前なのだが、お出汁をふんだんに使い、少し甘めにした丼つゆはその美味しさを壊していない。


 卵もふわっととろっとしていて、とんかつの食感を引き立たせる。


 衣が卵と丼つゆを吸っているので、さくっとした歯ごたえの半分以上は失われているのだが、肉厚の豚肉のしっとりさっくり感の満足感が高い。


 しゃくっとした玉ねぎが合わさると、また旨味が加わる。火が通ってしんなりしつつも、良いアクセントになるのだ。


 丼つゆを含んだご飯もたまらない。卵と合わせて食べるとなんとも味わい深い味になった。


「若い女の子だからね。ちょっと甘めが好きかなって思って」


「はい! あまりお醤油が多いのは辛いですけど、甘めの味付けが好きです。あ〜嬉しいです〜」


 マコトちゃんは笑顔でもりもりと丼をかっ込んだ。豪快な食べっぷりで、見ていて気持ちが良い。


「よっぽどお腹が空いていたの?」


 真守が訊くと、マコトちゃんは「そりゃあもう!」と口から米粒を飛ばさん勢いで言う。


「死神さんにはお話したんですけど、私減量してたんです。今日試合前の計量があって。なのでもうお腹ぺっこぺこで。だからクリアできたら、大好きなかつ丼食べられるのが楽しみで楽しみで。なので食べられて嬉しいです。ご褒美なんです!」


「ご褒美かぁ。じゃあ食べてもらえて良かった」


 本当なら生きて食べたかっただろう。計量を突破して、お祝いも兼ねて、試合の前に英気を養いたかったに違いない。


 だがもうマコトちゃんは試合に挑むことはできない。だからせめてかつ丼を、と思ったのだろう。とんかつは専門店に頼ったが、マコトちゃんが美味しいと思える丼つゆが作れて良かった。


「そっか、ボクシングやってたって言ってたね」


「凄いんだぜ。マコトちゃんプロボクサーなんだぜ」


「へぇ、凄いね!」


 真守は目を丸くする。格闘家には男性も女性もいるが、テレビ中継などがあるのは男性の試合が多いからか、ボクシングはどうしても男性のイメージが強い。真守が詳しく無いから余計だろう。


 男性もだが、女性の格闘家はとても格好良く見えてしまう。


 確かに小柄なマコトちゃんだが、トレーニングウェアから出た腕や脚は引き締まってすらりとしている。トレーニングの成果なのだろう。


「いえいえ、全然全然」


 マコトちゃんは大いに照れて首をこくんと傾げた。


「ジム側は現役女子校生ボクサーって売り出そうとしてたみたいです。でも実際、プロボクサーになること自体はそう難しく無いんですよ」


「そうなの?」


「はい。筆記試験と実技試験があって、ジムで習う基本がしっかりとできていたらだいたい合格できるんです」


「へぇ」


「合格率も高いんです。ちゃんとジムで合格レベルをもらってからテストを受けるので。私も一発合格でした」


「おお〜」


「そりゃあ凄いな!」


 真守と拓真が揃って拍手をすると、マコトちゃんは「えへへ」とまた照れ笑いをする。


「でもさ、親父さんはともかく、よくお袋さんが許してくれたなって感じがするぜ。娘にあんまり危ないことして欲しく無いって思うもんじゃ無いかなって」


「そう言うかなーって思って、最初はダイエット目的だってことにしたんです。それだったらそう危なくも無いから。そしたら父が凄く喜んでくれて」


「お父さん、ボクシング好きだったの?」


「と言うか、父がプロボクサーだったんです」


「へぇ?」


「そうだったんだ」


 真守も拓真もまた驚いて目を見開く。マコトちゃんは「そうなんです」と少し得意そうに胸を張った。


「プロになって、デビュー戦にKO勝ちしたんですって。だから有望だって言われて、でも勝負の世界ですから勝ったり負けたりしながら、そんな時に母に出会って結婚して。プロボクサーってお給料があるわけじゃ無くて、ファイトマネーだけが収入なんです。だから母も仕事を続けてて。そこまでは順調だったんです。でも……」


 マコトちゃんは表情を曇らす。


「父、なかなか勝てなくなっちゃったんです。それまでも負けることもありましたけど、試合数と見合わなくなって来て。同じ階級に強いボクサーがどんどん出て来て。だから他の階級への転向てんこうも考えたんですって。でも階級って、軽いのは1キロとか2キロとかの違いなんですけど、重くなればなるほど差が出て来るので、そう簡単に増やしたり減らしたりってできないんですよね。そうして悩んでいる時に、母が私を妊娠したんです」


 マコトちゃんは自分が悪いことなど何ひとつ無いのに、自嘲する様に苦笑いを浮かべてしまう。


「だから父は年齢制限を待たずに、引退してちゃんと毎月収入のある仕事をするって、言ったらしいです。私は結婚すらしていないですけど、それが母と私のためだってんだって解ります。私だって子どもを産んでたら、その子が全てになると思いますから。でも、でも!」


 マコトちゃんは辛そうな表情になる。


「私のために父がボクシングを諦めちゃったんだったら、それは嫌です。アスリートの挫折ざせつなんてものは珍しく無いんです。でもそれは自分の実力を測っての話で。父の場合はそうじゃ無かった」


 マコトちゃんは悲しげにじわりと大きなひとみを潤ませた。

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