4章 少女のご褒美ご飯

第1話 減量の結果

 夏真っ盛り、昼間の暑さがなかなか落ち切らない夕方近く、今日最後の1件だと拓真たくまが迎えに行ったのは、未成年の若い少女だった。


 露出が多めなスポーツウェアを上下にまとい、黒髪を小気味よく短く刈り上げ、小柄な身体に程よい筋肉がついたスタイルの良い少女だ。


 場所はボクシングジム。リングにぐったりと倒れる少女の身体の周りには「大丈夫か!?」「しっかり!」「救急車!」と叫び動き回る人々。ジムの生徒や指導者だろう。


 身体から抜け出た魂は、呆然とした表情で自分の身体を見下ろしていた。すると気配を感じたのか、はっとした様に顔を上げ、拓真と目が合う。次第にその顔は驚きに染まる。


「うわぁー! 何、何!? 浮いてる! おばけ!?」


 少女は慌てふためいて大声で叫ぶ。拓真は焦って「あ、あの」となだめようとする。だが少女は聞いてくれず「うわー! うわー!」とわめく。


 仕方が無い。拓真は小さく溜め息を吐くと、続けて息を大きく吸い込み、思いっきり口を開いた。


「落ち着いてくださーい!!」


 少女の声を上回る大声。少女はびくりと動きを止め静かになり、引きつった顔を拓真に見せた。拓真はふぅと一息吐いて「大声出してすいません」と謝った。


「今の状況が分かりますか?」


 拓真が穏やかに聞くと、少女はまた自分の身体を見てうろたえる。


「え、え、どういうこと? 私がふたり? え、どうなってるの?」


「大変言いづらいんですが、あなたは亡くなりました」


「は?」


 少女は目を見張る。しばし呆然とどんぐりの様な大きな目を拓真に向けた。


「……どういうことですか?」


 少女が恐る恐る聞いて来るので、拓真は「言葉の通りです。お気の毒です」と静かに応える。


 少女はまた自分の身体を見る。その身体から自分自身が抜け出ている繋ぎ目を見て「嘘ぉ」と力の抜けた声を上げた。


「私本当に死んじゃったんですか? 生き返れないんですか?」


 少女は泣きそうな顔でうったえて来る。そして「あ!」と声を漏らして自分の身体に手を伸ばした。


「身体に戻れたらもしかしたら」


 少女はそう言って足掻あがく。しかしもう駄目なのだ。拓真たち死神の迎えが来るということはそういうことなのだ。


 人は息を引き取ったあと、24時間以上安置される決まりになっている。まれにだが息を吹きかえすことがあるからだ。


 そういう人の元へは死神は行かない。行くのは確実な死を迎えた人のところだけだ。


 真守は少女にどう言えば良いのか分からず、痛ましげに見ることしかできない。


 だがどう取りつくろったところで事実は変わらない。拓真は意を決して口を開いた。


「お名前は杉原すぎはらマコトさんですね?」


「あ、は、はい」


 顔を上げた少女、杉原さんは必死の形相になっていた。


「杉原さん、本当にお気の毒なんですけど、もう生き返ることはできません。俺は死神で、あなたを迎えに来たんです」


「どうしても駄目なの? 私、まだ夢を叶えて無いのに。なんでこんなことに」


 杉原さんはもう泣き出さんばかりだ。本当にお気の毒だと思う。だが今の拓真ができることは杉原さんに死を受け入れてもらい、三途さんずの川にお送りすることだけだ。


 もしお話がしたいのであれば聞き役になるし、叶えたいことがあるのなら、拓真にできることなら協力を惜しまない。もちろん内容によるのだが。


「私、どうして死んじゃったんですか?」


「理由はこちらでは判らないんです。ごめんなさい」


「そうですか……。あ、もしかしたらあれかな」


 杉原さんは心当たりがあるのか、顔をしかめる。


「無理な減量したからか、ふらついてこけて、受け身取れなくて頭強く打ったんだよね……。それかな」


 杉原さんはぶつぶつと己の死因を解明しようとする。それが正解かどうかは拓真には判らないので曖昧あいまいに微笑んだ。


「でもそうですかぁ……。じゃあ私はこれからどうなるんですか?」


「三途の川にお送りします。それから閻魔えんまさまの裁判を待っていただきます」


「あ、聞いたことあります、そういうの。本当にあるんだぁ」


 杉原さんは感心した様に言う。若いだけに受け入れたら柔軟なのだろう。


「あーあ。やっと計量終わったから、今夜は好物食べようと思ったんだけどなー」


 食べたいもの。そこで拓真はついぴくりと反応してしまう。


「食べたいものがあるんですか?」


「はい。今日軽量があって、あ、ボクシングの初試合、デビュー戦の。ずっと減量をしていたんです。まだ慣れていなくて貧血とか起こすぐらいに無茶をしちゃって。格闘技って、個人差はあるとは思うんですけど、私は軽い方が有利で。だからアトム級で。さっき無事クリアしたんです。でもそれが原因になっちゃうなんて参ったなー」


 杉原さんは苦笑して首筋をく。


「今日試合だったんですか?」


「試合は明日です。計量は前日にするんです。そこでオーバーしていたらアウトです。当日の計量もありますけど、その時は少しぐらいなら増えてても大丈夫で、だから計量が終わったら好きなものが食べられる、それを励みに頑張ったんですけど……クリアできたって言うのにこんなことになっちゃいました。本当に悔しいです」


 杉原さんは苦しそうに顔を歪めてしまう。アスリートなら負けず嫌いの人も多いだろうから、相当辛いだろう。


「何より試合ができなかったのが悔しいです。せっかくプロになれたのに。……ああ〜、とんでもない心残りができちゃった」


 杉原さんは言って、無念そうに天をあおいだ。


 ボクシングは拓真も全く詳しく無く、どうにかしてあげることはできないだろう。当然試合の様なことをしてあげることもできない。


 だが食べたいと言っている好物なら。真守の力を借りることができるかも知れない。


「杉原さん、俺はボクシングはからっきしなんですけど、好物だったら食べてもらえるかも知れません」


「え、本当ですか?」


 拓真の言葉に、杉原さんの顔に明るさが滲む。


「はい。俺の弟が生きてて、ご飯関係協力してくれるんです。なんかややこしい名前のフレンチとか、そういうのんじゃ無かったら大丈夫だと思うんですけど」


「あはは。私そんなおしゃれなの良く分からないですよ。でもお願いできるなら嬉しいです。試合はできなかったけど、減量達成のご褒美ほうび食べたいです」


 杉原さんはそう言って嬉しそうに微笑んだ。それで少しでも杉原さんの心残りが減らせるのなら。


「じゃあ行きましょう。杉原さんの好物ってなんなんですか?」


 拓真が聞くと、杉原さんは満面の笑みで高らかに右手を上げた。


「かつ丼!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る