第8話 交差する思い

 予想していた時間より遅くに拓真たくまが戻って来た。その顔はとても晴れやかで、良いことがあったのだと見て取れた。


「ただいま」


「お帰り。さっきの味噌鍋で雑炊作るけど食べる?」


「お、食べる食べる。なにそれめっちゃ旨そう」


「美味しいよ〜。ちょっと待っててね」


 真守まもるは冷凍庫から冷凍しておいたご飯を出し、レンジに入れて解凍する。その間に土鍋に少しお出汁を足して中火に掛け、ボウルで卵を解す。


 レンジが解凍終了の音を立てる。まだ冷たいままだが大丈夫。


 ふつふつと沸いて来た味噌鍋の残りに入れる。すると徐々に火が通って来てご飯がほろほろとほぐれて来る。


 やがてご飯がお味噌のお出汁を吸い始めてふっくらと膨らんで来る。水分が少なくなって来たところで卵を回し入れ、極弱火にしてふたをした。


 真守はお茶碗と木のスプーンを用意し、冷蔵庫から青ねぎを出す。味噌鍋の支度の時に小口切りにして、タッパに入れておいたものだ。


 蓋を開けるとふわぁっと湯気がのぼり、卵は半熟でとろとろになっている。良い塩梅あんばいだ。そこに青ねぎをたっぷりと乗せたら。


「はーい拓真、味噌雑炊お待たせ〜。お茶碗とスプーン運んでくれる?」


「はいよ。ありがとう。楽しみだ」


 拓真がお茶碗とスプーンを運び、真守は土鍋にお玉を添えてテーブルに運んだ。お茶碗によそうとほかほかと湯気が上がり、豊かな香りがふわりと漂う。


「うわぁ、凄っごい旨そうだな! いただきます」


「いただきます」


 手を合わせ、拓真はさっそくスプーンを取ると味噌雑炊をすくい口に運ぶ。もぐもぐと噛んでふにゃあと表情を緩ませた。


「旨いなぁ〜しみじみ旨い。なんで味噌ってこんなにほっとするんだろうなぁ」


「本当だねぇ」


 真守も一口食べて「うん、美味しい」と微笑んだ。


 お肉やお野菜、あさりから出た旨味と味噌をご飯が吸ってふわふわになり、半熟の卵がとろりとして柔らかな味わいが足され、とてもふくよかで優しい美味しさだ。


「なんか今日頑張ったご褒美みたいな感じがするぜ。柏木かしわぎさんにも食べて欲しかったな」


「そうだね。俺もそこまで気が回らなかったよ。うっかりだね。これね、チーズ入れても美味しいんだよ。今日はお腹もいっぱいだから入れなかったけどね」


「へぇ、味噌にチーズって合うのか」


「発酵食品同士って合うんだよね。さっき味変で使ったキムチもそうだよ。今度味噌でリゾットとか作ってみようか」


「それ良いな。食べたい」


「うん。ところで拓真」


 真守がにやりと口角を上げた。


「良いことあったんじゃ無い? 柏木さん?」


 すると拓真は嬉しそうに微笑む。


「それがさぁ」


 拓真は葬儀場でのできごとを詳しく話してくれた。それは真守にとってもとても嬉しいことで、スプーンを手にしながらも自然とにこにこしてしまう。


「そうなんだ。それは良かったね。それじゃあ家政婦さんもずっともどかしかっただろうね。でも最後に柏木さんに伝わって良かったよ」


「おう。柏木さん、本当に嬉しそうだった。幸せそうに三途の川に行ってくれたよ。でさ、そうなっちゃうと、家政婦さんにそれを伝えたくなっちゃうんだよなぁ」


「解る。でも難しいよね。口実はどうにでもなるけど、柏木さんのお家が分からないもんね。あ、拓真には分かるの?」


「いや。魂の回収は病院だったし、さっきもすでに葬儀場だったからな。葬儀場からしてそう遠くは無いと思うんだけど」


「養父が政治家だから、柏木っていう政治家探したら……、あ、でも家までは分からないか」


「事務所とか後援会とかあるかも知れないな」


「そうだね。ちょっと調べてみるよ。柏木って政治家が複数人いなかったら良いんだけど。下の名前まで聞かなかったからね」


「このあたりで事務所とか構えてる政治家に絞ってみようぜ」


「そうだね。巧く見付けられると良いけど」




 片付けを済ますと、真守はさっそくパソコンを使って情報を集め、柏木さんの養父だと思われる政治家の事務所を見付けることができた。


 養父と話したいと言っても門前払いされる可能性が高いし、もしコンタクトを取ることができても、養い子である柏木さんに関することは、表向きは受け入れられても現実にはスルーされるだろうと思われた。


 なので秘書の方に連絡を取ることができないかと思案する。秘書なら柏木家のあり様にも通じているだろうから。


 そうして数日後、真守はカフェで養父の第二秘書さんに会うことができた。


 柏木雅樹まさきさんのことで家政婦の中田さんにお伝えしたいことがあると言うと、すんなりと受け入れてくれたのだ。やはり家庭の事情を理解されている様だ。


 真守は柏木さんの生前の友人だと名乗った。そして拓真と相談をしながら丁寧にしたためた直筆の手紙を第二秘書さんに託した。


 真守の連絡先などは記さない、一方通行の手紙だ。


「柏木さんが中田さんに感謝をしていたとお伝えする手紙です。検閲けんえつなどがいるんでしたら、この場で読んでいただいても構いません」


 すると第二秘書さんは「いいえ」と感傷にふけった様な表情で首を振る。


「私は立場的に何も申し上げることができませんでした。ですが雅樹坊っちゃまのことは不憫ふびんだと感じておりました。まだお若いですのにご逝去せいきょされたこと、本当に無念です。ですが中田に感謝をしてくださった、あの環境にあってそう思っていただけていたことが救いです。中田も喜ぶことでしょう。お手紙は確かに中田にお渡しいたします」


「よろしくお願いします」


 真守が頭を下げると、第二秘書さんも深く頭を下げた。


 差し出がましいことかも知れない。柏木さんも望んでいないかも知れない。


 だが柏木さんがありがたいと、嬉しいと思ったこと、中田さんが慈しんでくれたことを、交差させてあげたいのだ。


 柏木さんには中田さんの心が届いた。なら今度は柏木さんの思いを伝えるべきだと思ったのだ。


 つたない手紙である。だがこれが少しでも中田さんの喜びになればと思う。




 中田さま



 前略


 私は柏木雅樹さんの友人の弓削ゆげ真守と申します。


 雅樹さんの生前には、本当にお世話になりました。



 私は雅樹さんの事情をお伺いしておりました。


 義弟ぎていさんがお産まれになってから、中田さまに育てていただいたことも承知しています。



 雅樹さんは中田さまに懇切こんせつに育てていただいたことを、とても感謝しておられました。


 中田さまがおられたから、あのご家庭でもまっすぐに育つことができたのだと、私に話してくれました。


 雅樹さんのご逝去は急なことでしたので、そうした思いを中田さまにお伝えできなかったのではと思い、僭越せんえつながらこうして手紙をお送りさせていただきました次第です。



 雅樹さんのことは本当にお気の毒でした。私も雅樹さんが安らかに眠れる様お祈りいたします。


 どうかお気を落としになりません様。健やかにお過ごしくださいませ。



 敬具

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