3章 癒しの母の味

第1話 翳りの始まり

 数日も経つと、さすがに真守まもる拓真たくまのことが夢では無いと分かり始めていた。


 あれから何度か寝て起きて、何度か拓真に見送られて会社に行き、何度か出迎えられて帰宅し、何度も一緒にご飯を食べた。


 こんな不思議なことがあるのだなと、目の前で木の葉丼を頬張る拓真を見て思う。


 そして考えてみたら、食費などがふたり分に増えていることが地味に痛い。


 特に家計簿などを付けているわけでは無いが、1週間におおよそこれだけの予算で、と決めている金額から足が出たりしているのだ。


 もともとそう贅沢ぜいたくをしているわけでは無かったが、内容がかたよらない様に、野菜不足にならない様に、今まで以上に知恵を絞る必要が出て来た。


 と言うわけで、今日はかまぼこと玉ねぎ、えのきで作った木の葉丼だ。


 保存がしやすい玉ねぎは特価の時に買って常備してあり、かまぼことえのきが今日の特価だったのだ。卵も使い勝手の良い食材なので、いつでも買い置いてある。


 お出汁と日本酒、お砂糖に薄口醤油で割り下を作り、スライスした玉ねぎとかまぼことえのきを煮て、最後に溶き卵を落とす。


 卵はふんわり半熟に仕上げるために、2回に分けて入れる。2回目の後は軽い火通りで大丈夫だ。それをほかほかのご飯の上に盛り付け、青ねぎの小口切りを散らすと彩りも綺麗だ。


 お味噌汁には乾燥わかめとお麩を入れた。こうした乾物も特価の日に買ってストックしているのだ。


 今まではその日に食べたいものを買うことも多かったが、こうして特価品などでお献立を考えるのもなかなか楽しいものである。もしかしたら自分はいわゆる家庭的なのでは無いかと思い始めている。


 いつでも安いもやしなどもせいぜい使うことにしている。幸いにも拓真は文句ひとつ言わずなんでも食べてくれるので助かっていた。


 そういえば、朝と晩は真守が用意したものを食べているが、昼はどうしているのだろうか。それを聞いてみると。


「俺はもう死んでるんだぜ。ご飯を食べる必要は無いさ」


 そうあっけらかんと答えられてしまった。


「じゃあなんでうちでは食べてるんだよ」


「必要は無いけど、それぐらいの楽しみは欲しいってことだ。だからこれからもよろしくな」


 そう無邪気ににっと笑われると、少しぐらい経済が圧迫しても頑張ろうと思ってしまう。真守もふたりの食卓が楽しいので、それが続くのならそれで良いかと思う。


「また母さんのご飯も食べたいけどな。さすがにそれは難しいよなぁ」


「母さん、うちに来る時は食材持って来て、大量の作り置き惣菜作ってくれるよ。実家に行っても持たせてくれるしね。しょっちゅうじゃ無いけど。そしたら食べさせてあげられるね」


「そっか。そりゃあ楽しみだ。真守のご飯も旨いけどな」


 拓真は言いながら木の葉丼を平らげた。




 数日後の夕飯後、部屋のテレビでゲームをしていた真守のもとに、実家の母から電話があった。真守はコントローラーを置いてスマートフォンを取り上げる。


 機械類にうとい母は、数年前に携帯電話こそスマートフォンに機種変更したが、通話とキャリアメール、カメラ機能ぐらいしかろくに使うことができず、アプリを使いこなすなんてことは難しかった。


 なので父とはメッセージアプリでやり取りをしているが、母からの連絡はもっぱら電話だった。


「今度の土曜日、お父さんとそっちに遊びに行って良い?」


 真守がひとり暮らしをしているマンションは実家よりも都会なので、両親は気分転換も兼ねてこちらに来たがった。


 発展した街のおしゃれなカフェでティタイム、などがふたりの憧れなのだ。


「うん、大丈夫だよ。何時頃になりそう?」


 そうして軽く打ち合わせなどをして通話を切る。真守はベッドの上で真守のタブレットをいじっている真守に声を掛けた。


「拓真、今度の土曜日に父さんと母さん来るって。母さんのご飯が食べられるよ」


「本当か?」


 拓真はぱっと表情を輝かせた。


「そりゃあ嬉しいな。楽しみだ」


「父さんたちと一緒に食べてもらうことはできないけどね。父さんたちに拓真の姿が見えないんだったら、ご飯だけが動く怪奇現象になっちゃう」


「そうだよなぁ。でも一緒にいるのは良いだろ?」


「それはもちろんだよ。それまでは俺のご飯で我慢してね」


「真守のご飯も旨いって」


 おどける様な真守の言葉に、拓真はおかしそうに笑った。




 真守と拓真の母は料理が好きで、いつも手間暇掛けて凝ったご飯を作ってくれていた。


 休日の昼こそ焼きそばや炒飯、うどんなどの比較的手軽なものだったが、晩には揚げ物をするのもいとわなかった。


 お陰で真守たちが育ち盛りだった時には、揚げたての美味しい唐揚げやフライをお腹いっぱい食べることができた。特に作るのが大変なコロッケもいちから作ってくれた。


 だがある日から、母がまともにキッチンに立てる日がぐっと少なくなった。拓真の逝去せいきょが原因だった。


 うだるような暑い日が続くある日、真守は大学の講義中で、その間は受信音を消していたので母からの電話に気付かず、終わってから折り返した。


 だが電源が切られているむねのアナウンスが聞こえるだけで通じない。


 嫌な予感がした真守は父に宛ててメッセージを送る。


『母さんから電話あって折り返したけど、電源入れてないみたいで連絡がつかない。何かあった?』


 もう昼を回っていて、その日真守が受ける講義は終わっていたので、大学内のセルフサービスのカフェに入り返信を待った。


 すると頼んだアイスコーヒーも無くなりつつあった数分後に、父からのメッセージが届く。


『今連絡しようと思っていた。拓真が事故にった』


 そして続く、拓真が搬送はんそうされたという警察署の場所。


 読んだ瞬間、真守の身体から血の気が引いた。めまいがし、心臓の動きが早くなる。真守はとっさにこぶしで心臓を抑えて腰を曲げた。


 はぁ、はぁ、と息が荒くなる。その時、同じ講義を取っている友人がトレイを手に側を通りかかった。


弓削ゆげ? どうした?」


 友人はトレイを真守のテーブルに置くと肩に手を置く。そこで真守ははっと我に返って顔を上げる。目の前には気遣わしげな友人の顔。


「……あ、高田たかだ。拓真、兄さんが事故に遭ったって連絡があって」


 すると高田は「大変じゃ無いか!」と声を上げた。


「行くんだろ? 大丈夫か? 一緒に行こうか?」


 親切な高田はそう言ってくれるが、真守はそれはさすがに申し訳無いと「ありがとう、大丈夫だ」とふらりと席を立った。


「ふらついてるじゃ無いか。しっかり」


 高田が言って真守の身体を支えてくれる。


「お前車通学じゃ無いよな? 車は絶対に使うなよ。できたらタクシーに乗った方が良いぞ」


「いや、タクシー高いし」


 冷静とも言えるせりふだが、この場においては間抜けだった。高田に「そんなこと言ってる場合か」ととがめられる。


「やっぱりお前普通じゃ無いな。ちょっと待ってろ」


 高田はテーブルに置いた自分のトレイはそのままに、真守の食器とトレイをてきぱきと片付け、真守の腕を取った。


「タクシー捕まえに行くぞ」


 真守たちが通う大学はマンモス校で、だからなのかは分からないが正面の門前にタクシー乗り場があった。だが場所が場所なだけにいつでも停まっているわけでは無い。


 だが高田に支えられながら向かうと、幸いと言って良いのかどうか、エンジンが掛かったタクシーが一台停まっていた。


「弓削、行き先はどこだ? ちゃんと運転手に伝えられるか?」


「大丈夫。世話掛けてごめんね」


「何言ってるんだよ。お兄さん大丈夫だと良いな」


「ああ」


 そうして真守はタクシーに押し込まれ、高田に見送られて警察署に向かった。


 現金の持ち合わせが足りなかったので、念のためにと両親に持たされている、家族会員のクレジットカードで支払ってタクシーを降りると、やはりまだ足元はふらついていた。


 タクシーの中では嫌な想像しかできず、真守はうつむいてひざを見つめながら、ただただ時間が流れるのを待った。


 そもそもどうして事故に遭ったのに警察署なのか。なぜ病院では無いのか。


 父は詳しいことを知らせてくれなかったので、余計に悪い方に考えが行ってしまう。


 真守はどうにか真っ直ぐ歩く様に意識して、踏ん張りながら警察署に入る。受付に聞いてみると安置室に案内された。


 するとストレッチャーに乗せられた長い盛り上がりにすがって泣く母と、そんな母の肩を支える様に抱く鎮痛ちんつうの面持ちの父がいた。


「……父さん、母さん」


 真守が入り口でかすれた声を掛けると、母は弾かれた様に涙でぐちゃぐちゃの顔を上げた。そして「まもる」と呆けた声を上げた。


「まもる、たくまが」


 真守がストレッチャーにふらふらと近付くと、母が手を伸ばして来るのでそろそろと取る。


「たくまが」


 そして真守は拓真の顔を見た。目は閉じられ、唇も引き結ばれ、顔に血の色は通っていない。まさに魂が存在していない空っぽな感覚。


 それが心に伝わった途端、真守の視点がぐにゃりと歪み、その場で失神してしまった。

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