第6話 今生の別れ

 お腹が落ち着いてペースも緩やかになったころ、3人はすっかりと寛いで、柏木かしわぎさんの義弟ぎていさんの話になる。


「これがちょっと荒れてねぇ。義弟はね、小さいころから「長男の俺はできが悪い。だから父の跡を継ぐのは次男のお前だ」って言われて、そりゃあ甘やかされて育って来たんだよ。俺はいないものと思えって。だから義弟には結構無視されてたなぁ。それはなんとも思わなかったんだけどね。面倒なのはできの悪い振りすることだったよ。成績をね、赤点ぎりぎりのところに抑えなきゃいけなくて。俺勉強結構好きだったから、ちゃんとテスト受けてたらもうちょっと点取れてたと思うんだけど、それができなくて」


「でも義弟さんとは5つも離れてたんでしょう? ちゃんとしててもそんなに影響無かったんじゃ無いですか?」


 真守まもるが訊くと、柏木さんは「それがねぇ」と少しおかしそうに笑みを浮かべる。


「テストの成績はそうでも、進学はね、養父も行った学校に行けって言われるんだよ。もちろん義弟も同じとこ。そこでもし教師に「お兄さんは優秀だった」なんて言われるようなことがあったら駄目なんだよね。だから進学のために勉強はするけど、テストはあまり点を取らない様にしてたんだよ。教師にしてみたら不思議だったと思うよ。いつも赤点すれすれの生徒が偏差値高い学校に合格するんだから。幼稚園のお受験の時はまだ義弟は産まれて無かったから、養父母も俺の受験に熱心だったけど、小学校受験からは「失敗するな」としか言われなくなったよ。まぁそんなので、T大学に俺は現役で合格したわけなんだけど」


「凄いですね!」


 真守が素直に賛辞を贈り、拓真たくまも「へぇ〜」と感心した様な顔をすると、柏木さんは「いやいや」と照れた様に首を振る。


「勉強ぐらいしか趣味と取り柄が無かったからね。問題はそのあと。義弟が受験の時には俺は卒業して就職してたんだけど、その義弟がね、受験失敗しちゃって」


「ああ……」


 真守も拓真も眉根を寄せる。できが悪いと言われている兄が合格した大学に、できが良いはずの自分が合格できなかった時の衝撃は確かに大きなものだろう。


「なんで合格できないんだって暴れて暴れて。義弟は勉強が特別できる方じゃ無くて。悪くは無かったはずだよ。普通ぐらいかな? だから幼稚園から高校までの私学は入試に手心があったかも知れない。憶測だけどね。でもT大は国公立だからそれができないからね。滑り止めの私学はそれができたからか合格したから、まぁ少しは落ち着いたけど、当初は俺に「どんな手使ったんだ」って突っかかって来られて大変だったよ」


「どんな手も何も、国公立には何もできないでしょう?」


「本来なら私学にもやっちゃいけないんだけどね。卒業生の有力者から高額の寄付金もらっちゃったらね、まぁ無言の圧力ってやつかな。でも国公立では効かないからね」


「なんというか、聞いていると、柏木さんは家政婦さんにちゃんと育てられて、義弟さんは実の親に歪んだ育てられ方したなぁって感じがします」


 顔をしかめた真守の言葉に柏木さんは「ああ〜」と呆れた様な息を吐く。


「なんでも許されて甘やかされた王子さまだからね。学校でもほら、それなりの学校で政治家の息子だって触れ込みだったら、周りもそう扱うんだよ。子ども同士ならともかく親の関わりがね、あるから。家と学校関係だけの狭い社会で育ったからね。そう思うと義弟が産まれなかったら、俺がそうなってた可能性があったんだから、今にして思えば家政婦に丸投げしてくれて良かったって思っちゃうよ」


「でも義弟さんに跡を継がせるつもりなんでしょう? そんな育て方したら駄目だったんじゃ無いですか?」


 拓真が言うと、柏木さんは「うーん」と唸る。


「実子を諦めていての授かりだったからね。だから余計にはっちゃけちゃったんだと思う。言い方を変えれば「大事にし過ぎた」だから。大学出たら、いきなり養父の秘書からキャリアスタートだってさ」


「政治家の秘書なんて大変な仕事っぽいですけど、言っちゃあなんですけどつとまるんですか?」


「養父の秘書はひとりじゃ無いからね。第一秘書第二秘書って何人かいるから。そこは下っ端からのスタートじゃ無いかな。義弟はあれだから軽く考えているかも知れないけど、下手を打てない仕事だよ。俺なんかは事務所の雑用係から始めた方が良いと思うんだけど、そこはまぁ養父の甘やかしも入ってるんだろうね。でも実際現場に入れば甘くも軽くも無い。養父の他の秘書は優秀だって聞いているから、養父の懐にいながら威光が効かないところでもある。俺は結局環境が環境だったから、義弟に兄らしいことなんて何ひとつできなかった、というかしなかったけど、ここいらで頭を打つのも必要なんじゃ無いかな」


「政治家を目指すんなら、地盤の信用なんてものも必要ですもんね」


「そうそう。まぁ俺はもう死んじゃったんだし、柏木家がどうなろうが知ったこっちゃ無いとは思う。でも政治家であるんだったら、政治家になるんだったら、ちゃんと国民のためのことをして欲しいと思うし、不幸にはなって欲しく無いと思うよ。清廉潔白せいれんけっぱくなんて潔癖けっぺきなことを言うつもりも無いけど、そこはそれなりのことをして欲しいよね」


「そう、ですね。できたら俺だって政治家に失望なんてしたくないですから」


「ねぇ。いつもなんやかんやあるもんねぇ。でも俺、こんな話しちゃうってことは、その辺りが心残りだったのかなぁ。今は彼女も好きな人もいなかったからそこは大丈夫だし、仕事はそれなりに充実してたけど、俺ひとりがいなくなったところで、どうにかなるわけでも無いしね。俺にとっては良い家庭じゃ無かったけど、やっぱり思うところがあるのかも知れないね」


「良くも悪くも「家族」ですもんね」


「うん。それに家政婦もね。これからもあの家に仕えて行くんだと思うけど、そろそろゆっくりして欲しいなぁとも思うんだよね。家政婦って定年が無いから引き際が難しそうなんだけど、もう一般企業なら勇退してる年齢だし。愛情云々は別として俺をきちんと育ててくれた人だから、凄い恩を感じてるんだ。その恩返しができなかったのも気掛かりかも。俺は養父母に育ててもらったわけじゃ無いから、親孝行をするって言ったら家政婦だったんだと思う。ただね、俺は家政婦の実の子どもじゃ無かったし、家政婦にしてみたら雇い主の子どもだからその線引きはしてたと思う。それは俺も感じてたから、甘えたりもできなかった。でもそれと恩は別だからね。それにしても俺、本当にちゃんと育ったなぁって思うよ」


「愛情不足で子どもが歪んで育つなんて話も聞いたことありますしね。それだけ柏木さんが賢かったってことなんだと思います。それこそ養父さんも柏木さんを跡取りにしてたら安泰だったと俺なんかは思うんですけどね」


「ああ。俺もそう思います」


「そんな、買い被り過ぎだよ」


 そう手を振りながらも柏木さんはまんざらでも無い様な笑みを浮かべる。


「まぁね、俺は養子だから、義弟が産まれてなくても義弟みたいな育てられ方はしなかったかも知れないしね。まぁたらればを言っても仕方が無いけどね。そうだなぁ」


 柏木さんはふと残り少なくなった土鍋を見る。煮詰まりそうだったので火を消したので、土鍋であっても冷えつつある。


 だが冷たい味噌だしもそれはそれで美味しいものである。柏木さんはとんすいに残っていた味噌だしをずっと飲み干してしみじみと言った。


「1度で良いからさ、家政婦とこうして鍋のひとつでも囲んでみたかったよ。義弟が産まれるまでは養父母と囲ったことはあったかもね。でも俺は覚えて無いから。義弟が産まれて養父母と俺は親子じゃ無くなったから、あの人たちとそうしたいって思わなかったけど、家政婦とはね、1度くらいはね。食事の時はね、家政婦は俺の近くに控えてるんだけど、一緒に食べてくれることは無かった。だから特にひとり鍋食べてる時は、なんだこれって思ったよ。あ、家政婦はふたりいて、食事の時はもうひとりが養父母と義弟の世話してた。だから俺は親代わりの家政婦と一緒だったんだけど。でも一緒には食べてくれなかったんだ。それが家政婦の仕事なんだろうけど、親代わりだって言うのならそれぐらいして欲しいって思うのはわがままかな」


 真守と拓真は揃って首を横に振った。誰かと暖かな食卓を囲みたい、それは当たり前の欲求の様に思える。


 今はひとり暮らしの真守も家族との食事は楽しかった。拓真が欠けてしまった一時期は地獄にも似た食卓だったが。


 柏木さんが家政婦さんとそれを望んでもおかしく無い。ひとり暮らしでも無い家で毎日ひとりで向かう食卓は、侘しいものだったのでは無いだろうか。


「それは叶わなかったけど、拓真くんと真守くんが家に入れてくれて、美味しい鍋をごちそうしてくれて、本当に嬉しかった。やっぱり家で食べる鍋って特別って感じがするよ。その人のテリトリーに入れてもらって、同じ鍋をつつくって良いものだね。思い残すものが無いって言ったら嘘になるけど、なんか吹っ切れた気がする。もともと拓真くんが迎えに来てくれた時からごねるつもりも無かったんだけど、こんな素敵な人生のおまけを用意してくれて、本当に感謝してる。拓真くん、真守くん、ありがとう」


 柏木さんはそう言って頭を深く下げた。これには真守も拓真も慌ててしまう。


「そんな、頭を上げてください」


「そうですよ。鍋は食べてもらえたけど、やっぱり家族の団欒だんらんとかそういうのとかは程遠くて」


「ううん、そりゃあ家族と食べる鍋とは違うんだろうけど、美味しく食べて、楽しく話して、ってほとんど俺が一方的に聞いてもらってたんだけど。本当に充分だよ」


 柏木さんは言ってにっこりと笑う。確かにその笑顔には清々しさを感じた。


「そう言ってもらえて良かったです。作った甲斐がありました」


「俺も。押し付けがましいかなって思ったんですけど、良かったです」


「うん。特に俺たちみたいに事故死の場合は、死んじゃう覚悟なんてできてないから、余計に心残りみたいなものがあるかも知れない。特に若かったらそれだけ割り切れるものでも無いだろうしね。だからね、もしこれから拓真くんが迎えに行く人にそういう未練というか、そういうのがあったら、叶えてあげて欲しい。もちろん死神にもルールはあるだろうから、逸脱いつだつしない範疇はんちゅうで。そして拓真くんにできる範囲で。真守くんも協力してもらえたら嬉しいな。俺なんかがお願いするのもおかしいかも知れないけど、俺はこうしてもらえたのがとっても嬉しかったし癒されたから」


 柏木さんはそう言って、首を傾げつつ眉尻を下げた。無茶を言っている自覚があるのだと思う。少し不安な様な困った様な表情だった。拓真はにっこりと笑って頷く。


「はい。俺ができる範囲で、真守にあまり迷惑を掛けない程度で、できることをやってみます。今回柏木さんに来てもらったのは思い付きみたいなものでしたけど、これから心掛けてみたいと思います」


 すると柏木さんはほっとした様に頬を緩ませた。


「ありがとう。これで安心して成仏できるよ。俺が心配することじゃ無いんだろうし、余計なお世話なんだろうけど、俺は嬉しかったからさ」


「はい」


 真守と拓真が揃って強く頷くと、柏木さんは「うん」と満足げな笑顔になった。


「じゃあ拓真くん、行こうか」


 柏木さんはそう言って立ち上がり、拓真も腰を上げる。


「じゃあね、真守くん。お鍋美味しかった。素晴らしい最後の晩餐ばんさんになったよ」


「いえ。えっと、もうお会いできないんですね。ちょっと残念です」


 真守がしんみりしてしまうと、柏木さんは「あはは」と笑った。


「俺はもう死んでて、これから天国か地獄に行くからね。でも、またね、って言って別れるのが良いね。会えないって分かってても。じゃあ真守くん、またね」


 柏木さんがそう言って右手を差し出して来る。真守はそれをそっと取り、次にはぎゅっと両手で握った。


 今生の別れだ。今日会ったばかりの人だと言うのに、少しばかり目頭が熱くなってしまう。


「いつかまた。お元気で」


 そして拓真と柏木さんは窓から出て行った。真守はその姿が見えなくなるまで窓際で見送る。もうすっかり陽は落ちて、暗い空には少ない星がちらついていた。


 これから柏木さんには閻魔えんまさまの裁判が待ち受けている。


 できることなら天国に行って欲しい。生前大変な思いをして来たのだ。それぐらい報われても良いのでは無いだろうか。


「さ、片付けるか」


 いつまでも感傷に浸っている場合では無い。お鍋の片付けをしなければ。


 真守はとんすいやお箸、グラスをシンクに運び、まだお出汁が残っていた土鍋は蓋をしてコンロに置いた。

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