第5話 疑似家族の団欒

 食材を抱えて家に帰ると、柏木かしわぎさんは暗い部屋で遠慮がちに正座をして、テレビでクイズ番組を見ていた。


「柏木さん、ただいま帰りました。灯りを点けますよ」


「ただいま〜」


 真守まもるが電気を点けると、柏木さんは「お帰りなさい。お邪魔しているよ」と笑顔を見せる。


「柏木さん、なんで暗いところで」


 拓真たくまが言うと、柏木さんは「いやぁ」と弱った様に頭を掻く。


「やっぱり人の家ってなかなか慣れなくて」


「ゆっくりしてくださいね。もう少し待ってください。すぐにご飯にしますから」


 真守が言ってエコバッグから買って来た食材を出して行く。肉類は一旦冷蔵庫に入れておき、あさりはバットに移して塩水を張って砂抜きさせる。


「真守、何作ってくれるんだ?」


「お楽しみだよ〜。って言ってもすぐに分かっちゃうと思うけどね」


 真守は言いながら大きめな土鍋を出す。


「お、鍋か」


「うん。味噌鍋にしようと思って。食べる時にキムチで味変するんだよ」


「旨そう。え、それ母さんのレシピにあったっけか」


「ううん、俺のオリジナルって言うか。ほら、味噌汁作った時に作れないかなって思ってひとり鍋やってみたんだよ。そしたらこれが結構いけてさ」


「へぇ、楽しみだな」


 まずはもやしの処理だ。ざるに入れて水洗いをし、水気を切ったら1本1本ひげ根を取る。面倒と思われる工程だが、これをするかしないかで歯ざわりがぐっと変わって来る。


 土鍋にざく切りしたきゃべつを敷き、その上にもやし、油抜きした厚揚げ。そこに水を入れて火に掛ける。


 沸いて来たら顆粒だしを入れ、日本酒を加えて合わせ味噌を溶く。


 そこに椎茸と大きく割いた舞茸、一口大に切った鶏もも肉と豚ばら肉を入れ、表面の色が変わったらあさりと豆苗を乗せてふたをする。


 その間にキムチを器に移しておき、おはしやとんすいを出しておく。


「あれ、ひとり暮らしなのにとんすいみっつもあるんだ。土鍋も大きめだし」


「うん。前に父さんと母さんが来た時に鍋やってさ。土鍋もとんすいもその時に買ったんだよ。とんすいは5つ入りのセットだったからあとふたつあるよ」


「なるほどな。しっかし良い匂いだな」


「でしょ〜。お味噌は日本人の五感をくすぐるよね」


 すると柏木さんも気になったのか、近くに寄って来た。


「あ、本当だ。美味しそうな香りだねぇ。お味噌なんだね」


「はい。もうできますよ。拓真、カセットコンロって出せる? ここに入ってるんだ」


 行儀ぎょうぎが悪いと思いながら、足を上げてシンク下の物入れを示す。


「はいよ」


 拓真がカセットコンロを出し、ボンベを少し振って容量を確認してからあらためてセットする。


「はい、できたよ! 拓真、ごめんだけど部屋の方から椅子持って来てくれる? デスクのとこの椅子」


「パソコン置いてあるとこのやつな。オッケー」


 そうして動く真守と拓真を見て、柏木さんはおろおろと「俺も手伝うことあるかな」と訊いて来る。


 真守は一瞬「柏木さんはお客さまだから」と思う。だがすぐに思い直す。拓真は柏木さんに団欒だんらんを味わって欲しいのだと言っていたでは無いか。


 ならいつまでも遠慮えんりょさせたままでは、そして遠慮したままではいけない。


「じゃあとんすいと箸とキムチを運んでもらえますか?」


「うん」


 柏木さんはほっとした様な顔になって、お願いしたものをテーブルに運んでくれた。


 真ん中には拓真がセットしてくれたカセットコンロ。その周り、3脚の椅子の前にそれぞれとんすいとお箸を置いてくれる。キムチはどの席からも取りやすい位置に。


 カセットコンロの上に真守が鍋を置いて火を着けた。すでにできあがっているので弱火だ。保温性の高い土鍋はぐつぐつと音を立てている。


「飲み物どうしよう。コーラとサイダーとビールがあるけど」


「俺はビールがあると嬉しいな」


「俺は酒飲み慣れて無いからなぁ。コーラが良い」


「俺もビールにしよう」


 冷蔵庫から出し、グラスも用意する。グラスにドリンクを注いで、それぞれ椅子に掛けた。


 パソコンデスクの椅子は真守が使う。腰を痛めない様に適度なクッションがある椅子だ。キャスターも付いている。だがベッドも置いてある部屋に馴染む様に、あまり事務的なデザインでは無いものを選んだ。


「じゃあいただきましょう。柏木さん、乾杯の音頭お願いしまーす」


「え、俺?」


「はい。ここはぜひお兄ちゃんが」


 真守と拓真はグラスを持ってにこにこと柏木さんを見る。すると柏木さんは「こんなの初めてだよ」と照れた様にグラスを掲げた。


「じゃあ、えっと、今日はありがとう。乾杯!」


「乾杯!」


「かんぱーい!」


 3人は軽くグラスを重ね合わせ、ぐいと勢いよくあおる。そしてそれぞれ「ぷはぁ〜」と息を吐いた。


「あ〜仕事後のビール美味しい〜」


「コーラ久々で旨〜い」


「ビールまで飲めるとは思わなかった。美味しいなぁ」


 感想はそれぞれだが、3人の頬はほっこりと緩んでいる。真守はさっとお玉を取ると、皆のとんすいに味噌鍋をよそった。


「さぁ食べて食べて。お口に合ったら良いんですけど」


「ああ。旨そうだ」


「ありがとう」


 拓真と柏木さんはとんすいを持ち上げると、まずはスープをずずっと飲み、「はぁ〜」と心地よさげな息を吐いた。


「凄っごく良い出汁が出てる。旨いな!」


「本当だねぇ。お味噌の鍋なんて初めてだけど、美味しいものなんだねぇ」


 柏木さんは言うと一旦とんすいとお箸を置き、「はぁ」とまた息を吐く。


「俺ね、家での食事、養父母と義弟とは別だったんだよ。朝昼晩3食、ダイニングじゃ無くて広いキッチンでひとりで食べてた。だから家で誰かとお鍋を囲んだことが無くてね。メニューは養父母や義弟ぎていと一緒だからお鍋の時もあったけど、ひとり用の小さな鍋で、それで完結しちゃうんだ。だから社会人になってから、外で誰かと食べる機会ができたのは嬉しかったかな。でもこうして家で誰かと食べるっていうシチュエーションって、なんだか特別感があるね。その人のテリトリーに入れてもらった気がするって言うか」


 そう嬉しそうに言う柏木さんに、真守と拓真は顔を見合わせて「へへ」と笑う。


「うちで良かったらいくらでもくつろいで行ってくださいね」


「そうですよ。俺が言うのもなんですけど、真守の鍋も旨いでしょ」


「うん。凄く美味しいよ」


 柏木さんはまたとんすいとお箸を取り上げ、大口で豚肉を放り込む。


「本当に良い味が出てるね。優しいお味噌の味なんだけど、具材から旨味が出て、特にあさりからの味が良いね。本当に美味しい。キムチの味変も良いね。合うねぇ〜」


 そう満足げに言ってまたお箸を動かす。厚揚げも野菜ももりもり食べる。真守と拓真も負けじと口を動かした。


「確かにあさり正解だったかもな」


「うん。はまぐりとか入れても美味しいんだけど、俺のふところには贅沢ぜいたくだからね〜」


「あさり充分美味しいよ。お肉とかともこんなに合うんだ」


「お肉入れるとあくが出るのが難点なんですけど、美味しいんですよね〜」


「いや、肉は絶対だろ。肉の無い鍋なんて! ねぇ柏木さん!」


「あはは。そうだねぇ。やっぱりお肉は食べたいよねぇ」


「ま、そりゃあ若かったらお肉食べたいよね。柏木さんおかわりどうですか?」


「入れてくれるの? ありがとう。いただくよ」


 柏木さんが差し出したとんすいを真守が受け取った。

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