第3話 家族では無いけれど

 病院の屋上には何人かの患者がいた。普段から解放されているのだろう。ずっと病室にいると気分も鬱々としてくると思うので、こうした気分転換は大事なのだと思う。


 車椅子の人、ベンチに座る人、皆穏やかな表情で緩やかな風を受け止めていた。夏が近付いて来ているが、まだ風は心地良かった。


 拓真たくま柏木かしわぎさんは身長より高い柵にもたれて腰を降ろした。缶コーヒーのひとつでも用意したいところだが、購入できるお金が無い。


 拓真は死神なので、真守の家で食事をいただいた様に物を持つことができるので、自動販売機も使えるのだ。


「俺ねぇ、両親の養子だったんだよ。特別養子縁組ってやつ。だから戸籍上は実子だね」


 そういう制度は聞いたことがある。一般的な養子縁組とは違い、家庭裁判所の審判によって戸籍上で実の親子になれる。


「赤ちゃんの時に施設から引き取られたんだよ。養父母には子どもができなくてね。俺がそれを知らされたのは5歳の時。養父母に血の繋がった実子が産まれた時だよ。まだ幼かったけど、その時のことは忘れられないよ。本当にショックだったんだ」


 柏木さんは当時のことを思い出しているのか、遠い目をして小さく息を吐く。


「産まれたのは弟でね。それから両親は弟に掛り切りになった。それは赤ちゃんなんだから当たり前だと思う。でもそれがずっと続いたんだ。両親は俺を全く構わなくなって、いつの間にか俺を育ててくれるのは家政婦になってたよ」


 それから養父母は柏木さんをいないものとして扱った。元いた養護施設に戻すこともせず、金銭的には不自由しない様にしたらしい。


「父親、養父はね、政治家なんだよ。だから跡取りが欲しくて俺を引き取ったんだ。でも自分の血を引く男の子が産まれたから、俺は用無しになったんだね。だから俺を家政婦に押し付けた。その家政婦も特に愛情をって俺を育ててくれたわけじゃ無くて、ただ仕事だからやってただけなんだと思う。良いこと悪いこと、最低限のしつけをしてくれたし褒めてもくれたけど、それ以上は無かったなぁ。本心は分からないけどね。そんな家だったから世間体だけはやたらと気にしてね。俺のこと何も知らないのに、参観日とか進路の面談とかは養母がにこにこして来るんだよ。小さい時はそれだけでも嬉しいって思ったもんだけど、家に帰ったら放り出されるから、それを繰り返してるうちに俺も分かって来るんだ。ただ外聞のためにやってるだけなんだって。そんなだから成績が悪くても単に出来の悪い長男って扱いさ。実子の次男が出来が良い方が養父母には都合が良かったと思うし。養母も面談とかでしたり顔で言うんだよ。「多少成績が良く無くても、私はこの子の個性を尊重したい。政治家の家だからってそれで縛りたく無いんです」って。俺は勉強好きだったんだけどね。あのさ、親に構って欲しくて勉強とかいろいろ頑張る子どもの話って、聞いたこと無い?」


 それまで黙って柏木さんの話に耳を傾けていた拓真は、ここでやっと「あります」と口を開く。


「それってさ、本当の親相手だから頑張ろうって思うんだろうね。俺はもう養子だって知ってたし、家政婦が育ててくれてたから、養父母に対してそんな気は起こらなかった。どちらにしても愛情不足ってやつだったとは思うけど。一応ね、義弟ぎていが産まれるまでは両親は可愛がってくれてたから違和感はあったけど、この家の誰もが自分とは血が繋がって無いんだから、仕方が無いってすんなり思っちゃったよ」


 話を聞いていると、この柏木さんは聡明そうめいな人なんだなと判る。


 およそ子どもらしく無かったのかも知れないが、幼いころから自分が置かれている状況を冷静に見極めていたのだ。


 これで柏木さんが子どもらしく駄々をこねていたり、勉強などを頑張って成績を上げていたら、多分養父母はなおさら柏木さんをうとましいと思っただろう。


 確かに愛情は失われたかも知れないが、柏木さんが身を引くことで柏木さんの身も心も守られたのだと思う。


「養父母はすっかり俺に無関心だったから、大学行って就職して、金が貯まったら自立しようと思ってたんだよ。養父母もその方が助かっただろうし、そろそろ俺も家にいるのが気詰まりになっていたんだ。もう家政婦に世話してもらう歳でも無かったしね。そんな時に交通事故に遭ったんだ」


 ならあの死装束の下は、包帯でぐるぐる巻きにされているのかも知れない。かつての自分の様に。


「相手の車が結構スピード出ていたのかな、即死でね。だからその直後から君が迎えに来てくれるまでずっと周りを見てたよ。救急車に乗せられて、病院に付いたら死亡確認っていうのをされて、看護師さんが身体を綺麗にしてくれて、白い浴衣着せてくれて。その間結構時間あったと思うんだけど、養父母も俺を育ててくれた家政婦も、駆け付けて来るなんてことは無かったな」


 そこで柏木さんは「ふぅ」と諦めた様な大きな息を吐いた。


「俺は本当に、あの家の家族じゃ無かったんだなぁ、俺に家族はいなかったんだなぁってね、思い知っちゃったよ。分かっていたことだったのに絶望しちゃったんだ。俺を産んでくれた母親がどういう人だったのかは聞かされなかったんだけど、顔も覚えていないしね。生きてるのか死んでるのかも判らない。だからさすがにすがる気にもなれないけど、でももし離れること無く一緒に暮らしていたら、俺はどんな生活ができたんだろうって思ったんだ」


「……もしかして、養父母を恨んだりしているんですか? 悪霊とかにならないことを意外そうにしていたから」


 拓真が聞くと、柏木さんは「どうかなぁ」と苦笑する。


「跡継ぎが欲しいからって引き取っておきながら、実子が産まれたからって育児放棄した養父母だからね。でも家政婦に託すぐらいの良心はあったし、小遣いには不自由しなかった。だから恨んでるのかどうかも良く判らないし、そこまでして呪ったりしてやろうとまではさすがに思わないのかな。でも本当の心の奥底までは自分でも判らないからね。死んで浮き彫りになる感情があるかも知れないし。でもそうじゃ無くてほっとしてるよ。達観しているつもりは無いけど、赤の他人の俺を雨風しのげる立派な家に住まわせてくれて、あったかいご飯も食べさせてくれた。実子が産まれた時に元の施設に戻さなかったのは世間体のためって解っているけど、それでも生活するのに困らない環境は与えてくれたからね。だからそれなりに感謝しているのかも知れない。うん、その方がきっと精神上良いのかも知れないね」


「そうですね。俺もそう思います」


 拓真が言うと、柏木さんは嬉しそうに顔を綻ばせた。


「だから俺は成仏できるんだな。それにもほっとしてるよ。ああ、でもそうだなぁ、一度ぐらいは家族団欒だんらんっていうか、家で楽しい食卓っていうのを囲みたかったな」


「そういうことはやっぱり無かったんですか?」


「義弟が産まれるまではあったと思うけどね。あまり覚えていなくてさ。学校での給食とか外の食堂とか、友だちと飲みに行くとかさ、そういうのは確かに楽しかったよ。でも家族との食事ってまた何か違うんじゃ無いかなぁって思うんだよね」


「確かにそうなのかも知れないですね」


「親が作ってくれる心の込もったご飯って良いよね。うちの養父母は当たり前の様に料理しなかったし、家政婦のご飯も仕事だからね。外食もなかなか真心を感じにくいって言うか。でもそれももう叶わないよね」


 柏木さんは残念そうに行って苦笑した。


「変なこと言ってごめんね。さぁ、行こうか」


 柏木さんが言って立ち上がり、拓真も腰を上げる。気も済んだ様なので、あとは扉まで案内するだけだ。


 だが、拓真は引っ掛かっていた。家族と一緒に食事をすることは、大部分の人が経験することだ。


 実父母だろうが義父母だろうが養父母だろうが、親が存在するならそこにあるものなのだ。


 それはもちろん取り巻く環境などで変わって来るだろう。だが多くの人が享受しているものだ。


 家族でもなんでも無い、会ったばかりの拓真が柏木さんの願いを叶えられるとは思わない。だが生い立ちを聞いてしまった今、少しでも力になれないかと思ってしまう。


 これは死神としての仕事の範囲を逸脱いつだつしているだろう。だが放っておけない、そう感じてしまったのだ。


 拓真も若くして事故で生命を落としたので、共感してしまっているのだろうか。


「ねぇ、柏木さん。良かったらうちでご飯食べて行きませんか?」


 確かに死神の範疇はんちゅうでは無いが、してはいけないと言われてはいない。拓真の師匠も迎えに行った死者と話し込んだりすることがあると言っていたでは無いか。


 実際に修行中に経験もした。そうやって後顧こうこうれいを晴らしてあげることもあるのだと言う。


 なら、拓真は柏木さんの家族では無いが、楽しく食卓を囲むことができるのでは無いか。それで少しでも柏木さんの心が休まるのなら。


「え?」


 柏木さんはきょとんと首を傾げる。


「俺たちじゃ家族の代わりにもなれないと思いますけど、えっと、弟とでも思ってもらえたら。俺には双子の弟がいるんで、そいつが作ってくれるって言ったらですけど」


 すると柏木さんは「でも」と渋る。


「さすがにそんな迷惑は掛けられないよ。でも気持ちは本当に嬉しい。ありがとう」


 そんなことを言われればそこで引き下がるのだろうが、拓真は首を振った。


「良かったら食べて行って欲しいです。もう少し話しませんか?」


「話ができるのは嬉しいけどね。就職してから学生時代の友だちとも疎遠になっちゃって、仕事意外の話ってあまりしなくなってたから。でも俺、なんの面白みも無い人間だよ」


「そんなの俺もですよ。家でご飯食べながら他愛も無いしょうもない話しましょうよ。テレビもありますよ」


「あはは。そんな誘い文句は初めてだよ」


 柏木さんはおかしそうに笑い、「そうだなぁ」と相貌を崩した。


「じゃあ良かったらお邪魔しようかな。最後の晩餐ばんさんじゃ無いけど、何か食べさせてもらえるなら嬉しいかも」


 拓真は嬉しそうににっと歯を見せる。


「じゃあさっそく行きましょう。まずは真守、あ、弟のところに行かないと。この時間だったらまだ会社かな」


 近くに時計が無いから時間が判らない。だが空を見上げてみたら太陽が上の方にあったので、多分昼近くだろうか。


「じゃあ仕事が終わるまで待つ感じかな?」


「そうですね。さすがにこれで早退とかは嫌がられるでしょうし、困らせちゃうかも。でも話は先に通したいので。行きましょう」


 真守の職場は知っている。拓真と柏木さんは並んで飛んだ。

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