第2話 虚ろな青年の笑顔

 鈴置すずおきさんを三途の川に通じる扉に案内した拓真たくまは、次に行こうと死神手帳を開く。


 終えたばかりの鈴置さんの欄は自動的に消去され、次が繰り上がって表示されている。それは鈴置さんがちゃんと三途さんずの川に辿り着けたことを意味する。


 それから先の流れは拓真たち死神には管轄かんかつ外だ。


 拓真が修行期間も含めてこれまで迎えに行った、これから迎えに行く人々が善人なのか悪人なのかは判らないが、人生に添って相応の処置がされる。


 できることなら、ひとりでも多くの人が天国に行けると良いなとは思う。


 次は若い男性だ。いくら人間は死ぬものであっても、この歳では気の毒だと思う。だが拓真たち死神がすることは変わらない。


 非情になろうとまでは思わないが、同情も良くない。死神には手心を加える裁量も能力も無いが、感情的に引きずってしまえばこの仕事は続けられない。


 なので拓真は小さな溜め息ひとつ漏らすことでもやもやを押し込めた。


 まだまだ未熟だ。回を重ねて行けば、心が騒つくことも無くなるのだろうか。




 大きく綺麗な総合病院の病室のベッドで横たわる身体に、繋がった魂の男性は呆然としていた。


柏木かしわぎさん、柏木雅樹まさきさんですか?」


 拓真がそっと声を掛けると、男性はゆっくりと顔を上げて拓真を見る。その目はぼんやりとしていた。


「あの、俺」


 男性が消え入りそうなか細い声でそう呟いた時、病室のドアが開けられて、ストレッチャーを引いた看護師が数人入って来た。


 看護師たちは言葉少なく、全員で男性の身体を抱え上げてストレッチャーに乗せる。


 男性の身体はエンゼルケアをしてもらったらしく、顔色は悪く無く唇も薄っすらと赤かった。真っ白い浴衣を左前に着せられて、縦結びの帯で止められている。


 全身が隠れる様に白い布を掛けられ、看護師たちの手に寄って病室を出る。男性の魂はまだ身体に繋がったままなので一緒に動いた。拓真はそれに付いて行く。


 その階に止まっていたエレベータに乗り込むと、看護師のひとりが地下1階のボタンを押す。扉が閉じられると速やかに動き出した。


 到着した地下1階は薄暗かった。冷んやりとした雰囲気の廊下を進み、着いたのは霊安室。男性はそこに置かれた。


 看護師が一礼して出て行って、霊安室には男性と拓真のふたりきりになる。拓真はあらためて聞いた。


「柏木雅樹さんですね?」


 すると男性は「……うん」と覇気はきの無い顔で小さく頷いた。


 亡くなったのだから覇気も何も無いものだが、しかし感情が読めない。慌てるでも無く、だが落ち着いているという様子でも無かった。これは早く三途の川に送った方が良いだろう。


「俺は死神です。柏木さんをお迎えに来ました」


 柏木さんはうつろな目を拓真に向けた。まるで陰の気配が伝染しそうで拓真はごくりと喉を鳴らす。やはり急いだ方が良さそうだ。


「これから柏木さんの魂と身体を切り離して、三途の川にお送りします。良いですか?」


 すると柏木さんは「え……俺、成仏できるのかい?」と意外そうに聞いて来た。


「はい。成仏できますよ。死神が来るっていうのはそういうことです」


「そうなのか……、俺、悪霊とか怨霊とかにならないんだ……」


 それは誰かを憎んだり恨んだりしているということなのだろうか。しかし聞くのも藪蛇やぶへびな気がして、さっさとやることやってしまおうと鎌を振り上げた。


 そうして無事柏木さんの魂は切り離される。柏木さんは空虚くうきょ感溢れる表情のまま身体から浮き上がった。


「じゃあ行きます。付いて来てくださいね」


 拓真が安置室のドアをすり抜けると、柏木さんはおとなしく後に続く。


 拓真も柏木さんも霊体なので、あらゆるところをすり抜けることができるが、生きていたころの癖なのだろうか、どうにもドアや窓以外のところから出入りするのに抵抗があった。


 廊下を進んで階段を上がり、一階に着いたら近くの窓から外に出た。そのまま病院の屋上まで上がる。そこで一息吐いた。


 柏木さんはきょろきょろと周囲を見渡す。拓真もつられる様に見るが、とりたてて珍しくも無い街の景色と、青い空が広がるだけだ。


「良い、天気だね」


 柏木さんがぽつりと言うので、拓真は「そうですね」と返す。


「死んだ日がせめて良い天気で良かった。俺の短い人生はずっと曇ってたから」


 柏木さんは先ほどまでとは打って変わって、晴れ晴れとした表情で空を見上げる。薄っすらと笑顔すら見せている。この短時間で柏木さんに何か思うところがあったのだろうか。


「なぁ死神くん、ちょっと世間話を聞いてくれないかな。嫌かな。それとも急ぐのかな」


 急に饒舌になった柏木さんに拓真は面食らうが、ノルマがあるわけでも無し、そう急いでいるわけでも無い。それに修行中にもこういうことはあった。拓真はふっと表情を綻ばせた。


「俺で良かったら聞きますよ」


 拓真が笑顔で言うと、柏木さんは「ありがとう」と口角を上げた。

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