第2話 夢でも現実でも

「俺は食えるんだ。箸借りるな」


 拓真たくまは言うと、お皿に掛けてあったおはしを取り、炒め物をさっとすくって口に放り込んだ。もぐもぐと嬉しそうに噛み締める。


「んん、何か食べるの久々。旨いな〜。やっぱり母さんの味に似てるな。懐かしい」


「そりゃあね。やっぱりベースは母さんの味になるよね。母さんのご飯で育ったんだからさ、俺たち」


「だよなぁ。もう食えないって思ったら残念だぜ。俺さ、結局外食とかあまりする機会無いまま死んじまったからさ、母さんのご飯が旨かったのかどうか判らないってのがあってさぁ」


 拓真はそう言って苦笑する。真守まもるの胸がちくりと傷んだ。


 拓真が亡くなってからしばらくは、母も料理のみならず家事そのものをする気力が沸かず、家の中はそこそこ荒れた。


 それは致し方ないことだと思う。大事な人をうしなって、すぐに日常に戻れる人はそういないと思うのだ。


 だがそれを拓真に言うのはためらわれた。知ればきっと優しい拓真は悲しい思いをするだろうから。たとえ夢でもそれは嫌だった。


「母さんは料理上手だよ。出汁を効かせて素材の味を大事にする料理だよ。だから俺もそれを心掛けてる。塩分の取り過ぎは高血圧のもとだし、太り過ぎるのも良く無いからさ」


「ああ。真守は長生きしてくれよ。まずは父さん母さんより長生きしてくれな」


 しんみりと言う拓真に真守は「……ああ」と神妙に頷いた。


 それは本当にそう思う。拓真が死んだ時、親より先に子どもが死んでしまう、こんな親不孝は無いものだと両親を見てしみじみ思った。


 まだまだ先のことだろうが、両親をきちんと看取ってあげたいと、心の底から思っている。


「それより拓真、幽霊なのに箸持てて食べ物も食べられるんだな。やっぱり俺が見てる夢だからか?」


 真守が言うと拓真はきょとんと目を見開く。そして弾かれた様に「わははっ」と笑った。


「そっか、お前これを夢だと思ってんのか。まぁそりゃあ無理も無いわな。けど現実だ。俺は死んでから3年、ちょっとした修行をして死神ってやつになったんだぜ」


 そう得意げに言う拓真に、真守は「はぁ?」と目を見張った。


「死神?」


「そう、死神」


「死神ってあれか? 死んだ人の魂を持って行くとか、なんかそういうの?」


「そう。その死神。俺にはその素養があったらしい。霊的な諸々な。真守、お前にもあるんだぜ」


「俺にも?」


「お前、良く心霊現象にっていないか?」


「いや、心当たり無いなぁ」


 真守は首を傾げる。


「金縛りはどうだ」


「ああ、それは確かに、うん。でも」


 確かにここでひとり暮らしを始めてからも、金縛りは時々起こっていた。だがそれは睡眠障害のひとつだと納得していた。


 それを拓真に伝えると「はは!」とおかしそうに笑われてしまった。


「違う違う。それ心霊現象」


「はぁ!?」


 あり得ないと思っていたから、真守は心底驚いてしまう。


 最初はその可能性も疑った。だが調べてみてもそんな事実は出て来なかった。


 脳は起きているが身体は眠っている現象、疲れやストレスから出る睡眠障害、そうとしか出て来なかった。


「いや、睡眠障害だろ?」


「その場合もあるけど、お前と俺の場合は心霊現象なんだってよ。お前と俺には幽霊を感じたりする素質があって、俺が死神になれたのもそれがあったからなんだぜ」


「けど俺、今まで幽霊とか見たこと無いよ」


「真守は目があまり良く無いんだな。けど実際俺のことは見えてるだろ? 双子だから波長が合うんだ」


「夢だからだろ?」


「だーから、夢じゃ無いって。これは現実だよ。げ、ん、じ、つ。夢って思いたいのも無理は無いけど、受け入れてくれよ」


「ええ〜……」


 真守は眉尻を下げてしまう。この出来事をどう処理すれば良いのか判らない。これまで心霊現象や超常現象というものを自覚したことが無いのだ。どうしても受け入れがたい。


 拓真は現実を主張するが、真守は夢だと思ってしまう。覚醒すればこの物語はきっと終わってしまうのだ。


 煮え切らない真守に拓真は「ん〜」と小さく唸り、やがて「よし」と手を叩いた。


「真守、お前これから寝ろ。すぐに寝ろ。で、起きてまだ俺がいたら受け入れる。それでどうだ」


「いや意味が解らない。それにすぐにって、洗い物もしなきゃならないし、シャワー浴びて歯も磨かなきゃ。それにそもそもまだ眠く無いよ」


「洗い物は俺がやってやる。そうだ、それも俺の言ってることを信じる材料になるよな。ほらほら、シャワー浴びて歯を磨いてさっさと寝ろ」


 拓真はそう言って真守を両手でぐいぐい押す。触れられている感触がしっかりとあって、押されている力も感じる。だがやはり、いやだからこそ、真守は夢だとしか思えなかった。


 これはもしかしたら悲しみを乗り越えようとしつつも、やはり心の片隅で拓真に会いたいと思っていた真守の願望が見せている夢なのだろう。


 なら言うことを聞いてやるのもやぶさかでは無いかと真守は立ち上がる。


「分かった、分かったから押すなって。歯磨いて来る」


 そう言って真守は洗面所に向かう。歯ブラシに歯磨き粉を付けてごしごし歯を磨いていると、頭がすっきりとして来てますます眠れそうに無い。


 だがこれは夢なのだから、ご都合主義というやつでベッドに入ればすぐに眠たくなるのでは。


 水道水で口を濯いで手早くシャワーを浴び、髪を乾かしてダイニングキッチンに戻ると、テーブルに置いていた食器は全てシンクに運ばれて水に浸けられていた。


 拓真も真守も母に「使い終わった食器は流しに運んで水に浸けておくこと」としつけられていた。


「後で洗うからよ。ほら寝ろ、早く寝ろ」


 拓真は言って真守の背中を押す。真守はされるがままベッドが置いてある部屋へと入る。


 この家は1DKのマンションなので、ひとつしか無い部屋が寝室とリビングを兼ねているのだ。


 真守は「仕方無いなぁ」などと言いながら、部屋の電気を消してベッドに潜り込み目を閉じる。「おやすみ」と言う拓真の穏やかな声が届いたので「おやすみ」と応えた。


 そうして数分。真守はおとなしく目を閉じて横になっていたのだが。


 やがて耳に小さくかちゃかちゃと硬質的な音が聞こえて来て、次にしゃああと水流音。決して耳障りでは無かったのだが、眠れないせいでやけにはっきりと耳に届く。数分後にそれが止むとごろりと寝返りを打った。


 しかしやはり眠れそうにも無く、ふるふると震える両目をそっと開くと。


 目の前に拓真の顔がぼうっと浮かんでいた。


「うわあぁぁぁぁぁ!!」


 それにはさすがに驚いて、真守はかっと目をいて跳ねる様に上半身を起こした。


 ベッドは壁際に置いてあったので、壁に張り付く様に後退してしまう。それが相当おかしかったのか、拓真は「わはははは!」とお腹を抱えて笑った。


「いや、悪い悪い。寝たかどうか気になって覗き込んじまった。で、寝れたか?」


「寝れるか! いや、本当に眠くならないんだよ」


「仕方無いなぁ。じゃあどうしたらこれが現実だって信じてくれるよ。あ、洗い物はしたぜ」


「うん。水道の音とか聞こえてた。だからますます夢っぽいんだよ」


 真守が淡々と言うと、拓真は「あー! 逆効果だったか!」と頭を抱えた。


「他に何か方法は無いもんか。真守に信じさせるには……」


 拓真はぶつぶつ言いながら眉をしかめる。そして真守はそんな拓真を見てますます「やっぱり夢っぽいよなぁ」と思ってしまうのだ。


 だが考えてみたら、生前と変わらない拓真がこうして目の前にいるのだ。それは僥倖ぎょうこうなのでは無いだろうか。


 双子ではあったが、特別仲の良い兄弟では無かった。


 友人もそれぞれにいて別々で遊ぶことも多かったし、実家では小さなころこそ同じ部屋だったが、引っ越しのタイミングで個室にしてもらって、リビングやそれぞれの部屋で個々で過ごすことも多かった。


 だがやはり片割れの喪失は真守に大きな衝撃を与えた。もっと一緒にいれば良いと思った。


 まさかそんな未来が待っているなんて思いもしなかったから、各々好き勝手やっていたのだ。


 ぽっかりと穴が空いた様な、というのは使い古された表現だろうか。だがまさに半身をごっそりと削り取られた様な気がしたのだ。


 あって当たり前のものが突然掻き消える喪失感と不安。それはそれまで味わったことのない心の揺れだった。


 幽霊だろうが死神だろうが、現実だろうが夢だろうが、どうでも良いと思える様になって来ていた。また拓真と会えた。今はそれが全てで良いのでは無いだろうか。


「はは」


 真守は吹っ切れた様に笑う。拓真は弱り顔のまま「ん?」と首を傾げた。


「どっちでも良いよ。また拓真と話とかできるんだったら」


 拓真は一瞬複雑そうな表情を浮かべ、だが次には「はぁ」と呆れた様に息を吐いた。


「頑固なんだか頭固いんだか。いやある意味柔軟なのか? けどそれで真守が納得できるんなら良いか。俺は死神の仕事があるからずっとここにいれるわけじゃ無いけど、俺も真守とこうして再会できるの楽しみにしてた。修行の励みでもあったんだぜ」


「なんで父さん母さんじゃ無くて俺なんだ?」


「父さん母さんには心霊云々の素養は無いんだってよ。だから俺の姿を見せることができないんだ。でもお前にはあるからさ」


「俺が見ることができるのはお前だけか?」


「今はそうだな。けど正直それで良いと思うぜ。他の幽霊とかを見れる様になっても、多分特に良いことがあるわけじゃ無いからさ」


「そんなもんなのか?」


「そんなもんさ」


 拓真はそう言いながら苦笑する。そう言うにはそれなりの理由があるのだろう。ならこの場は聞かないことにしよう。


「これからしばらくよろしくな」


 拓真が言って口角を上げるので、真守はふっと微笑む。


「うん、よろしく。おかえり、拓真」


 すると拓真は一瞬きょとんとした顔になり、次には「ただいま」とにっと笑った。

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