僕と死神の癒しご飯と最後の手紙

山いい奈

1章 片割れの帰還

第1話 予想外の再会

 双子の兄の弓削拓真ゆげたくまが交通事故でこの世を去ったのは3年ほど前、20歳になったばかりのことだった。


 当時弓削家は悲しみに明け暮れ、それはもう長く続いた。


 それでも日にち薬と言うのだろうか、とあるきっかけもあって、数ヶ月後には事故前の様とまでは言わないまでも、家族の中に笑顔が見られるまでになって来た。


「いつまでも悲しんでいても、きっと拓真は喜ばないよ」


 そんなありきたりなせりふも飛び出て、家族は「そうだね」と涙ながらも小さく笑いあったりした。


 拓真はいつでも快活に笑っている様な明るい子で、それは的を射ている様にも思えた。


 弟の弓削真守まもるが就職で家を出ることになったのは、そのほんの数年後。


 クリエイティブ系の職種の会社から内定が出て、職場が家から通うにはいささか遠かったのだ。


 まだ時折沈む両親が心配ではあったのだが、その両親が「行きなさい」と送り出してくれた。


 幸いなことに内定はいくつかの会社からもらうことができたが、その会社が真守が望む条件としていちばん良かったので、諦め難かったこともあった。


 そうして始めたひとり暮らしは予想外に快適と言えた。


 拓真の影が見えない空間。決して悲しみを忘れたわけでも乗り越えたわけでも無いが、結果として気分転換になった様だ。


 新たな職場に慣れようと奮闘していたある夜、自室のベッドで眠っていた真守は金縛りにった。


 あ、まただ。真守は冷静なものである。


 真守が金縛りに遭う様になったのは高校生になったころのこと。夜中の就寝中、急な覚醒かくせいの後全身がぴくりとも動かなくなったのだ。小指1本も動かせない。


 最初は「怪奇現象か!?」と恐怖も感じたものだったが、何かを見たわけでも感じたわけでも無く、たまたま疲れていたのだろうと結論付けた。だから拓真にも両親にも言わなかった。


 しかし数日後、また金縛りはやって来た。


 2回目だからと言って慣れているわけでも無く、やはり怖さを感じながらもがこうとする。だがはやり身体はまるで動かないのだ。


 どうにか解けて動ける様になると、真守はがばっと起き上がり、枕元に置いてあるスマートフォンを取り上げ、金縛りについて調べる。


 すると、金縛りは医学的根拠で片付けられるものだと出て来た。真守が最初に考えた疲れはもちろん、ストレスなども金縛りを引き起こす。睡眠障害のひとつとのこと。


 真守は特にストレスを感じているわけでは無いが、もしかしたら意識していないだけで、じわじわと溜まっているのかも知れない。気を付けなければ。どう気を付けたら良いのかよく判らないが。


 気分転換に明日、もう今日か、今日は学校の帰りに友だちとでも遊びに行こうか。部活があるからそう時間は無いが、少しぐらいならゲームセンターなどに寄れるだろう。


 ともあれ金縛りが幽霊などの怖いものでは無いことが分かって、真守はふわぁとあくびをする。


 安心したからかまた眠気が訪れた。スマートフォンを置くと、またごぞごぞとベッドに潜り込んで目を閉じた。




 その金縛りは就職してひとり暮らしを始めてからも続いた。そう頻繁でも無かったのだが、睡眠障害だと言われればそろそろ不安になり始める。


 確かにストレスは学生のころよりも確実に多いだろうし、うまく緩和かんわできていないということなのだろう。


 解消方法と言えば美味しいものを食べたり遊びに行ったりゲームをしたり、そんなことぐらいしか方法が思い付かない。


 だが金銭的にそこまで余裕があるわけでも無いので、さてどうしようかと真守はキッチンに立つ。


 ひとり暮らしを始めてから真守は自炊を始めた。家を出る時に母に心配されたこともあるが、やはりある程度バランスが取れた食生活は大事だと思っているのだ。


 とは言え自分のためだけに作るとなると、そう手を掛ける気にはなれない。


 真守は冷凍庫を開ける。そこには業務スーパーで買って来た冷凍のカット野菜が詰め込まれていた。揚げ茄子やいんげん豆、ほうれん草に小松菜、きのこミックスなど。


 今日は簡単に炒め物にしようか。真守はフライパンを出したら火に掛ける。温まったらオリーブオイルを引いて、熱くなったら豚の細切れを入れる。


 お肉同士がくっつかない様に菜箸を使って一枚ずつ入れる。自炊し始めのころまとめて入れてしまって、お肉が解れなくて苦労したのだ。


 レシピサイトなどを見ると、こういう場合は肉に日本酒などで下味を付けるとあるのだが、真守は省略している。手が脂まみれになってしまうのが面倒だからだ。


 自分だけが食べるのだから、少しぐらい味のクオリティが落ちても構わない。


 豚肉の色が変わったら火を強火にし、小松菜ときのこミックスを冷凍のまま入れると、じゅうと派手な音がする。解凍させてやるためにあまり動かさず、時折鍋を返してやる。


 そうして野菜に火が通ったら味付けだ。お塩と日本酒、オイスターソースとお醤油、仕上げにこしょうとごま油。完成だ。


 香ばしい香りのする肉野菜炒めを皿に移し、炊飯器で炊いておいたご飯をお茶碗にこんもりと盛り、お椀で手軽に作ったわかめのお味噌汁を添えて。


 一汁一菜であるが立派な食事だ。真守はダイニングテーブルに運ぶと椅子に掛けておはしを取った。


「いただきます」


 まずはお味噌汁をずずっとすする。だしの素を贅沢ぜいたくに使っていて優しい味わいだ。


 わかめは乾燥わかめだが、しゃくっと良い歯ごたえ。青ねぎも冷凍のものだが、ちゃんと風味が残されている。


 続けてふっくらと炊けたご飯を食べ、次にほかほかの炒め物。お肉の甘み、小松菜の爽やかさ、きのこの旨味がしっかりと感じられる。


 真守の味付けは母の直伝で、母の好みもあってあまり強い味は足さない。お出汁や素材の味をしっかりと活かしたものだ。


 専業主婦の母は新鮮な野菜を使って美味しく仕上げてくれていたが、真守は仕事終わりの炊事なのだからこれで充分だ。


 冷凍の小松菜はさすがにしゃきしゃきというわけにはいかないが、柔らかな繊維がしっかりと感じられる。


 そしてとろりとなったきのこは冷凍することで旨味が増すので、冷凍きのこを使うのは一石二鳥なのだ。


 オイスターソースを使っているが、できるだけ優しい味を心掛ける真守だった。


 もぐもぐと食べ進めて行き、炒め物が最後の一口になった時。


「へぇ、真守、料理する様になったんだな」


 そんな感心した様な声が真守の耳に届いた。真守は眉をしかめて「ん?」と顔を上げる。


 手にしていたお箸とお茶碗を置いて、きょろきょろと室内を見渡す。空耳にしてはやけにはっきりとした声だった。


 ここはキッチン兼ダイニング。置いてあるものと言えば、今真守が座っているふたり掛けのダイニングテーブルに細身の食器棚、大きな冷蔵庫、レンジや炊飯器などが置かれているコンパクトな棚。そしてなかなか使い勝手の良いキッチン。


 その前にぼわぁっと姿を現したのは。


「は、え、あ、え?」


 真守は呆然となり、そんな間抜けな声を漏らすことしかできなかった。そこにいたのは3年前に逝去せいきょしたはずの兄、拓真だったのだ。


 真守は身体を硬直させて目を見張る。拓真は死んだのだから、これは幻覚か、それとも幽霊というものなのか。


 そんなことが瞬時に頭を駆け巡り、真守は叫び声を上げそうになって慌てて口を押さえた。


 そんなことをすれば近所迷惑になる、不思議とそんな冷静な部分もあった。


「はは」


 3年前に亡くなった時と同じ黒い短髪のヘアスタイルと、事故当時のカーキのシャツとデニムのボトムという服装で、拓真はおかしそうに笑う。


「びっくりしたか? 俺だぜ、拓真だ」


 真守は口を押さえたままこくこくと頷く。


「驚かせて悪いな。別に恨みとか心残りとか、そんなんで成仏してないわけじゃ無いんだ」


 嫌と言うほど聞き覚えのある真守とそっくりな声。聞いているうちに少し落ち着いて来て、真守は手を下ろして「はぁっ」と詰めていた息を吐いた。


「本当に拓真? 本当に? これって化けて出たってやつじゃ」


 真守が恐る恐る言うと、拓真は「わはは」と笑う。


「違う違う。まぁゆっくり話すな。その前にご飯食っちまえ。旨そうだな」


 拓真の視線がひと口分だけ残されている炒め物に向いた。その顔が真守には食べたそうに見えたので「食べるか? 食べかけだけど」と聞いてみる。


「良いのか?」


 拓真の顔がぱぁっと輝いた。


「うん。でも食べられるのかな。拓真、だって身体無いんだろう?」


 そう言って、あらためて拓真は死んでしまったのだ、目の前にいるのは幽霊なのだと思い知らされてしまい、目頭がつんと熱くなる。


 もしかしたらこれは夢なのでは無いだろうか。眠った覚えは無いのだが。


 そうだ、きっと夢だ。幽霊の存在を否定するわけでは無いが、真守にはこれまで1度たりとも見えたことが無いのだから。


 それが突然見える様になるなんておかしい。真守はそう自分自身を納得させた。

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