#9商談開始

 その様子を見ながら、スレイクがルナに近づいてきた。

 しかし、怯えさせまいとしているのか一メートル程度距離をあけて、しゃがみ込んでいるルナに目線を合わせてくる。


「性別を変えられたとか言ったか? だったら良いものを取り扱ってるぞ? ルナイズム・フォリエンス作の男性化薬だ。アンティーク品だが効果はあ──」


 スレイクが言葉を言い切る前にルナはスレイクに飛びつき、彼の胸ぐらを掴み上げた。


「お、お前っ。それ本当か? いくらだ? いくらでも良いから買うぞ!」

「ちょ、ちょっと落ち着け。金さえ払ってくれればちゃんと渡す」

「まじか! いくらだ?」

「金貨一〇〇枚だ」


 スレイクが言った瞬間ルナは石のように固まり、スレイクから手を放した。

 そのままステラの方を向く。


「す、ステラ……金貨一〇〇枚ってどれくらいの額だっけ?」

「錬金術ギルドのギルド長に対しての慰謝料が金貨十枚なので、その十倍の金額ですね。一般人じゃあ何度人生をやり直しても払えない額です」

「あ……あぁ」


 一瞬でもなんとかなると、希望を抱いたせいで高い場所から叩き落されたルナは、ポカンと放心した顔のままその場に崩れ落ちた。

 そんなルナの肩をステラは優しく叩く。


「ま、まぁ良かったじゃないですか。男に戻る手段を見つけたんですから。よかったですね。意外と近くにあって」

「どこが近いんだよ! 近くにあって遥か遠くにあるぞ。金貨百枚とかどう払えばいいんだよ~」 


 ルナは悔しそうに床を何度も叩く。

 すると、シャリーとスレイクの会話が聞こえてきた。


「ねぇ? スレイクもう少し安くしてあげたら? 仕入れ値は半分くらいでしょ?」

「そうは言うが……。ふむ、そうだな。ルナ、一つ条件があるが条件次第によっては譲ってやらんでもないぞ?」


 その瞬間曇っていたルナの表情が太陽のように輝いた。


「ま、まじで? 何? オレにできることなら何でもや──」


 スレイクの言葉に食いつこうとしたルナの顔の前にステラは手を突き出す。


「ルナ。女の子が安易に何でもやるとか言っては駄目です。心は男でも体が女の子なんですから変に頷くと痛い目にあいますよ? いや、ある意味気持ちいい事かもしれないですけど」

「で、でも男に戻るには……」

「交渉は私がやります。ルナは店の隅で静かにポーションでも飲んで頭を冷やしてください」

「うぅ……」


 暗に邪魔だと言われ、ルナはがっくり落ち込むと素直に貰ったポーションを手に持ち、店の隅でシクシクと飲み始めた。

 ステラはルナが部屋の隅でポーションを飲む姿を確認すると、スレイクの方を向いた。


「それでは交渉をしましょう」

「……俺の商売相手は彼女……いや『彼』なんだが」

「私はその『彼』の奴隷です。交渉の一切は私が請け負います」


 ステラのはっきりとした問答にスレイクは少しだけ考え込んだ。

 しかし、それは一瞬で次の瞬間にはステラの顔をしっかりと見ていた。


「……ふむ。ならそれでいい。では本題に移ろう。俺が要求するのは、彼にこの店の従業員として働いてもらう事だ。具体的に言えば、彼が錬金術で作った物をこの店に卸して欲しい」

「それは無償で……ですか? それともルナが作った物を安値で買い取るということですか?」

「もちろん『安値で』買い取らせてもらう。ただし、毎月卸してもらう商品と数はこちらが指定する」

「買取価格は?」

「相場の十分の一だ」


 通常の商談なら一瞬で破談となるような条件にステラは露骨に顔を歪める。

 しかし、逃げることはできない。

 スレイクがルナに渡す物は希少性が高く価値があり、そしてルナが喉から手が出るほどに欲している物だからだ。

 だからこそステラはスレイクの顔を睨みつける様に見つめ、指を三本立てた。


「十分の三で」

「こっちは金貨百枚分の物を手渡すと言っているんだ。……相場の十分の一だ。それに彼はまだひよっこ錬金術師と聞いた。これでも高値を付けているつもりだ」

「ルナは錬金術ギルドの長に才能を認められています。ルナイズム・フォリエンスと同等の才能はあるとまで言われました。そんな人材の作る錬金物を安値で買い取ろうなどおこがましいですよ」

「そこまでの才能があるなら、自分で男性化薬を作ればいい。それができないから欲しているんだろう?」


 スレイクとルナの交渉は一歩も引くこと無く続く。その交渉を見て、ルナは感心しつつ行く末を見つめることしかできなかった。


***

 数十分後、お互いの手札を出し切り、二人の商談は終了を迎えた。


「それでは──」


 スレイクは契約内容を記した紙をステラではなくルナの前に突き出した。

 紙に書かれた契約内容をルナは一言一句見逃さないようにしっかりと目を通す。

 まとめると契約内容はこうだった。


『 一、ルナ・クレエトールの作った錬金物を半年間、相場の十分の一の価格で買い取る。

 二、最初の半年以降はルナ・クレエトールの錬金術の上達具合で買い取り額を定める。

 三、契約期間は五年、それまでの期間はスレイクの店に決まった量の錬金物を卸す。ただし店の儲けが金貨二百枚を超えた場合、ルナ・クレエトールの任意の判断で契約を終了できる。

 四、スレイクは店の儲けを毎月ルナ・クレエトールに報告する義務がある。虚偽が判明した場合、契約をその時点を以て終了し、ルナ・クレエトールは男性化薬を得る。

 五、この契約の対価にルナ・クレエトールは男性化薬を手に入れる。ただし男性化薬は最初の半年が終了した時点で渡す。

 六、契約期間中にルナ・クレエトールが逃亡を図った場合、スレイクはあらゆる手段をもって報復を行う権利を得る。』


「なるほど……。最後の一つが物騒だな」

「そうしないと逃げる奴がいるからな」


 ルナが契約書に目を通し終えた事を確認するとスレイクは机から万年筆を取り出した。


「その内容で間違いないか? 問題なかったらサインを書いてくれ」

「あぁ。これでいいよ。──ステラもありがとな」

「いえ。今すぐに男性化薬を手に入れられなかったのは私の失態ですね。すみません」

「オレが交渉していたら、もっと酷い条件だったよ」


 ルナはそう言いながら、スレイクの手渡してきた契約書にサインを書き込んだ。


「ほら。それじゃあこれからよろしくな」


 ルナは契約書を手渡しながら、空いた手を伸ばすとスレイクはすぐにルナの手をとった。


「あぁ。商談成立だ。よろしく頼む。それじゃあ最初の注文だ。錬金術製の回復のポーションを八〇。解毒剤を七〇。それから魔素素材で作った鉄インゴッドを二〇。魔素素材に込められた特性に条件はない。今月末までに頼むぞ」

「あ、うん……」


 想像以上の量を頼まれて困惑しつつルナは頷いた。


「それじゃあルナ。家に戻りましょう。そろそろ日が暮れそうです」

「わかった」


 ルナは店から出るとステラの方を向いた。


「な、なぁ。今の契約でしばらくお金に困らないかな?」

「んー。基本的にポーション一つが銅貨一枚なのでその十分の一。ポーション一つごとに鉄貨一枚の収入ですね。それが一五〇個程度なので総合すると銅貨十五枚の収入です。そこに錬金術製のインゴット、これが一インゴットごとに銅貨二枚の収入で、それが二〇なので銀貨二枚。合わせて銀貨二枚と銅貨十五枚が月の収入になります」


 ステラはペラペラとそう言ったがルナには貨幣の計算が分からず、首を捻っていた。


「なぁ? 鉄貨が何枚で銅貨になって、銅貨が何枚で銀貨になるんだ?」

「え? あぁ、鉄貨十枚で銅貨一枚、銅貨二十枚で銀貨一枚、銀貨五十枚で金貨一枚って感じです」

「なんか複雑だな……」

「仕方ないですね。ある程度混ぜものを入れているとはいえ、鉱石の採掘量の問題がありますから。ちなみに前にも言いましたが、一般の三人家族は一ヶ月で銀貨六枚使いますので……」


 そこでステラは言葉を切った。

 ここから先は自分で考えろという意思を感じたのでルナは頭を働かせる。


「収入が銀貨二枚と銅貨十五枚。支出が二人分で銀貨五枚くらいと仮定すると……半分収入が足りない……のか?」

「よくできました。という訳で冒険者ギルドや錬金術ギルドで不足分を稼ぎましょう。もしくは前にも話しましたけど、二階をお店に改造して何かの商売をやってもいいかもですね」

「商売って?」


「まぁなんでも屋とかがいいかと。元々錬金術師ってお使い仕事が多い職種なので。調合素材集めのついでに……とか、暇な時には街のゴミ掃除とか雑用をして知名度をあげる。そして上がった知名度で錬金術の依頼が入るというのがよろしいかと」

「なるほど、雑用をやって知名度をあげる……か。それ良いな」


 そんな会話をしながらふたりは何も家具を置いていない家に帰った。

 置いてあるのは部屋の真ん中に置かれた錬金釜と魔法陣の描かれた絨毯だけ。

 ここで大きな問題が浮上する。


「……どうやって寝よう?」

「今日は床で寝ましょう。ルナは奥の部屋で寝てください。私はこっちで寝ます」


 そう言いながらルナは錬金釜の下に置かれた絨毯を引き抜くと、そこに魔力を流した。

 その瞬間、魔法陣の描かれた絨毯は赤く光り、暖かな風を生み出した。


「その絨毯、火の代わりに錬金釜を温める道具なのか。っておい。なんで一人絨毯で温まろうとしてるんだよ」

「うるさいです! いいから早く奥の部屋に行ってください。私、これを使って寝るので」

「ふざけんんな。オレが使う!」


 ルナは絨毯の端を掴み力の限り引っ張る。


「嫌です。こういうのは女の子に譲ってください!」

「だったらオレも女の子だ! 寒いんだよ。この国凍死しちゃうぞ」

「都合がいいときだけ女の子を自称しないでください! ルナは男でしょ。向こうの部屋で凍えてくださいっ」


 そう言いながらステラも負けじと絨毯を引っ張る。

 もちろん力はルナより獣人族のステラのほうが圧倒的に強いので、だんだんステラの方へ絨毯が引き寄せられていく。


「ぐぬぬぬぬぅー。負けるかぁぁ!」


 と、ルナが踏ん張った瞬間──。

「うわっ!」

 足を滑らせたルナはそのまま地面に後頭部を叩きつけた。


「ぐおおおぉぉ。頭が割れたぁぁ」

「いや、割れてないです」


 頭を押さえて暴れるように痛みを訴えるルナを蔑むような目で見ながら、ステラは絨毯を抱きしめた。


「ま、この絨毯は私の物です。ルナは奥の部屋で凍えてください。この国は北国ですから寒いので死なないでくださいね」

「うぅ……仕方ない。明日起きたら死んでるとか起きないでくれよ……」


 小さくため息をついたルナが踵を返した丁度そのタイミングで、ルナは足元に落ちている本の存在に気が付いた。

「これは……錬金術の。そう言えばさっき簡単な錬金物の作り方が書いてるの見たな。何か良いものが作れるかも」


 ルナは本をパラパラめくると、とある一ページで手を止めた。


「これ……簡易小型暖炉。これだっ。これを作ろう。材料は……魔素素材の木材一キロと石二キロ、それから水か。よしっ材料取ってくる」

「ちょ、ちょっと。もう日が沈みますよ?」

「大丈夫! 凍死するよりマシだ!」

「分かりました。この部屋で寝ていいです。その代わり部屋の隅で寝てくださいね。あとこっち向かないでください! こっちを向いたら殺しますから」


 このままでは夜の森に一人で行くと思ったのだろう。ステラは家から飛び出そうとしているルナの手をつかみそう言った。

 掴まれた手を見つめながらルナは問う。


「い、いいのか?」

「まぁルナも体は女の子ですし、襲われる心配もなさそうなので。最悪銃を奪えば無力化できそうですし」

「や、やめろよ。この銃は渡さないからな」


 ルナは大事そうに錬金銃を抱きしめると、小さくため息をつきその場に横たわった。


「硬い……」

「慣れですよ慣れ。慣れれば檻の硬い床も天国です」

「……慣れたくないね。さっさと温かいベッド買ってやる」


 そう言ってステラに背を向けるとそのままルナは眠りについた。

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