4.返却

広瀬さんを追跡するのは、警察に委せる方が早い。

そんな事は、分かっている。


秋山は、擂鉢堂の五岳山営業所で三崎課長と待ち合わせている。


五岳山営業所に到着した。

東さんを営業所の玄関に降ろした。

東さんは、経理システムと業務システムの説明会を実施する事になっている。


東さんは、営業所の玄関に入って行った。

すぐに、三崎課長が、玄関から出て来た。

秋山が云った通り、五岳山営業所で三崎課長は待っていた。

秋山は、車から三崎課長を呼んで、車に乗せた。

大野課長は、五岳山営業所に車を駐車している。

大野課長は、今日、支社会議がある。

欠席すると連絡していたのだが、遅れて出席する事にしたそうだ。


大野課長が駐車場で降りようとした。

「やはり、一緒に探す事にするわ」

大野課長が、浮かせた腰を座席に降ろして云った。

「探す?何をですか」

三崎課長が尋ねた。

「秋山さん。どうせ、広瀬さんを探すつもりでしょ」

大野課長が云った。

「ええっ」

三崎課長が驚いた。


「良く、ご存知で」

秋山は、答えた。

「会議は?」

秋山は、尋ねた。

支社会議に遅れても、出席するつもりになっていた筈だ。

「持病の腰痛が出たので欠席する」

大野課長が云った。

「仮病じゃないですよね」

秋山は、つい余計な事を云った。

「でも、私、得意先へ行く約束になっているんです」

三崎課長が云った。

「三崎課長。広瀬さんの自宅、ご存知ですか」

秋山は、三崎課長の云う事を無視して尋ねた。

「広瀬さんは、アパートに住んでると聞いたけど、どこかは、知らんのや」

三崎課長は、広瀬さんの住んでいるアパートを知らない。

「けど、実家は知っとる」

三崎課長は、広瀬さんの実家の前の道を通って通学していた。

実家へ戻る可能性もある。

何か問題を抱えているのであれば、実家に迷惑を掛ける事は、避けるだろう。

「安藤先生と噂になっていた看護師さんと、お話し、出来ませんか」

秋山は、尋ねた。

広瀬さんの自宅アパートを訪ねたいと思っている。

広瀬さんは、その看護師と話しをしていたのだから。

他に親しい人は、居ない。

「話しをした事が無いし、声をかける勇気は無いわ」

三崎課長が答えた。


「大野課長。浅水の山下部長に今から、お伺いしたいと伝えてください」

秋山は、大野課長に頼んだ。

「分かった。私が会って、聞き出して来ますよ」

大野課長は、山下部長から、安藤先生と噂のあった看護師を呼んでもらおうと思っている。

広瀬さんの自宅アパートと、立ち寄りそうな場所を聞き出そうと思った。

秋山は、それで、お願いしますと云った。


午後六時。

大野課長が、浅水病院の駐車場に戻って来た。

早すぎる。

「分かった。行こう」

大野課長が、車に乗り込むと云った。


浅水病院の山下部長は、既に、噂になってもいた看護師を呼んでいた。

その看護師は、広瀬さんのアパートを知らなかった。

しかし、別の事務員が知っていたので、広瀬さんのアパートを教えもらっていた。

大野課長は、看護師に、広瀬さんの立ち寄りそうな場所を尋ねた。

実家しか思い付かなかった。


広瀬さんの自宅アパートへ向かった。

小ぢんまりとしたアパートだ。

四世帯のアパートが三棟、駐車場を囲んで建っている。

アパートの進入口から、向かいの路地へ入り、車を停車して、降りようとした。


「あっ。野上事務長だ」

大野課長が小声で云った。


「三崎課長。出番です」

秋山は云った。

「何が」

三崎課長は、分からない。

野上事務長が、何をしに来たのか、尋ねるように伝えた。


「分かった」

そう云って、三崎課長が車から降りた。

三崎課長が、野上事務長に近付いて、言葉を交わした。

野上事務長が、レジ袋を目の高さに上げて、何か云った。

三崎課長が何か云って、レジ袋を受け取った。

三崎課長が、また何か云うと、野上事務長がアパートの裏手を指差した。

三崎課長がお辞儀すると、野上事務長は、指差した方へ戻って行った。


車がアパートの進入口の前に徐行して来た。

三崎課長の前で停止して、窓が開いた。

野上事務長だ。

三崎課長が、お辞儀をすると、車はゆっくり走り去った。


三崎課長が、秋山の車に戻ると、レジ袋を見せた。


突然、小声で「こりぁ」と叱る声だ。

「ヤッシ!」

秋山が相手を見て、大声を出した。

「静かに」

林刑事が云った。

「関わるなっ、ちゅうたやろ」

続けて、舌打ちした。

林刑事が秋山の車に乗り込んだ。

林刑事は、広瀬さんが、戻るのを待っていたのだろう。

「おっ。多田の元上司も一緒やったな」

林刑事は覚えていた。

「ああ。刑事さん」

多田の事を聞き込みに来た。

三崎課長も林刑事を覚えていた。

部下の事を全く把握していないと指摘したのだ。

「そのレジ袋。何や」

林刑事は、野上事務長から受け取ったレジ袋を尋ねた。林刑事が聞いた。

「サンダル」

三崎課長が答えた。


「サンダル?」

サンダルと聞いて、三人は、何となく、理解した。


野上事務長が、云ったそうだ。

広瀬さんは、先月末に退職した。

月末は、有給休暇を消化して、四日前から病院へは、出勤していない。

広瀬さんは、月末には、挨拶に来ると云っていた。


しかし、今日になっても病院へ来ない。

ロッカーを確認したが、綺麗に清掃さえしていて、私物は残っていない。


職員の通用口にある、下駄箱を見ると、サンダルが残っていた。

浅水病院に勤める際に提出された書類を確認した。


野上駅は、少し、遠回りになるが、サンダルを返してあげるために、訪問したそうだ。


三崎課長は、広瀬さんが、退職した後、どうしているのか心配して尋ねた。

留守だったので、帰宅するまで待つつもりだと云った。

野上事務長は、それなら、このサンダルを返しておいてくれ。と云った。

そのまま、車で帰った。


野上事務長は、サンダルを届け先に来ただけだった。

何の手掛かりにもならなかった。


「ヤッシ。お前。張り込んどったんと違うんか」

秋山が林刑事を揶揄した。

「俺のミスや」

林刑事が云った。

広瀬さんを見失った経緯は、明かせないが、林刑事の判断ミスだと云った。


林刑事は、広瀬さんが、多田と木崎を殺害した実行犯とは思っていない。

しかし、理由は云えないが、犯人と、何らかの関わりがあると思っている。

そして、ずっと、ここで張っていた。

行方が分からなくなって、何人か、広瀬さんを訪ねて来ている。

誰が訪ねて来たのかは、明かせない。

捜査上の秘密だ。

「アッきゃん。もう、ほんまに、手ぇ引けや」

林刑事が云った。


「そうはいかん」

秋山は云った。

「多田は、儂の同期や。このまま引き下がれんのや」

「けど広瀬とは関係無いやろ」

林刑事がいった。


「関係あるんや」

三崎課長が云った。

「広瀬は、オレの同級生や」

三崎課長が激しい口調で云った。


三崎課長も、また、不思議な縁で繋がっていた。

「サンダル。届けな、あかんのや」

三崎課長は、沁々と云った。


「サンダルか」

秋山は、呟いた。

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