7.忠告

秋山は、林に呼び出された。


丸肥町にある、洒落た喫茶店で、待ち合わせをしている。


先程、少し遅れると、林から連絡があった。

林が、こんなお洒落な店を知っているとは、意外だった。

濃い茶色の格子窓から、住宅の建設現場が見えている。

丸肥町は、最近、大型商業施設が出来て、急速に店舗や住宅建設が進んでいる。


窓越しに、林の姿が見えた。

店の入口から入って来た。


「遅かったやん」秋山が詰ると「いや。悪い、悪い」と林が謝る。

林が席に着くと、コーヒーを頼んだ。

秋山は、もう一杯コーヒーを頼んだ。

「おい。ニュース。見たか」

林が尋ねた。

「何の?」

この喫茶店には、テレビが無い。

「早原のひき逃げの犯人や」

林が云った。

「えっ!捕まったんか」

秋山は、驚いて尋ねると、林が、頷いた。

「誰や。浅水病院の奴か?」

秋山は、ひき逃げ事件の犯人が、浅水病院の関係者だと思っている。

「今のところ、ニュースの通りや」

林は、秋山がニュースを見ていないのを知っていて、答えた。

「だから、ニュース。見とらん」

秋山は、林の冗談に応える余裕が無かった。

「そうか。ニュースでは、こう報道されとるんや」


林刑事が、ニュースの内容を伝えた。

ひき逃げ事件の初期捜査の段階で、鑑識課では、車種を特定していた。

県下の自動車整備工場へは、捜査協力の要請を出していた。


ひき逃げ事件の現場は、住宅街にある公園に接する道路だ。

犯人は、人を跳ねて死亡させる程の速度で走行していた。

もし、幹線道路から迷って進入したとすると、それほどスピードを出さない筈だ。


土地勘が無ければ、そんな道路を利用する訳がない。


ひき逃げ事件の報道が収まった頃、県西端、西豊町の自動車整備工場から通報があった。

協力要請に該当する車種の車が持ち込まれた。

フロント部分の破損の修理を依頼されたという内容だった。

捜査員が車の所有者に任意同行を求めたところ、ひき逃げ事故を認めた。


「交通課からは、これだけや。詳細はニュースで確認してくれ」

林刑事が云った。

「刑事課としての情報は?」

秋山が確かめた。

「今のところ。いや、今後も発表は、ない」

林刑事が云った。

「浅水病院との、関係は?」

秋山が、重ねて尋ねた。


「もう一辺、言うで。早原氏のひき逃げ事故について、刑事課として、今の段階で発表する事はないんや」

林刑事が、そう云って、口角を上げ、歯を見せずに笑った。

林は、ヤッシに戻っていた。


つまり、早原のひき逃げ事件は、浅水病院と関係が、無いという事だ。

そうなると、仲間割れではないのか。


早原は、上里公園近くのアパートで倒れていた。

早原は、木崎のアパートを訪れていたのだ。

そして、襲われた。

秋山が発見して、救急車を呼んだ。

これも偶然、襲われたのか。

閑静な住宅街だ。

その近くで、今度は、ひき逃げに遭った。

だから、ひき逃げ事件も、誰かに、故意に、車で跳ねられたのだと思った。


だが、早原の死亡したひき逃げ事件が、事故だったとしても、襲われた事があるのは事実だ。

つまり、誰かに狙われていたのは、間違いない。

仲間割れでないとすれば、やはり浅水病院の関係者しか考えられない。


多田は、浅水病院の集金の一部を着服していた。

着服金額は、百万円程度。

預金通帳には、不自然な入金も無い。

銀行に預けず所持していても不思議でない程度の金額だ。


木崎の場合は、六年間で、一千二百万円。

年間換算で、二百万円。

ハヤブサの拡売企画が、年二回。

一回当り百万円。

賞与の時期だと、若干高額に思うが、手元に持っていても不自然ではない金額だ。

木崎は、独身だし、アパートの部屋に保管していたのだろうか。


多田もそうだが、木崎も突然、派手な生活になった様子はなかった。


多田の場合、退職後も毎月、勤めていた時以上の現金を家庭に入れていた。

木崎の場合は、退職して殺される約一年間、銀行の通帳には、引き落としされる家賃と公共料金程度が入金されているだけだ。

おそらく、多田と同じように、どかかから、現金収入があった筈だ。


早原の場合は、預金収支が、分からない。

林が、刑事課で発表する事は無い、と云い切ったのだから、不審な情報は無かったのだろう。

林は、刑事一課だけど、刑事二課でも発表は無いという事だ。


秋山は、早原が二人に現金を渡していたのだと思っていた。

浅水病院の誰かが、三人に現金を渡していた筈だ。


僅かだが、想像していた状況とは、違って来た。

これが、ただ単に僅かな誤差で止まるだろうか。

あるいは、全く違った様相を呈する事になるのか。

見届けたい。


秋山の頭の中で、一つ、早原のひき逃げ事件に、「済」のチェックが付いた。


林が、また、刑事の目で云った。

「実は、今日、呼び出したんは、浅水病院の件から、手え引けえ、ちゅうこっちゃ。もう、関わるな」

林は、これ以上、深入りすると危険だと忠告するのだった。

後は、警察に委せろという事だ。

それは、分かっているのだが、どうしても、考えてしまう。


確かに、これ以上、犠牲者を出したくないという、大義名分は、あるのだが、

それ以上に好奇心の方が、勝っている。


秋山は、浅水病院の情報を得ようと事務員、広瀬さんを招いて一緒に酒を飲んだ。


その店で林と会った。

林が食事していたのは、偶然ではなかったのだろう。


林は、何も云わなかったが、浅水病院の広瀬さんを張り込んでいたのだろう。

広瀬さんを張り込んでいたとすると、浅水病院の事件と、関係があるという事だ。


また、一つ、確認する項目が増えた。

広瀬さんは、警察にマークされている。

広瀬さんが、多田と木崎、それと早原に現金を渡していたのか。

何のために。


まさか、警察は、広瀬さんが多田と木崎を殺害した犯人だと考えているのだろうか。

木崎は、どうか分からないが、多田は、体格が良い。

多田は、撲殺。

木崎は、絞殺されている。


果たして、広瀬さんに、二人を殺害出来るだろうか。

共犯者が居るという事か。


林が喫茶店から出て行った後も、暫く考え込んでいた。

秋山は、もう一杯、コーヒーを頼んだ。

これで三杯目だ。

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