6.誤差

また、秋山さんが、来なかった。


昨日、富樫さんからメールの着信があった。

メールの着信は、午後九時になっている。

今日、ハヤブサ栗林支社へ九時集合。

浅水病院の内情について、横田課長、越智課長とハヤブサの大野課長を交えて意見交換する。

という内容だった。


智子は、富樫さんと同じホテルに宿泊している。

勿論、部屋は別々です。

智子は、同室でも良かった。


富樫さんが、何時ホテルに帰ってきたのか分からない。

朝、六時に起きて支度をしていた。

シャワーから出ると、携帯に不在着信ランプが点滅している。

富樫さんからだった。

富樫さんに折り返しの電話を入れるとすぐに出た。

朝、何時に出発するかの、確認だった。


七時半にホテルを出発して、高速で栗林市に向かった。


智子は、何か考えている富樫さんに、話し掛ける事が、出来なかった。

暫くすると、富樫さんの携帯から、着信音が聞こえる。

富樫さんは、運転中だ。

富樫さんはスラックスのポケットから携帯を出した。

智子に携帯を渡すと「誰から?」と尋ねる。


着信は、秋山さんからだ、と伝えた。

電話に出てと富樫さんが言うので、電話に出た。

「お疲れさまです。秋山です」

智子も挨拶を返した。

「あれ。トガちゃんじゃない。間違えた」

「いえ。富樫さんの携帯です。今、富樫さん、高速で運転中です」

智子が答えた。

それじゃあ、と伝言を頼まれた。


今日は、友達と急に会う事になった。

だから会議に出られない。

と云うのだ。

更に、欠席の理由は、持病の「痔」でお願いします。

と云って、電話の向こうで、一人下品な笑い声を上げている。


秋山さんという人は、何を考えているのか分からない。

チームを組むのが難しいと思った。

「まあ、そう言うな」

富樫さんが、秋山さんを庇った。


「覚えとるかな」

富樫さんが、梅本薬品の百々津営業所での事を云った。


会議室へ入る前に、自動販売機で飲み物を奢ってもらった。

あれは、合併準備会の部外者を極力会議室へ立ち入らせないためだと云った。

お客さんが来ていれば、自然、会議室へ、お茶を運んで来る人がいるだろう。

それを避けるためだと思うと、富樫さんが云った。


智子には、どうしても、そんな細やかな神経のある人には見えない。

富樫さんの買いかぶりだと思う。


ハヤブサ栗林支社へ着いて、会議室へ通された。

越智課長と横田課長が席に着いていた。

ハヤブサの大野課長は、まだ入室していない。


富樫さんが、横田課長に秋山さんの欠席を伝えた。

横田さんは、欠席の理由も、聞かなかった。


大野課長が少し遅れるという事だった。


その間に、富樫さんが、昨日、大野課長と面会した際に見た、浅水病院の決算書について説明した。

「そんな状態になっとんやなぁ」

横田課長が苦笑いしている。

まだ、病院が倒産する時代ではないが、今後、医薬分業が進むと、薬科差益での稼が望めなくなる。

横田課長が、今後、得意先の債権管理を徹底が必要になると力説した。


横田課長の云っている事は、正しいのだろう。

智子には、難し過ぎて、よく分からない。

ただ、合併して、智子の上司が横田課長になったら、この理屈っぽい話しぶりに着いて行けない。

智子は、経理課へ配属された時に、総合職になった。

他県へ転勤になる事もあり得る。


秋山さんは、そんな横田課長と、同期だから、あんなに野放図でも許されるのか。

智子は、横田課長に尋ねた。

秋山さんは、会社でも、あんなに自由奔放なのか知りたかった。


「アッきゃんは、特別や」

横田課長が云った。

ぼんやりしているように見えるが、問題が起こった時の処理は素早い。


それは、実務経験から現場を良く知っているからだ。

現場の担当者が、作業で失敗する原因を熟知している。


また、智子には、難しくてよく分からない。

何故、横田課長の説明は、こんなに理屈っぽいのか。


富樫さんは、周囲に気を遣い過ぎる。秋山さんは、周囲に無関心過ぎる。

だから、二人とも、まだ平社員なのだ。

理屈っぽい人の方が出世は早いのかもしれない。


ドアにノックの音がした。

「お待たせしました。遅くなりました」

大野課長が入って来た。

「実は、ニュースを見てました。早原さんのひき逃げ犯人が、捕りましたよ」

「ええっ?」

会議室に驚きの声が上がった。

大野課長が説明する。

犯人は、弥勒市に住む十九歳の男子大学生。

栗林市内の大学から、帰宅途中に事故を起こした。

怖くなって、逃げてしまった。

ニュースで報道されたのは、これだけだった。

「浅水病院との関係は?」

横田課長が、大野課長に尋ねた。

もし、浅水病院の関係者なら、全貌解明の糸口になる。

木崎さんや多田さんを殺した犯人が捕まるのも、近いかもしれない。

これ以上、犠牲者が出る事もなくなるだろう。


「そこまでは、分からない」

大野課長が、云った。

当然だ。

報道を待っていては、間に合わない。

「警察に、確認出来ないですかね」

富樫さんが、誰にともなく云った。

これだけ人数が集まっているのだから、誰か一人くらい、警察に知人が居るだろうと思ったようだ。

「私にも警察に知人は、いますけど、捜査情報は、洩らさないでしょう」

大野課長が、もっともな事を云った。


もし、浅水病院とは全く関係ない、ひき逃げ事件だったとすると、秋山さんが考えていた、仲間割れではないのかもしれない。

考え方の、僅かなズレなのか、根本的な間違いなのか。


「今日。秋山さんは?」

大野課長が、秋山さんが居ない事に気付いた。

「持病。いや。仮病の痔でも悪化したんだと思います」

横田課長が、智子の方を見て答えた。


何だ。

持病の痔は仮病です。という事で通っているらしい。


しかし、横田課長には、秋山さんの欠席理由を伝えていない。

横田課長は、秋山さんが欠席する事を知らなかった筈だ。

横田課長は、秋山さんが、友達と会っている事を知っているのかもしれない。


「それより、浅水病院の決算書。見せていただけますか」

越智課長が云った。

会議室に入った時に挨拶を交わしただけで、一度も会話に入って来なかった。


ここにも、課長止まりで出世の出来ない人が居た。


越智課長は、梅本薬品の経理部部長と同じくらいの年齢だそうだ。

合併して、擂鉢堂同様、経理課長で居られだろうか。

横田課長と秋山さん、富樫さんは同期になる。

秋山さんは、何も感じないのだろうか。

富樫さんは、どうなんだろう。

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