6.背景
小さな会議室の電話台に、一輪挿しが置かれている。
長い茎と長い葉。
紫色の花弁を付けた、それこそ、一輪だけ生けられている。
菖蒲だろうと思うが、はっきりとは、分からない。
会議室へ通されて、一時間になる。
窓もなく、飾り気もない。
天井と壁は、同じ薄い木目の明るい黄土色だ。
出入口側の角に飾られた、一輪挿しを眺めているしかなかった。
ノックする音と同時に、ドア開いた。
「ああ。お待たせしました」
鳥飼支社長だろうか。
鳥飼支社長は、男前というか、苦み走った顔付きだったと思う。
「鳥飼は、今日、出張で不在です」
「そうですか」
秋山は、落胆した。
「私、大野ともうします。申し訳ありませんが、私がお伺いします」
名刺には、業務課長、大野明とある。
残念だが、鳥飼支社長は、居なかった。
「いえ。こちらこそ、突然、お伺いして申し訳ありません」
秋山は、先ず、予約無しで訪問した非礼を詫びた。
「それで、浅水病院さんの件だと伺っていますが、どのような事でしょうか」
話しをしてみると、優しい。
秋山は、直接、面会予約も取らずにハヤブサの栗林支社を訪れたのだ。
会って貰えなくても、その場で面会の予約が出来れば良い、と思っていた。
「実は、浅水病院の野上事務長に面会を申し入れているのですが、取り合っていただけないのです」
出来れば、鳥飼支社長に取りなしていただけないか。
という用件だ。
「どういう用件で面会を申し込んだのですか」
に尋ねられた。
秋山は、どう考えても、前事務長の早原氏が関与していないと、不正の起こりようがない。
確かに、百万、一千万の金額は、大金だ。
しかし、それくらいの金額で一生を棒に振るとは考えられない。
更に、関わった三人が殺されている。
だから、何故そんな事になったのか突き止めたいのだ、と説明して面会を申し込んだ。
「それは、絶対に断られますね」
鳥飼支社長から、了承を得ていると打ち明けて、大野課長は、浅水病院の内情を話した。
浅水病院の院長は、殆んど病院へは、出て来ない。
浅水院長の娘が内科部長をしている。
その娘婿が、外科部長の安藤だ。
安藤外科部長が実質的に権限を握っている。
安藤は、病院経営だけでなく、色んな事業に手を出している。
最初は、飲食店を何店舗か立ち上げた。
地元の卸も、お祝いの花輪を送ったりしていた。
次第にエスカレートして、今では、不動産投資にも手を出している。
親戚の早原氏を事務長に据えたのも安藤外科部長だそうだ。
それなのに、安藤外科部長は、早原氏の代わりに野上氏を事務長を据えた。
早原氏の不正が発覚したからなのか。
野上事務長にしても、浅水院長なら、話しは通じるかもしれないが、相手が安藤外科部長では、手も足も出ない。
面会する目的が、真相を暴くとなると、協力は望めない。という事だ。
しかし、人が三人も死んでいる。
警察も放っては置かない。
それは、警察に委せるしかない。
「もうひとつ言うと、深入りして、危険な事に、巻き込まれないようにしなさい」
大野課長は、秋山の身を案じて云った。
「それはそうと、合併のすり合わせは進んでいますか。マニュアルを点検していると、報告がありましたが」
突然、大野課長に尋ねられた。
「はい。今、両方で経理マニュアルの点検をしています。違いがある箇所を修正したり、更新したりしています」
秋山が答えた。
「そうですか。横田さんと越智さんからも報告がありましたが、給与体系の違いで困っているようです」
自社の事を秋山よりも、沢山の情報を掴んでいる。
「それでは、少しだけ。ただ、これは、あくまでも噂です。そのつもりで、聞いてください」
大野課長が、秋山の浮かない顔を見て云った。
「旭寺山を知っていますか」
大野課長が尋ねた。
南の斜面には、鉄塔が立っていて、送電線が、長く張られている。
北の斜面は、以前、保養所が建っていたが、長らく放置されている。
広く海の見晴らしの良い場所だ。
海岸線に沿って、広い臨海道を敷く計画が何十年も前からあった。
崖の下は、砂浜が続き、今でも海水浴場になっている。
ただ、交通の便が悪く、地元の住人くらいしか利用していない。
以前、林から聞いていた。
「その保養所を浅水病院の安藤外科部長が購入したそうです」
大野課長が云った。
何だか面倒な状況だ。
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