3.予感
富樫は、各営業所の監査を終えて、本社へ戻った。
案の定、決算整理は、手付かずの状態だ。
しかし、越智課長に文句を云わなかった。
田所本部長が、各営業所の監査を実施するように指示したのは、今回の人事異動のためだ。
営業所の人事を提案するのは、専務の田所管理本部長だが、決定するのは、常務の飯田営業本部長だ。
田所本部長は、課長クラスの所長の異動について、何か危惧したのだ。
富樫は、田所本部長の部屋に、監査の報告に行った。
本部長は、社内に居るはずだ。
受付で、本部長の日程を確認すると「来客中」になっていた。
しかし、富樫は、席に戻っていた。
すると、越智課長が喫煙所へ誘いに来た。
「トガ。何か、怪しいよな」越智課長が、煙草に火を点けながら云った。
富樫は、新人のころから、トガと呼ばれている。
「何が、ですか?」富樫も、会社で何か動いていると思っている。
「今、田所本部長の所へ来ている客やけどな」
確かに、見慣れない来訪者だ。
田所本部長への来客は、製薬メーカーの支店長クラスが多いのだが、見たことがなかった。
製薬メーカーの支店長クラスなら、何度も会っているから、顔見知りだ。
「社長も一緒なんよ」越智課長が、皮肉な表情で云った。
「えっ?」富樫は、驚いた。
越智課長も何かを不審に思っているようだ。
「営業所で、何か無かったか?」越智課長が云った。
「実務上、問題がある事象は、添付ファイルの通り、でぇす」富樫が答えた。
毎日、業務日報は、越智課長にメールで報告している。
問題点の詳細は、文書管理ソフトで作成し、メールに添付している。
メールファイルに越智課長の既読済も確認している。
「そうかぁあ。肱川営業所の現金差異。あれで良えんかなあ」
越智課長の言葉は、怒気を孕んでいた。
何が、気に入らないのか、富樫には、分からない。
越智課長が、富樫を育てようとしている事は、知っている。
今までの指導を受けて、その事は、分っている。
「それは、無いです」富樫は、説明した。
村上所長は、東さんから報告を受けた。
実際に、東さんから説明を受けて、確認したが、理解できなかった。
すぐ、大西総務部長へ報告している。
業務上の問題を隠そうとはしていない。
「そしたら、東さんはどうなんや?東さんは、もう七年になるわ、なあ」
越智課長は云った。
富樫は、恥ずかしかった。
東さんの責任について、一切、日報に書いていない。
会計実務担当者の責任に関する報告を一切、書いていない。
「ちょっと、甘いんと違うんかなあ」
越智課長は、厳しく指摘した。
急に話題を変えた。
「それはそうと。五岳山営業所は、どんな状態や?」
越智課長が、意味ありげに云った。何か知っているのか?
もしかすると、越智課長は、勘付いているのかもしれない。
富樫は、まだ、ぼんやりとしか分からない、東さんへの気持ちに気付いたのか。
まさか、そこまでは、とはおもうのだが。
「それより、決算整理どうするんですか」富樫は気になって仕方が無い。
「今から、やるしか無いでしょ」越智課長は、簡単に答える。
「誰が」富樫が云うと「トガちゃんが」間髪入れずに、越智課長が云った。
越智課長の説教は終わった。
擂茶薬房と鉢須賀薬品が、合併して擂鉢堂に社名変更した。
擂茶薬房は、漢方薬局から医薬品卸売業として会社組織になっていた。
鉢須賀薬品という地元の卸と合併して、擂鉢堂に社名を変更した。
社長は、擂茶薬房の飯田孝弘が就き、鉢須賀薬品の鉢須賀社長は、退任して相談役に就いた。
鉢須賀薬品の常務取締役だった田所豪が専務に就いた。
擂茶薬房の社長、飯田孝弘の息子で、飯田勝が常務に就いた。
飯田勝は、営業本部長に就いている。
派閥争いは、無かったようだ。
社長と専務は、犬猿の仲とは云わないが、さほど良好とも云えなかった。
その社長と専務が同席している。
しかも、わざわざ専務の部屋へ社長が、出向いて誰かと会っている。
これは、絶対に何かある。
富樫は、席に戻って、旅費精算書を作成していた。
越智課長席の電話が鳴った。
越智課長が、電話を取ると、田所本部長から内線だった。
富樫に目配せして、席に呼んだ。
「トガ、専務がお呼びや。一緒に行こか」
越智課長が富樫を誘った。
だが、ちょっと待てよ。
なんで、越智課長は、東さんが入社して七年目だとしっているのか。
いや、いや、いや。今、そんな事、考えている場合では無い。
越智課長は、四十四歳。
ほとんど、その年代の人は、部長、部次長に昇進している。
何か情報を知っているようだし、何か余裕を持っているようにも見える。
「トガ、早よ、せえよ」越智課長が富樫を急かした。
富樫は、嫌な予感がした。
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