1-39 守り人さんと都会女


 結局村の西側の入口から船着き場のある村の東側の入口まで通り抜けてしまった。その間に見つけられた生存者は西側の入口近くで見つけた宿の薄毛のおじさんただ一人だけだった。


 そして、村の東側の出入り口近くの桟橋でもう一人だけ生存者を見つけた。


 でもそれは本当の意味で生存者と呼んでいい存在なのかどうか自信がなかった。


「ねえ、アーシア=クーロッド。あなたこんなところで何をしているの……?」


 手斧を構えて、桟橋に腰かけて軽く足を振っている彼女に声をかける。


 私の呼びかけにアーシアは振り返らなかった。


 振り返らずに、

「見てわかるでしょう? 海を見ているのよ」

 軽く首を傾げながらそう答えた。


「……、」


 私はその背中に何を言えば良いのか分からなかった。


 言葉が出てこない。

 ただ腹の底に得体のしれない感情だけが渦巻いていた。


「違うだろ……!! 村がこんなことになってるっていうのにこんなところで呑気に何してんだよって!! 聞いてんだよ!! 答えろっ!! アーシア=クーロッド!!」


 何も言えない私とは違って、エイド少年は怒鳴った。

 彼がこんなにも怒りに満ちた顔をしているのは初めて見た。


 でも、きっと正しいモノだと思った。


 すっとアーシアが立ち上がる。


 立ち上がって、子供みたいに両手を広げた。その手には白い短杖が握られている。


「ねえ、リリアちゃん? 私と一緒に王都に行く話、考えてくれた?」


 アーシアはエイド少年の怒りには応えなかった。


 激昂した彼に後ろからばっさりいかれていたとしてもおかしくない反応だ。だけれども、彼はギリリと奥歯を鳴らすだけに踏みとどまっていた。それだけで称賛に値する辛抱強さだと思う。


「……、あなたは一体何がしたいの……?」


 そう問いかけるしかなかった。


 分かっていて何もかもはぐらかす気なのか、それともそうじゃないのかを確かめる必要がある。


「何を、かぁ……。最初に合った時も言ったと思うけれども、お姉さんは世界最高の自立型土人形ゴーレムを造りあげるのが最大にして最高の目的だよ」


 それは、予想通りの答えだった。模範解答と言ってもいい。


「……、あなたの言う最高のゴーレムって、こういうことなの?」


「こういうことって、どういうことかな……?」


 そこにはなんとなく人を試すときの色が滲んでいるような気がした。


 少なくとも簡単に情報を洩らしてくれそうにはない。


「……、質問を変えるね。あなたは一体私の何を知っているの?」


 村を出る前に話したとき、アーシア=クーロッドは明らかに私が知らない私のことを知っているかのような口ぶりをしていた。


 私とアーシアが出会って一週間程度しか経っていないはずだし、そもそもアーシアはこの辺りの出身でもないはずだ。それなのに、なんであんな訳知り顔をしていたのか、それはそれで気になる。


「沢山は知らないかなあ。お姉さんは別に占い師でもなければ、預言者でもないし、地元の人間でもないしね。ただ、あなたの知らない森の神域の真実は知っているのよ」


「神域の真実……?」


「自分のことに少しは興味出てきたかしら?」


「……、いいえ。私は私のことじゃなくて、あなたのことに少しだけ関心がある、だからあなたから言葉を引き出すために、問うているの」


「まあ、それはそれでうれしいわね。だとしても、リリアちゃんが知りたいっていうなら、教えてあげるわよ」


 そこで言葉を区切って振り返ったアーシアは、酷い笑みを浮かべていた。


 嗜虐的な笑みだった。


 小さな子供が好奇心からアリの手足をもいだり、チョウの羽をもいだりして遊んでいるときのような、邪気を孕んだ笑み。


 こんないけないことが出来てしまう自分を楽しんでいるときの笑み。


 ぞっとした。そんな子供の邪悪な好奇心のようなモノの対象に今自分たちが選ばれてしまっているらしいということに。


「お姉さんが王宮で魔式師として研究しているときにあの神域に関する資料を読んだことがあるのよ。かなり古ーい資料だったから正直半信半疑だったんだけれどね、でもあの古城で回収させてもらった資料と照らし合わせると、大方の真実が見えてきたのよ。で、大体の真実が見えてくれば、リリアちゃんの正体についても大体わかってしまうのよね」


 神域の真実が分かると、私の正体が分かるというのは理解が出来なかった。


 私は単に守り人の一族の末裔というだけで、神域に関しては特に深い縁があるわけではない。というか私の一族は実は『完全なる火の造魔式』の守り人であるので、フローゼの森の守り人と呼称するのですら正確性を期すならば間違っているということになる。


「そうねぇ。まずはあのバカみたいにでっかい樹についてだけれどね。そもそもアレ、神樹なんて呼ばれるような代物じゃないのよ。むしろ逆と言ってもいいわね。呪樹じゅじゅとでも言えばいいのかしらね、呪いの樹、あるいは滅びの樹と呼ばれるような代物なのよ」


「……、は?」


「まあ受け入れ難いのは分かるけれどもね、でも受け入れてくれないと、話が先に進めないのよねぇ」


「……、分かった続けて」


「はぁ~い。いつからあの樹があそこに在ったのかは分からないけれど、少なくとも文書という形を取れる頃には既にずっと在ったということは分かっているのよね。初めあの樹は呪いの樹として恐れられていたのよ。あの樹の力は命の業を回収して再還元してしまうというモノ。この意味が分かるかしら……?」


 命の業の還元……?

 次から次へと理解が追い付かない言葉が出てきて、頭が混乱する。


「分かってなさそうだから、少し説明するわねぇ。どんな生き物でも、生命が維持されるときには何らかの業を重ねていくの。生きるためには食べる必要があるからね、食べるということは他の命を殺すということ、そして命を殺すということは業を積むということ。まあ罪と言い換えてもいいかもしれないわねぇ」


「生き物は生きているだけで罪を生み出すとでも言いたいわけ……?」


「そうよぉ。そしてエーテルっていうのは人の罪を燃焼させるための着火剤みたいなものね。造魔式っていうのは、つまり、人の罪を加工して具現化させる力なの」


「……、」


 本当にわけが分からない……。


「でも、生き物の業っていうのは、死ぬことで消えるの。死すことで誰もが罪から逃れられる。罪は無になるの。でもね、あの樹はその無になるはずの業を回収してしまう。回収して、周りの生き物たちに再配分してしまう。これがどういうことかわかるかしら?」


「……、世界の中で業が減ることなく無限に増えていく……?」


「んふふ、正解よぉ。流石リリアちゃん、賢いわねぇ」


 しかし分からない。世界に業が無限に積み重なっていくとして、それは何か問題を引き起こすのだろうか?


「あー、世界に業が増えると何が問題なんだって顔してるわねぇ。まあ正直、多少であればそんなに気にする必要もないのだけれどねぇ。あの樹は規模が大きいの。とても大きい。人一人分程度ですらどんなに強烈で強力な造魔式を行使したところで業が枯れることはない。それくらいの力を秘めているのよ。そんなものが死でリセットもされずに延々蓄積され続けてしまったら一体どうなると思う?」


「……、世界の力の総量が青天井に増えていく?」


「そうよ。でもこの世界にだって力への許容量ってものが存在するのよ。だからあの樹が業を回収して再配分してしまうと、世界の容量が酷く圧迫されてしまうっていうわけ」


「世界が急に壊れるとでも……?」


「まあそうねえ、あの古城規模の国が大体一〇〇〇年栄え続けていたならば、それだけで世界は持たなかったでしょうねぇ」


 一〇〇〇年。これを短いと見るか長いとみるかは、多分人にもよるだろうし、種族にもよるのだろう。少なくとも私にとってはそれはとても長い時間に思える。


「でも、世界だってそんな勢いで許容量を喰いつくされたらたまらないから、間引きをしようとするわけよ。その結果が、あのフロリアスの古城のあった国の滅亡ってことになるわね。そして、あの樹と強い縁を結んでしまったが故に、あの国の人たちは一つの一族を残してこの地上から抹殺されなければいけなかった。そろそろリリアちゃんにも分かってきたんじゃないかな?」


 恐らく、その一つの一族というのが私の一族のことなのだろう。


「なーんにも言ってくれないの? まあ別に良いけれどね。だからリリアちゃんのご先祖様は実は本当は神域の守り人じゃなかった、ということになるわね。どちらかというと、門番みたいなものかな」


「……、」


「いや、本質としては、あの樹を打ち倒す何らかの力を育てるための一族だったと考えるのが一番自然かもしれないわねぇ」


 アーシアの言葉を聞いて私の中で全てが繋がってしまった。


 私の一族はフローゼの森の守り人ではなく、『完全なる火の造魔式』の碑石の守り人だ。代々これを継承し続けることが一族のもっとも重大な役目であるとおじいちゃんは言っていた。


 つまり、『完全なる火の造魔式』の碑石を継承し続けて育て続けることによって、いつの日かあの樹を焼き払う力を得るというのが本当の最終目標だったということになってしまう。


 それが多分、どこかの段階で伝承が変質してしまって大事な部分が抜け落ちてしまった。


 そう考えると全てに辻褄があってしまう。


「……、」


「うふふふ、いいわぁ。リリアちゃんとっても良い。その表情よ、お姉さんその表情が見たかったの……!! あぁ、気持ち良い、とっても気持ちがいいわぁ」


 アーシアが声を上擦らせながら口角をあげる。


 今ここで熱くなっても意味がない。相手のペースに乗ったところで、何にもならない。


 ここまでの話の流れで、おおよそアーシア=クーロッドがまともな人間じゃないっていうのは嫌と言うほど理解できた。


 でも、結局一番重要な部分は何一つ分かっていない。


「……、でもそれとあなたの行動との間には一体どんな因果関係があるっていうの?」


「確かに……!! やっぱりリリアちゃんは頭がいいわねぇ。だからこそお姉さんはリリアちゃんが助手になってくれたらうれしいのよね」


「些事は良いから、答えて」


「んふっ……、熱くなっちゃって、可愛いんだからっ。言ったでしょう? お姉さんの目的は世界最高の自立型土人形ゴーレムを作ることだって」


 ……、いや待ってよ……。

 そんなことって……、でもそれしか……。


「あ、あなたもしかして……、業の回収と再配分という考え方とあのお城で手に入れた心造鎮魂式レクイエム土人形ゴーレムの碑石の力を組み合わせたっていうの……?」


「わぁ~、すご~い!! まさかお姉さんが答えを言わなくっても、自力で辿り着くなんて思わなかったわぁ。造魔式のことだってろくに知らないっていうのに、本当にすごいわねぇ」


「じゃあやっぱり、この騒動はあなたが……!!」


「うふふふ、そうよぉ。私なりに業の再回収と再配分を検証して、単純な自立型土人形ゴーレムに組み込んでみたの。そしたら、生き物から業を回収してから、同種の自立型土人形ゴーレムへと共生的に変換させて吐き出すっていう構造が出来たのよぉ……!! すごいでしょ……??」


「……、お前、お前ぇっ!! 人の命を何だと思っているんだよっ!!」


 今までずっと黙って私とアーシアのやり取りを見守っていたエイド少年が、強く強く、吐き捨てた。


 こんな行いは倫理にもとる。


「なぁに? ヒトの命は平等に大切ですなんてのぉ? エイド君はぁ~? でも残念でした、ヒトの命に大した価値なんかないわよ。お姉さんの命も、あなたたちの命も、王様の命もリスの命も、ネズミの命も、全部一緒。一様に価値なんか存在していないわよ」


 だというのに、アーシア=クーロッドはそれを一笑に伏した。


 高らかに、艶やかに、自信満々に。


 絶句してしまう。


 今になって、その言葉を聞いて、やっと私の中にあったアーシア=クーロッドへの違和感の理由が分かった。


 人を心配しているように見せかけてその実、全てに価値を感じていないからこそ生じる妙な軽薄さが私の中の一番柔らかい部分が逆撫でされているように感じていたからだ。


 そして全てに価値がないと考えているからこそ、自分に対しても他人に対しても一切の遠慮なく好き放題してしまえる。


 そういう自滅的で、破滅的で、壊滅的な、自暴自棄さこそが、彼女のことを今一受け入れ難い理由だったのだ。


「アハッ!! これを言うと、みんな、みんな、み~んな、そんな顔をするのよねぇ。お姉さんには全然分からないわ。でも、そういうあなたたちの顔を見るのは気持ち良いから好きよ」


 だというのに、この期に及んでアーシアは私たちのことを好きとうそぶく。


 分からない、もしかしたら本当にそれは本心なのかもしれない。でも、それが本心だと考えると、この女にとっては好だろうが悪だろうが、等しく価値のない物になるはずだ。


 確かに好きだけれど価値のないモノというのは存在するのかもしれない。


 でも、大抵の場合は好きなモノには何らかの価値を見出してしまうが人情というモノだ。それが例えどんなモノだったとしても……。


 だから、彼女が本当に何もかもに価値がないと心の底からそう信じているのだとしたら、彼女自身の趣味趣向は一体なんの元に立脚していることになるのだろうか……?


「せっかくだし、好きついでに嫌がらせを追加で一つおまけしちゃおうかなっ!!」


 頬を上気させながら上ずった声と共に、パチンっと指を鳴らした。


 すると、桟橋の奥の浅瀬からズゥンと全高おおよそ六メートル弱程度はありそうな土の機兵が姿を現した。それは今まで見たことのない形のゴーレムだった。


 ドラム缶のような頭部には一本の角が生えていて人の目や鼻、口に相当するような器官は一切見受けられない。巨大な肩の後ろからは二本の巨大な柄が見えている。背負っているのが剣なのか斧なのか、槍なのか、それとももっと別の鈍器なのかは判断が付けられない。二本の太い腕からは、補助用っぽいサブアームが二対四本生えている。下肢がどうなっているのかは分からない。腕と違って上半身には飾り気はほとんどなさそうだ。


 そして何より、太い腕の先にある手のひらの上が問題だった。


「父さん……!! 母さん……!!」


 金髪で少しふくよかで特徴的な赤い頭巾と赤いエプロンを身に着けた女の人と、ごわっとした黒髪で鼻周りにそばかすのある筋骨隆々の男の人。


 私も会ったことがあるし、話をしたこともある。


 二人とも豪快に笑うヒトだった。


 今はぐったりと身体から力が抜けて、水を吸った衣服が重そうにべったりと張り付いている。


 ……、いや、おかしい。それだけ濡れているということはずっと水の中に居たということになる。だけれど、私たちは一体どれだけの時間アーシアと話をしている?


 少なくとも人が潜水で息を続けていられる時間よりはずっと長かったはずだ。


「安心していいわよぉ。二人とも……!!」


「おまっ……、お前ぇぇぇっぇぇぇっっぇ!!!!」


 音吐朗々おんとろうろうな歓呼に対して、怒号のような喚呼かんこが応じた。


 止まらなかった。

 止められなかった。

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