1-33 洞窟最深部からでも上京するべきたった一つの理由


 もう、どれくらい下ったのだろうか……?


 注意深く観察しながら洞窟の中を進んでいくのは意外と飽きなかった。


 洞窟の中は同じような景色が延々と続いているのかと思っていたけれど、鍾乳石一つとっても、岩壁一つとっても、意外と同じものはない。そう、よく見ると、いや、鍾乳石の方はあんまりよく見なくても、一つ一つ形も違えば色も違うか……、ともかく、思ったよりも洞窟の中っていうのは退屈しなかった。


「随分歩かせちまって悪かったな、そろそろ見せたい場所に着くぜ」


 少し先を進んでいるエイド少年がわざわざ振り返ってそう教えてくれた。


 にしてもエイド少年が私に見せたがるものって一体何なんだろう……?


 今までずぅっと緩やかな勾配だったのに、その場所だけは一段高くなっているらしく、先に段差に登っていたエイド少年に引っ張り上げてもらう形で、段差の向こう側へと進んでいく。


 ちょっとした絶壁登りみたいな趣があった。


 時折松明と荷物袋を渡されて、エイド少年がホイホイと段差を超えていくのを後ろから見守ることがある。何というかスパイクも何もない革靴でそんなにひょいひょいと高めの段差を超えていけるのは中々すごいのでは……? などと思ってしまった。


 それからまたいくつかの段差を乗り越えて、辿り着いたその場所は輝いていた。


 松明の光がなくても辺り一面を見通すことが出来るほどの光量がそこにあった。


 地下であるのに、空気が淀んだ感じは一切しないし、下からの輝きを天井の鍾乳石が反射させて、あたかも夜空に広がる満天の星の輝きの下にいるかのような錯覚さえ感じられる。


 そう、輝いているのは天井ではなく、足元だ。


 足元の数センチの海水と思わしき水が、柔らかなライトブルーの光を放っている。


「なにこれ……、すごいね」


 もうそれだけしか言えなかった。


 色んな感情が浮かんでは消えて浮かんでは消えて、言語として適切にアウトプット出来ないまま感情としてグルグルと自分の中を駆け巡っていく。


 どこがどうすごいのかを頭の中で情報として処理し切ることが出来なかった。


「あそこの中央にまん丸い石あるだろ?」


 私が語彙力崩壊を起こして口を開けてあっちこっちに視線をグルグルしていると、エイド少年が、一点を指さす。


 自分の中に注入される情報の処理が追い付いていない私は、それこそカルガモの子供が脳死で親についていくみたいにエイド少年が指さした方向を見た。


 そこには本当にまん丸い石があった。


 どう見ても良く磨き込まれた人工の球体に見える。


 ただ不思議なことに上から何かが滴っているわけでもないのにまん丸いそれは薄らと水の膜を張っているようだった。


 いや、上からの滴りがあって全体に水の膜が出来ているのならば、石が丸い形を維持しているのがそもそもおかしいことになるか。


 不思議でしかなかった。


 近づいていってよくよく観察してみる。

 本当にどこからどう見ても完全な球にしか見えない。


 触っても大丈夫なモノなんだろうか……?

 この球体の表面の水がとんでもない毒性を持っているとかないだろうか?


 そんな風に思ってエイド少年の方へと視線を投げてみると……、

「これも俺が小さいときからずぅっとここにこうやってあるんだけどよ……、もしかしてあのお城の地下の碑石みたいなものなんじゃねーかなって思ってさ……」

 私が考えていた疑問とは違う角度からの情報がもたらされた。


 なるほど、これが碑石の一種……。


 お城の地下で見た碑石と比べてみよう。


 形、お城の碑石は楕円形を斜めに切ったような形をしていた。この丸い岩は、さっきの通り本当に完全な球体に見える。


 表面、お城の碑石は私には何やらよく分からない古代文字のようなものが刻み込まれていた。この丸い岩は特に何かそれらしきモノはなく、したたり落ちる水に輝きを反射させてつるりとした光沢を持っている。


「碑石の類では、ないんじゃないかな……? 見た目も全然違うし……。それより、これって触ってみても大丈夫なモノ?」


「そうか……、リリアが何にも感じないなら、そうなのかも……。触るのはまあ、大丈夫だと思う。少なくとも俺は結構何度も触ってるけど特になんともなってないし……、それにそれに触ってヤバかったら多分だけど、ここまで歩いてくることそのものがもうヤバイんじゃねーかな……」


「なるほど、一理ある」


 私は納得してそぅっと球体に触れてみた。


 液体が流れているはずなのに、その感触は特になかった。


 妙にさらりとした質感だ。


 ほんのりと温かいような感じがする。少なくとも今の草花が萌芽し始める時期の気温と比べると、僅かばかり温かみがある。


 輝きはなかった。代わりにぼーんっ、と何かが木魂したような気がした。


「今の何だ……?」


「あなたも感じたんだ……、良かった。良かったのかな……?」


 きょろきょろとあちこちへ視線を回すエイド少年と短く言葉を交わす。その間にもぼーん、という木魂する感覚は続いている。


 なんとなく害のある感じとは思えなかった。


「でもリリアが触った途端にこれってことは、やっぱりその石は碑石か何かの類だったのか……?」


「あのときとはだいぶ感じが違うし、多分私のご先祖様がこの辺りに残していた何かで碑石とはまた違うモノかなって思うけど……」


 おじいちゃんはあんまり詳しいことを教えてくれなかったけれども、多分フローゼの森の守り人の一族っていうのは多分結構長い事守り人として役目を果たしていたっぽい節がある。


 だからもしかしたら、そのどこかでこの場所にこんなものを作っていても不思議はない。だってそもそも私の一族は『完全なる火の造魔式』なんてものを一生守って生きてきた一族らしいのだから。


「なんか随分な物言いだけれど、根拠とかあるのか……?」


「根拠は特にないけれど、でもあなたはさんざんこの石に触ってたんでしょう?」


「そうだな、昔は結構べたべた触ってた」


「でも、その時には何にも起きなくって、今私が触ったことで何かが起動した。であれば、それは多分、私の方にこの石と共鳴する何かが合ったって考えるのが妥当なのかなって」


「確かに、それは……、そうだな」


「でしょ。だから、あなたと私の違いって何かなって考えると、まず真っ先に私がフローゼの森の守り人の一族ってことが考えられる。で、まあなんか私の一族は昔はなんかすごかったらしいって、おじいちゃん言っていたし、そういうこともあるかもしれないなあって思って」


 一応説明らしきものを口にしてみるけれど、でも何というかほとんど一から十まで推論しかないので、信憑性は〇と言っていいのではないかと、自分で言っていて思ってしまった。


 無根拠、無論拠、無出典。三拍子そろった無い無い尽くしだった。


「分かったよーな、分からないよーな……。それで、リリアは何か体調に変化とかはないのか?」


「今のところ特には。というか一応確認するけれどもあなたにもこの、なんだろうな、……鐘の音みたいな音は聞こえているってことでいいんだよね」


「ああ、聞こえてる。どこから聞こえてるのかは全然分からないけど、とにかく聞こえてはいる」


 私と同じだった。


 右から聞こえてきているような気もするし、左から聞こえてきているような気もする、何なら上から聞こえてきているような気もするし、下から聞こえてきているような気もする。どの方向を向いてみてもその方向とは違う場所から聞こえてきている感覚になるのだ。


 もしかすると、この音は本当は誰にも聞かれたくない音なのかもしれない。


 誰にも聞かれたくないけれども、しかし音が鳴るのは避けられないので、どうにかして音の出所を誤魔化すための仕掛けが施されている、とか……?


 しかし考えてみたところで、何かまともな答えみたいなものが出てくることもない。


「分からねえなあ……。なんで音鳴ってんだよ……」


 そう、そもそもこの音が何のためになっているモノなのかさえも私とエイド少年には全く、全然、丸っきり、一切合切、徹頭徹尾、天上天下唯我独尊に分からない。


 いいものなのか悪いものなのかも、分からない。


 ぽちゃんっ……、と音がした。


 この岩礁洞窟に入ってから滴る水音を聞いたのは、初めてだった。


 水場にいるのに、ほとんど僅かな水音もなっていないということに今初めて気が付いたくらいだった。


「誰っ!?」


 僅かな滴り音の直後に、ガッと足音が鳴る。

 同時に黒い影がすごい勢いで、こちらへと突撃してきていた。


 私は咄嗟に腰へと手を伸ばして、普段使い用の手斧を構えようとした。けれども、今日は宿に置いてきていた。


 仕方なしに身を低くして頭の前に両腕をクロスさせて構えを取る。


 相手は私の言葉には何も返してこずに、ただ黙って接近して、手を前に突き出して来た。


 ナイフを握っている……!?

 その電光石火の動きから、即座に気が付くべきだった。


 ギリギリ間一髪、喉元への一撃を何とか躱せた。


 後一センチ左にズレていたら危なかった。


 つつぅっと、切れた首の薄皮から血が滴る。


 空ぶった手を引いて、今度は正確に狙いを済ませて首の真ん中を狙いに来ていた。


 その手が前に突き出される前に何とか手首を両手で掴んで、その手を止めさせる。


 だのに、目の前でナイフが横に投げられた。

 左手から右手へと空中でナイフをトスしたのだ。


 ヤバイと頭が認識したのと私の無意識の足払いが目の前の誰かの姿勢を崩させるのは同時だった。


 バシャンッ!! と水が飛沫をあげる。


 ゴロゴロゴロゴロッ!! と私と謎の誰かが同時に薄らと水の流れがある地面に転がる。少し遅れてカランッとナイフが地面に落ちる音がした。


 床を転がりながら、どうにかマウントポジションを取ろうと奮闘してみたモノの、相手の方が一枚上手で、組敷かれる形になってしまった。


 水が背中にびったりと張り付く。


 マウントポジションを取られながらも何とか相手の両手首だけは下から抑えることに成功していたのが不幸中の幸いだった。


「女の子……?」


 黒いフェイスマスクと黒いほっかむりで顔を隠しているため核心は持てなかったけれど、両手の平から伝わる感触と、全身真っ黒の装束から僅かばかり主張する女性らしい体のラインからはそうとしか思えなかった。


 一瞬強烈に睨まれた気がした。


 直後にブンっ!! とエイド少年が火のついたままの松明を振り抜いた。


 それはガゴッ!! と音を立てて真っ黒い装束の女の子の後頭部に直撃する。


「やったのか……?」


「分かんない……」


 むしろやっちゃってた方がマズイ様な気もする。


 でもここは都会じゃないから、隠蔽も容易いかもしれない。


 いつの間にやらぼーんという謎の音は止んでいた。

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