日本代表として
大きなスーツケースが家に送られてきたのは少し前の事だった。母ちゃんに一通り中身の説明をしてもらって蓋を閉じ、そのままになっていた。
アメリカへの出発が間近に迫っている。今度は母ちゃんに手伝ってもらって、その中に入っている物を取り出し、試着してみた。
日本代表のスーツを初め、帽子、Tシャツ、ポロシャツ、ジャージの上下に半パン、靴下、靴など、頭の先から足の先までの衣装と、様々な大きさのバックまで入っている。
「スーツは上が真っ赤で下は真っ白。凄く素敵よ」
母ちゃんは嬉しそうだ。
オレはファッションショーを始めた。
「ケンタ、カッコいいよ。すごく似合ってる。写真に撮って見せてあげたいよ」
「変な事言うなよ。写真に撮ってもオレは見えないんだぜ」
「まあ、そうかもしれないけど、おじいちゃんにも見せてあげたかったね」
母ちゃんはそう言うけれど、じいちゃんが生きていたら、オレはあの山を去る事はなかったはずだし、ここにこうしていないはずだ。
どちらが良かったとは言えないけれど、人生どこでどう転ぶか分からないものだ。
でももしじいちゃんがこんなオレの姿を見たら、驚くだろうな。
迷惑かけっぱなしだった母ちゃんに、これで少しは親孝行出来ているのかな? と思って嬉しかった。
スーツもユニフォームもオリンピック選手と同じだという事が、嬉しさを倍増させる。
テレビで観ていたオリンピックでの日本選手の活躍に感動した。同じユニフォームを着て、今度は自分達がやってやるという思いが強くなる。
自分がここまで来る事が出来た事。今は沢山の感謝の気持ちが溢れている。
このスーツケースとは別に、試合で着るユニフォームは別に送られてきていて、そっちは既に実際に練習で何回か着てみた。
何だろう? これを着て走るといつもより背筋がピンと伸びる気がする。何も着ていないみたいに軽くて着心地も抜群だ。汗をかいてもベタつかない。
改めてそっちにも袖を通してみる。母ちゃんが細かく説明してくれる。ピッタリと肌に密着する膝上までの黒のパンツ。上のノースリーブは赤地に白いラインが何本か入っていて、淡いピンクの桜の花びらが舞うように描かれている。JAPANの金色の文字が胸に輝く。左胸には日の丸が描かれているらしい。
母ちゃんがオレの右手を取って、その手を日の丸に重ねた。
「ケンタが日本代表だなんて。誇らしいわ。ここに手を当てたら、日本のみんなが応援してくれてるって思えるはずよ。でもね、日本の代表とか気にしないで、いつも通りのケンタが、いつも通りに走ってくれたらいいと思うよ。
そんなケンタの走りを観にアメリカまで行けるなんて、とっても楽しみだよ。
父ちゃんもきっと観に行くと思うよ」
「え?」
最後に言った事が信じられなかった。
「母ちゃんが父ちゃんの事を話そうとしても、これまでケンタは全然聞いてくれなかったから。少しだけ話してもいいかい?」
ドキドキした。オレは小さく頷いた。
「色々事情があってね。
私達は生活していかなきゃならなかったから。ケンタが生まれて。マタギという仕事では充分なお金を稼げなくなったの。それで父ちゃんはマタギをやめて別の仕事に付いた。軌道に乗り始めた仕事を変える事は出来ずにこっちに来たのよ。
父ちゃんはケンタの将来をいつも心配してた。じいちゃんの死とケンタの事故のショックは相当大きかったようね。少し心を病んでしまってね。これ以上母ちゃんに迷惑かけられないからって出ていってしまったの。
昔からずっと、不器用な人だから。
でも、父ちゃんとは時々連絡を取っているのよ。ケンタの頑張りに負けられんって父ちゃんも頑張ってる。健康も取り戻して、今は仕事も頑張ってるから大丈夫よ」
「‥‥‥」
オレは、オレは父ちゃんに何て酷い事を‥‥‥。最低なのは、父ちゃんじゃなくてオレの方だ。
☆
パラリンピックの開会式の時はまだ日本にいた。オレ達の出番は開幕から一週間後だから、開会式が終わってから出発だ。開会式はテレビのニュースで少しだけ観た。あ、聞いた。オレと同じブレザーを着て日本選手団は行進しているんだなと思った。
もうすぐこの選手団の中にオレも入るんだと思うと何だか不思議な気持ちになる。これまでテレビで観てきたオリンピック・パラリンピックのように、もう他人事ではない。自分がこのテレビの中にいて、誰かがそれを観ている所を想像するとワクワクする。
オレは日本選手団の中の一員なんだという意識が否が応にも高まってきた。
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