山犬ロンのそばで

 日が落ちて、やはり少し冷え込んできた。ロンは小刻みにプルプルと震えている。目はうつろに開いているように感じる。


 オレは火を焚いて、ロンの身体に身を寄せて寝転んだ。一緒に走っている時はもっと身体を大きく感じていたけれど、思っていたより小さい。

 お腹に手を当てると、膨らんだりへこんだりを規則正しく繰り返している事に安堵する。耳を胸に押しつけるとドクンドクンと心臓の音が聞こえる。

 ロン、死ぬなよ。


 背中をそっと撫でていると、ロンとの思い出が次々と思い浮かんでくる。


 じいちゃんを亡くした悲しみがまだ癒えず、新しい小学校にも馴染めず、苦しかった時、新しく見つけた山が唯一の癒しの場所だった。

 オレが山の中を走っていたら、お前が少し距離を置いた所で走っていた。

 嬉しかったな。田舎の山でキツネのチャチャと走っているみたいだった。

 でもチャチャと違ってお前はいつもオレとある程度の距離を置いていた。そしていつもいつの間にかいなくなる。

 山に入っても会えない事も多かったから、会えると心が踊った。そしてお前がいると信じられない位速く走れて本当に気持ち良かった。

 お前との距離感が凄く心地良かった。


 ナツが山に入ってしまった時に、それを知らせてくれたのもロンだったな。

 ロンが知らせてくれなかったら、ナツは大変な事になってたかもしれない。


 オレが目を失って、三年間、離れ離れになっていたのに、オレがこの山に戻ってきた時、ロンが迎えてくれた。

 ロンには分かっていたんだろ? オレの目が見えないって事が。

 ロンがゆっくりと先導してくれて、見守ってくれていたから、オレは山の中を一人で歩けるようになったし走れるようになった。

 それが無かったら、きっとオレは本当に何も出来ない後ろ向きなダメな人間になっていたと思う。


 ロンの息吹が少しずつ遠のいていくように感じる。薬草も効いてくれないのか?


 ロンだけじゃなくて、色んな思い出が蘇ってきた。

 

 じいちゃん、キツネのチャチャ、母ちゃん、盲学校の先生、学園の仲間達、聡さん、ナナエとルイさん、ハルトさん、そしてナツ‥‥‥


 もしかして、お前は身を持ってオレに教えてくれているのか?

 オレ達は調子に乗り過ぎていた事は確かだ。オレは大切な事を色々忘れかけていた。自分達の力でここまで来たんだと慢心しかけていた。オレ達は本当に沢山の力を貰ってここまで来る事が出来たんだ。

 ナツだってこのまま突き進んでいたら、きっと以前と同じように怪我をしていたかもしれない。

 お前は大切な事を思い出すきっかけを作ってくれているのか?

 だけど、そうじゃないって言ってくれよ。


 ロン、ありがとう。

 ロンとオレ、一体となったようにくっついて、こんなに仲良くなっちゃって、お別れの時が来たら切な過ぎるじゃないか。


 そう思った時、ロンの腹に当てていたオレの手がその膨らみを感じなくなった。


「ロン! 死んじゃダメだ」

 心臓に耳を当てる。

 その鼓動を感じる事が出来ない。

「ロン!」

 オレは無我夢中で心臓マッサージを繰り返した。

「戻ってこい! ロン!」


 涙が溢れてきた。目がダメになってから涙はもう出ないと思っていたのに。

 事故直後、病室で涙が出そうになった時、涙は出ずに強烈に目が痛くなった。今は目の代わりに強烈に心が痛い。


「ロン、最期はオレがこんなに近くにいる事を許してくれたんだね。今まで本当にありがとう」


 ロンの目はうつろに開いているように感じた。

 お前は死んでも目を開いていられるんだな。オレは生きていても目は閉ざされたままなのに。

 死んでも見えるのか? それなら見ていてくれよ。これからのオレ達を。


 ロンの身体はいつまでも温もりを保っていた。そして柔らかかった。夜が明けるまでオレはロンにずっとくっついていた。


 そして太陽が昇り、オレは祈りを捧げた。心を無にして大きな穴を掘ってロンを葬り、山を下りた。


 ☆


 ナツに連絡を入れて、部活が始まる前に話をした。


 ナツは小さく「良かったね」と言った。

「え?」


「だって、きっとロンは嬉しかったと思うよ。そんな風にケンタと一緒に最期を迎えられて。ケンタだってそうでしょ」


 そう言った後にナツはオレの背中にそっと手を回してくれた。


「でもとっても悲しいね。ケンタ、大丈夫?」


 暖かい物が込み上げてきた。


「ありがとう。オレは大丈夫だよ」

 それだけ言うのが精一杯だった。

 また涙が頬を伝うのを感じた。


「あっ! 蝶々!」

 ナツが声を上げた。

「今、ふわふわって。ほらっ! 白っぽい綺麗な蝶々があっちの方にヒラヒラヒラヒラ飛んでいく。

 私ね、小学校の時にケンタに出会った時から時々こういう事があるの。心が痛んでいる時に何か「ふっ」て。自然の中の小さな生き物が心を和ませに来てくれるみたいな。

 これはね、ケンタが気づかせてくれたもののような気がするの」


 オレの大好きなものがナツにも見える事が嬉しかった。たまらずナツの背中に手を回した。

 暖かい物がじわじわとオレの中の悲しみを溶かしていく。ナツの小さな背中がたまらなく愛おしくなる。オレの中の男が目覚めかけた。

 

 ナツをグッと引き寄せようとした時、ロンの目が光ったような気がして、突然我に返った。

 オレは慌てて背中に回していた両手をナツの肩に置き換えた。そしてナツの顔をしっかりと見た。


「大丈夫に決まってるじゃないか。さあ、やろう。本番はもうすぐだ」

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