家に帰って
両親は運動会を観に来てくれていた。運動会が終わってから二人には会っていない。私は家に帰るのが億劫でたまらなかった。あんな風に抜かれて、きっと父さんに怒られると思った。
家の前まで来て立ち止まる。いつも何気なく開けている玄関のドアが、今日はやけに大きく感じる。中に入りたくないな、と思う。
辺りを見回すと庭の片隅に咲いている一輪のリンドウが目に入った。こんな所にひっそりと咲いてたなんて、全然気づかなかったな。
今日は父さんと母さんにカッコいい姿を見せて、喜び勇んでここに帰ってきたかった。やり直したいと思った。だけどやり直しても、きっと同じ結果になると思う。
ふ〜っと溜息が漏れた。仕方なく家のドアを開ける。
「ただいま」
浮かない顔で帰ってきた私に「お帰り」と母さんが迎えてくれた。
奥の部屋にいた父さんも顔を出した。
「お帰り。ナツ、ちょっとこっちに来て座りなさい」
「はい」
父さんの口調は穏やかだ。でもきっと叱られる。仕方がない。あんなカッコ悪い所を見せてしまったのだから。私は覚悟を決めてテーブルの所に行って座った。
母さんが麦茶を三つ運んできて一緒に座ったのでちょっとびっくりした。陸上の事を話す時は、父さんと二人で話すのが殆どだから。
「今、ナツはどんな気持ちだ?」
父さんが切り出した。優しい口調が余計に怖く感じる。
あの抜かれた場面、ゴールした場面、あいつに顔を覗き込まれた場面が鮮明に思い浮かんできた。
堪えていた涙がまたドバッと溢れ出てきた。
「ごめんなさい。悔しい。何であんな子に‥‥‥」
上手く言葉にならない。
「ナツは何で謝ってるんだ?」
「え?」
予想してなかった父さんの言葉に、何て答えていいか分からない。
「だって。カッコ悪い姿を。いつも練習を見てもらってる父さんと、母さんの前であんな走りを‥‥‥」
「今日のナツの走りは良かったさ」
「え?」
また父さんが予想していなかった事を言ってきた。
「だって抜かれたんだよ。私よりも背の低い子に。それにその子は陸上シューズじゃなくて、地下足袋を履いてて、ゴール後に顔まで覗き込まれた」
母さんが微笑んだ。
「あの子は特別に早かったわね。男の子だもの。仕方ないでしょ」
仕方ないなんて言わないでよ、と思っていると父さんまで畳み掛けるように言ってきた。
「今回は仕方ないと言わざるを得んな。あの子は特別だよ」
何よ、父さんまで。
私は泣きながら思いをぶちまけた。
「私が特別になりたいの。男子だからって、どうして? 私は今まで男子にだって同じ学年の子には負けた事なかったし、男子とか女子に関係なく一番になりたいの。同じ人間なのに何でなの」
父さんが
「いいか、ナツ。一つ覚えておかなければいけないよ。男子と女子は身体の構造が違うんだ。だからこれから出る大会は全部男子と女子は別々に行うんだよ。男子に負けたくないっていう気持ちも大切だけど、男子は男子で女子は女子なんだ。ナツは女子の中では特別に速いよ」
「ずるいよ。そんなの。いくら頑張っても一番になれないなんて。私、それなら男子に生まれたかった」
父さんと母さんは顔を見合わせて困った顔をして微笑んでいる。
母さんが優しく言った。
「ごめんね。男の子に産んであげられなくて。でも、女の子の方が得意で、女の子にしか出来ない事もあるんだよ。お嫁さんになったり子供を産んだりね」
「私はさ。お嫁さんになんかなりたくないし、子供だっていらない。誰よりも早く走れる方がずっといい」
「困った子ね。ナツもそのうち分かるわよ」
そんな風に言われた。
「しかし、あの子は凄かったな。長年色んな選手を見てきてるけど、あんなに上手く力を抜けて、野生動物みたいに走る子を見たのは初めてだ」
怒られた方がまだマシだと思った。
父さんが私じゃなくて、あいつの事を特別視している事が悔しくて堪らなかった。
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