並走

 好きじゃなくなったけれど、私は毎日走り続けていた。好きだから走るとかじゃなくて、何ていうか、これはもう習慣っていうか、いつの間にか毎日やらなければならない物になっていた。


 メインの練習は早朝だ。五時半から一時間半、父さんが出勤前に見てくれる。低学年の時は六時から一時間だったけど、四年生になってから三十分増えた。土曜日か日曜日のどちらかは練習お休みで、どちらかは時間をかけてみっちり練習する。

 学校でも昼休みはグラウンドで一人で走っていた。学校では殆どがジョグ程度、気が向いたら最後に少しだけガッと上げる事もある。


 運動会であいつに抜き去られてから、自信もやる気も無くなっていたけれど、私は惰性で走っていた。

「ナツ! やる気がないならやめろ! 今日はもうここまでだ」

 父さんの雷が何度も落ちた。


 もうやめてやる! って何度も思う。惰性でやっている事に意味はないと私も思う。でも、走る事をやめたら私は何をやるの? 何の取り柄もない私の居場所が本当に無くなってしまうようで怖い。ずっとやり続けていた事をやめる勇気はないし、休む勇気さえもない。

 あいつさえ居なければ‥‥‥。

こんな辛い思いをしなくて良かったはずだ。あいつが憎ったらしい。


 運動会から一週間程が経ったある日の事、昼休みにいつものように惰性で走っていると後ろから突然声を掛けられた。

「やあ!」


 あまりにも突然の事だったので私の心臓は止まりそうになった。身体もビクッと飛び跳ねた。


「そんなに驚くなよ。ごめん、ごめん。さっき教室から外を見たらナツが走ってるのが見えてさ。一緒に走っていいかな?」


 並走しながら、にっくきあいつがニコニコしている。あのケンタっていう子だ。あの時もそうだったけれど、ケンタは足音がしないから気配がまるで分からない。


「え?」

 何でまた私の前に現れるのよ。いい加減にしてよ。あんたのせいで‥‥‥。

 心を乱しながらも平静を装い、そのまま無言で暫く走り続けた。

 

 ナツって呼ばれた。何で名前知ってるんだろ? 私は友達は少ないし、こんな風に話しかけられるのは初めてだ。父さん以外の誰かと一緒に走った事はない。どうせまた私をやっつけに来たに違いないと思った。めんどくさいな。だけど断る勇気もなかった。

「勝手にすれば」

 私は怒ったように言葉を投げた。

 

 ケンタは私の前に出ようとはせず、私のリズムに合わせるように楽しそうに走っていた。話をしながら走っているわけでもないし、笑いながら走っているわけでもないのに、なぜか楽しそうって感じた。

 

 私がペースを上げるとケンタも一緒にペースを上げた。最後に全力まで追い込んでも、同じペースで並んで走っている。前には出てこなかったけど、ケンタが余裕で走っている事は分かった。私の息は荒くなり、声まで漏れているのに、ケンタの息は全然上がっていない。

 ただ一緒に走っているだけだった。何も話はしなかった。


 それから、来る日も来る日もケンタは私の隣にきて、ただ一緒に走り、「じゃあね」と言って帰っていった。

 ケンタの走りはやっぱり足音がしない。いつも履いているのはあのタビだ。



 「今日もケンタは来るのかな?」

 いつの間にか知らないうちに学校に行く事が楽しみになり、昼休みになるのを心待ちにするようになっていた。

 楽しそうに走るケンタ。その隣で走っていると私も走る事がどんどん楽しくなっていった。

 他の人より早く走れるからとか、自分の武器だからとか、そんな事は関係なくて、走る事がこんなに楽しいと思えたのは初めてだった。


 二週間程そんな日々が続いたけれど、一緒に走っている時にケンタの方からは何も話してこなかった。ケンタは何を考えてるんだろう? 仕方無しに私の方から話し掛けた。


「ケンタは楽しそうに走るね。走るのが好きなの?」

「大好きだよ」

 即答だった。


 少し間を置いてケンタの方から話してきた。

「山と違って地上では、走る事はゲームみたいなもんさ。だから楽しんだもの勝ちなんだ」


「え?」

 意味がよく分からず、ケンタの言葉をもう一度頭に思い浮かべた。

 山? 地上? ゲーム? 困惑している事が伝わったのだろう。


「ここでは負けても死ぬわけじゃないから、ナツももっと楽しめよ」


「何よ、偉そうに!」


 せっかく友達になれそうな気がしていたのに、何かカチンときた。何となく自分が感じ始めていた事を、上から目線で言われた気がした。

 

 怒って言葉を投げ捨てた私に向かってケンタは嬉しそうに笑った。

「今度ゆっくり話してやるよ。じゃ、またな〜」

 あっと言う間にケンタは消えた。

 

 憎たらしい奴だと思っているのに、何故だか憎めない。友達になりたいと思っているのに、いつも怒ったような言葉を投げてしまう私は何て可愛くないんだろうと思う。

 

 走る事が大好きだと言った時のケンタの目が蘇る。切れ長で怖い位の目力を感じた。一瞬、キラキラと輝く瞳に吸い込まれそうになった。

 初めて見た時は田舎の子みたいって思ったけれど、あの美しい目は何? よく見ると意外とイケメンかも、なんて思っている自分が恥ずかしくなる。

 私はこの時、初めてという物を意識したように思う。


 翌日の昼休み、いつものようにケンタが並走してきた。

「やあ、今日はオレの話、聞いてくれるか?」

 

 ドキドキした。顔が赤くなっているような気がして、ケンタに顔を見られないように下を向いた。

「うん」

なるべく普通に小さく答えた。


「こんな話、誰にも出来ないんだけど、昨日一晩考えて、ナツになら話していいかなって思ったんだ」


「え?」

 何を話してくれるんだろう。少し怖かったけど、何だかワクワクした。こんな気持ちになるのは初めてのような気がした。

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