ケンタの話 その1
オレが生まれた所は、すっげ〜田舎で周りは山ばかりだった。去年までそこに住んでたんだ。
じいちゃんと二人で暮らしてた。小学校に入る少し前までは父ちゃんと母ちゃんも一緒に住んでたんだけど、二人は仕事の関係でこっちに来なきゃならなくなったんだ。じいちゃんとオレは山を離れる事が出来ずに山に残った。
じいちゃんはマタギって言って、山に住む生き物を狩る人だった。オレは小さい頃からじいちゃんに連れられて山の色んな事を教えてもらってた。
去年、じいちゃんが死んじゃって、仕方なくオレはこっちに住んでる両親の所に来たってわけ。
じいちゃんが死んだのは、熊に
じいちゃんの事は大好きだったけど、オレは熊を恨んではいない。
他には誰もいなかった。涙は流れたけど、悲しいっていう感じとはちょっと違った。
最後にじいちゃんはオレに言ったんだ。
「ケンタ、山を降りろ。父ちゃんと母ちゃんの所で暮らすんじゃ。地上で学んで、ちゃんと中学は卒業しろ。地上は山と違って楽しんだもの勝ちだ。その先、山に戻りたくなったら帰ってこい。じいちゃんはケンタがいてくれたから楽しかったよ。ありがとう」
じいちゃんはそのまま息絶え、オレはじいちゃんと撃たれた熊を神に捧げた。
家に戻っても誰もいない。寒々とした家に音は無くて、じいちゃんと熊の姿ばかりが頭に浮かんできて涙が止まらなかった。じいちゃんがいつも座っていた古ぼけた木の椅子がとても寂しそうに見えた。
オレは本当は山を離れたくなかったけど、じいちゃんと両親の言う事を聞いた。
そんでもって、こうやってここに来てしまったって事。
山と地上は別世界だ。ここに来てまだ一年たってないけど、じいちゃんの言葉は常にオレの中にあるんだ。
「地上は山と違って楽しんだもの勝ち」って事。
オレは向こうでは小学校もたまにしか行ってなかったから、学校の勉強も分かんねえ事ばっかだし、みんながやってる遊びのやり方も分かんね。みんなが常識って言ってる事も、何か違うよなって思う事だらけ。
だけど、色んな事に興味持って楽しんでみようって決めたんだ。失敗したって山と違って死ぬ事はまずねえし。
走る事は得意だから、地上でも特に楽しいし、もっともっと楽しもうって思ってるんだ。
ナツはオリンピックを目指してるのか?
すっごく真剣って感じがする。でもちょっとガチガチっていうかさ。なんだか痛々しく感じちゃうんだ。
もっとさ、こう、頭を空っぽにして楽しんじゃったら?
あー、でも好きな事を真剣に楽しむって難しいよな。
オレはさ、ここにも小さな山がすぐそばにあったから助かったんだ。前に住んでた所のような山の中じゃないけどさ。
山はオレの居場所なんだ。オレ、山に入ると別人になっちゃうから。山に足を踏み入れる時はこんな風にヘラヘラしてられない。命懸けっていうか、何かのスイッチが入る。山は楽しむっていう感じとはちょっと違うんだけど、オレ生きてるって思える所。
ナツにはオレにとっての山みたいな場所が無いから、走る事が山みたいなものなのかな。だけどここは地上だから、楽しんだものが勝っちゃうっていう所でもあって。
うーん。難しいな。わけわかんなくなってきた。でもきっと、いっつもいっつも真剣って疲れちゃうから、うまいスイッチの入れ方を見つけられたらいいんじゃね? って思ったりするわけ。
ナツがオリンピック目指してるんなら、オレも目指しちゃおうかな? そういうの楽しいだろ?
ちょっと調べたんだけどさ、近くに陸上が強え学校があるらしいな。中学、高校って繋がってる学校。
「疾風学園」って名前だったかな。ナツはそこ行くんだろ? 次のオリンピックはオレ達が中二の時だから無理だろうけど、その次は高三だから行けるんじゃね?
オレ、中学卒業したら山に帰ろうって思ってたけど、もしナツと一緒にオリンピック目指せるんだったら、それもいいかなって思ってるんだ。
なあ、約束しようぜ。一緒にオリンピックに出るって。
☆
並走しながら、ケンタは夢中になって話し、私は夢中になって聞いていた。
何日も何も話さなかったケンタがいきなり色んな事を話してきたので戸惑ったけれど、ついつい話に引き込まれていた。こんな私に色んな話をしてくれる人がいるなんてすごく嬉しかった。今までそんな友達はいなかった。
でも、本当の事を言うとそんなもんじゃなかった。走りながら、話しているケンタの方を見る度に二人の目が合ってドキッとした。その美しい目に引き摺り込まれそうになる。
途端に私は目を逸らすのだけれど、「もう一度だけ」って思ってしまう。怖い物見たさのように。
そして「約束」だなんて。舞い上がりそうな心を私は必死に抑えていた。
私達は昼休み終了のチャイムを聞き逃し、午後の授業に遅刻した。
遅刻なんて、人生初だった。これまでの私だったら、遅刻なんかする自分を許せなかった。でもなぜか「ま、いっか」って思えた。
授業が始まっている教室の引き戸を思い切ってガラッと開けた。
「ごめんなさい。チャイムを聞き逃してしまいました」
そう言うと先生はクスッと笑った。クラスのみんなも笑っていた。
そんなものなんだな。一つ一つの事を真面目に考え過ぎて、自分で勝手にがんじがらめにしていた物が沢山あるように思えた。失敗したって死にはしない。
「地上は楽しんだもの勝ち」
ケンタのおじいさんとケンタが言ったこの言葉が頭に浮かんできた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます