見えない地上の伴走者
風羽
ナツ、小学六年生
屈辱
フィニッシュラインの先で私は立ち尽くしていた。
ゴールの白いテープを切ったのは私じゃなかった。現実を受け入れられないでいるのに、何故だか涙が頬を伝っていた。
突然、聞き慣れない声が聞こえてきて我に返る。
「女子のくせに、はえーな。あれ? 泣いてんのかよ。悪かったな」
私より背も低くて子供みたい。髪は短く刈られ、頬がピンク色に染まって田舎の子って感じ。しかも彼が履いているのは陸上用のシューズじゃなくて地下足袋だ。
私はこんな子に抜かれたの? 自分に腹が立った。今まで抱いてきた自信のような物が一気に崩れ落ちた気がした。涙なんて流したくないのに勝手に涙が沸いてくる。
こんな泣いてる顔なんて絶対見せたくない。うつむいていると、その子はかがんで私の顔を覗き込んできた。
「女子のくせに、負けん気強いんだな。悪くねえ。オレは六年五組の
顔を覗き込んでくるなんて失礼な人ね。
私は質問に答えずに、プイと顔を横に向けると一目散にその場を走り去った。
「今度また一緒に走ろうぜ〜」
無視してやったのに、屈託のない明るい声が聞こえてきて余計に腹が立った。
私にとって小学校最後の運動会。最終種目の四、五、六年生による選抜クラス対抗リレーが終了した。
☆
私達の学校は各学年六クラスあって、運動会では一、三、五組が紅組。ニ、四、六組が白組だ。
リレーは高学年のクラス男女一人づつが代表になるから、六人が一チーム。校庭の200mトラックを一人一周づつ走る。一位には60点、以下50点、40点と加算され、六位だと10点、と大きく差が付く。
だから、このリレーは走る選手の気合いが入るのは勿論、クラス全員が自分達の代表を一生懸命に応援し、毎年一番盛り上がる種目になっている。
私は六年四組で
リレーが始まると、運動場には軽快な音楽が流れ、拍手と応援の声がこだまし、隣の人の声も聞き取れない程だ。
黄色いバトンの四組は皆が自分の持てる力を目一杯発揮していた。次々とバトンが渡り、私にバトンを渡す六年生の男子が走っている。前を行く二人を追い抜き、差を広げて一番で私に向かってくる。
ドクンドクンという自分の心臓の音が聞こえてくるようだ。私は逃げ切るしかない。その場でピョンピョンと飛び跳ね、落ち着かない気持ちを必死に抑えようと胸に手を当てた。
彼が近づいてくる。バトンパスを受け取る構えをし、「行け!」という合図と共に飛び出す。
差し出した右手にバシッとバトンの感触があった。バトンを左手に持ち替えて懸命に走る。バトンパスは最高に上手くいった。
前には誰もいない。空気を切り裂き前へ前へ。半分を過ぎ、苦しくなってきたが身体はよく動いている。
腕を大きく振れ! 腿を上げろ! ゴールに向かって突き進め!
ゴールまであと5mという所で突然誰かが並んできて、そいつが私よりも先にゴールテープを切った。
あまりにも突然だった。抜き返すなんて事は考えられず、呆気に取られたように私はゴールラインを越えた。
惰性がついていて急には止まる事が出来ない。徐々にスピードを落として私は歩き始めた。負けた。もう少しだったのに‥‥‥
☆
小さい頃から走る事だけは得意だった。小学校に入り、他に自信を持てる物は何も無かった私に父さんはこう言った。
「何か一つ、自信を持てる物があれば、それは自分の武器になるぞ」と。
かつて陸上中距離の日本代表にもなった事のある父さんが私の走りを見てくれるようになった。練習は厳しかったけれど、おかげで小学校に入ってから同じ学年の子に負けた事はなかった。男子にだって負けなかった。
走る事は私のたった一つの武器になった。
走る事は自分に勇気を与えてくれる。私の居場所がここにある。生きている意味なんて分からなかったけれど、走っている時だけは何も考えなくていい。意味なんて無くていいって思えた。
だから走る事が好きだった。
たとえ相手が男子であっても同じ学年の子には負けないまま小学校を卒業出来ると思っていたのに、この一瞬で総てが打ち砕かれた。
私が追い抜かれたせいで、白組は負けた。それでも誰も私を責めはしなかった。
「ナツは頑張ったよ。相手は男子だもの。仕方ないよ」
友達は慰めてくれた。皆にとって、私が抜かれた事、白組が負けた事はそんなに重要な事ではないようだった。でも私にとってはすごく重要な事だった。
また負けるかもしれないと思うと走る事が怖くなった。自分の武器が無くなった。自分の居場所がなくなるような気がした。
だから走る事が好きじゃなくなった。
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