オレ達のパラリンピック
遂にここまでやってきた。小六の時に交わした二人の約束。少し形は変わってしまったけれど、絆に結ばれて二人で一緒に走れるなんて約束以上に夢のような舞台だ。
この地上の祭典を思いっきり楽しもう!
午前10時のスタートに向けて、オレ達は舞い上がる事もなく、着々と準備を進めていった。
スタジアムの観客は満員だ。決勝はスタート前に一組ずつコールされてスタートラインに付く。
「ケンタ・ミネヤマ、ジャパン!」
おい! 伴奏者も紹介しろよ、と思いながら、二人で両手を挙げて手を振り、スタート地点に向かう。
地の底から湧いてくるような歓声と拍手、観客の熱気が伝わってくる。全身に鳥肌が立つ。
やってやるぜ! という気持ちに満たされる。
「ナツ、スタートから思い切り行け。全力で走れ。オレがちゃんと合わせてやるから。全力で楽しむぞ!」
スタート前に最後に言ったこの言葉は、これまで何度も言ってきた言葉。
「行くよ」
「行くぞ」
オレの左手とナツの右手は固い絆で結ばれている。
「オン ユア マーク」
さあ、スイッチオンだ。
「セット」
スタートを構える。場内が静まり返る。オレの鼓動とナツの鼓動が聞こえてきそうだ。いつでも反応できる体制で号砲に耳を傾ける。
「パン!」
スタートの号砲が鳴った。ナツもオレも最高の反応だ。
周りの選手は気にしない。グングンとスピードを上げ、オレ達はトップを突っ走る。いいペースだ。ナツの身体はよく動き、オレも合わせながら彼女を上手く引っ張れている。
オレ達の前には誰もいない。途切れのない歓声が、拍手が、オレ達を前へ前へと運んでくれる。
行けてる。行けてる。ナツの躍動に合わせて、オレの身体は勝手に動いているようだ。
ラスト一周。
「記録出るぞ! 行こう!」
ナツは動かなくなってきた身体を懸命に動かしている。動いている。大丈夫だ。このまま突っ走れ!
ゴールラインが近づいてくる。
「ナツ、ラストだ。行け!」
ゴールラインを越えた時、会場は歓声に包まれた。
「終わったんだ」
そう思った。
と同時に何か異様な雰囲気を感じとった。
全力を出し切ったナツがふらつき、倒れないようにオレはしっかりと支えた。
ナツの顔が引き攣っているのを感じる。
「な、何で‥‥‥」
ナツのその一言でオレは我に返った。オレは取り返しのつかない失敗をした事に気づいた。真っ暗闇の世界が、その濃さを増した。
「ごめん」
ナツの手を取り、その場に二人で崩れ落ちるように座り混んでしまった。
電光掲示板の一番上にある名前はオレの名前で、その右横にはタイムとWRの文字。それはワールドレコード、すなわち世界新記録だ。この記録はオリンピックでナナエが出した日本新よりも遥かに速いタイムだ。
しかし、それは誤りである事をオレ達は知っている。
暫くしてそれが訂正された。
オレの名前は一番下に。その右横にはDQの文字。すなわち失格‥‥‥
これが小学生の頃から夢に描いてきた物の結末か‥‥‥
ルールをよく知らない人には分からないだろうが、視覚障害のクラスでは伴走者が選手より先にゴールしてはならないというルールがある。
オレが最後に少しスピードを緩め、ナツがゴールラインを先に越えてしまったから。
「何で?」
もう一度ナツが言った。その声はオレを責めるような物ではなくて、優しい声だった。余計に心が痛んだ。たまらない。叱ってくれよ。オレは心のままを言葉にした。
「ごめん。ナツが、ナツが一番頑張ったから、一番にゴールさせてあげたくなっちまって。そう思ったらルールの事なんか頭から消えちゃって、勝手に少しスピードが緩んだ。本当にごめん。オレは取り返しのつかない失敗を‥‥‥」
ピシャ!
いきなり頬に平手打ちが飛んできた。思い切り痛かった。思わず打たれた頬に手を当てた。
次の瞬間、今度は息が詰まるかと思った。ナツがオレに思い切り抱きついてきた。
「ケンタのばか。ありがとう! 最高だよ! 金メダルよりも、新記録よりも、最っ高に嬉しい! ケンタ、大好き‼︎」
右肩にナツの顔の重みを感じた。汗か? 涙か? きっとその両方だろう。オレの肩から吹き出している汗とそれらが入り混じるのを感じた。
ナツは本気でそんな風に思っているのか? オレは立ち直れないほど落ち込んでいるというのに。
マゴマゴしていると思い切り手を引っ張られて、身体を起こされた。
「さあ!」
ナツの元気な声。何てヤツなんだ。こいつは笑っているのか? それとも泣いているのか?
そう思って前を見るとナツの姿が消えていた。今まで見えていたナツの姿が見えなくなってしまっていた。
「あっ、雲! ケンタ、空を見上げて。私達の頭上に、何だか素敵な雲が三つあるよ」
何言ってるんだよ。こんな時に⁉︎
そしてナツは初めてオレに伴走者らしい指示を出してきた。
「応援してくれたみんなに謝るよ。
ほら、一緒に手を合わせて、お辞儀をするよ。四方向。
せーの、1、せーの、2、せーの、3、せーの、4。
今度は一緒に笑顔で手を振るよ。せーの!」
オレは言われるがままにナツの指示に従っていた。まるで夢遊病者のように。
少しずつまたぼんやりとナツの事が見えてきた。オレは必死にナツに合わせた。
電光掲示板にDQの文字が出て、ざわめきと落胆に包まれていた会場に再び拍手が起こった。オレ達は今までの拍手とはまた違った温かい温かい拍手の音に包まれていた。
一緒に走った仲間達が次々にやってきて、肩を叩き、様々な声を掛けてくれた。
それは日本語じゃなくて、色んな国の言語で、何て言ってるのかも分からない。
言葉の意味は分からなかったけれど、意味なんか関係なく伝わってくる物があった。
それは見えないけれど見えるように感じる物と同じ感覚だった。
トーマスとジョージも、ヒデさんとマサさんも。
「うまい言葉が見つからへん」
オレ達の次にゴールしていたヒデさんが涙声で言いながら肩を抱いてくれた。
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