感謝
温かい拍手を浴びながら、オレはもう一度空を見上げた。アイマスクを外してサングラスを掛け直した。真っ暗なのに何だか眩しく感じる。澄んだ真っ青な空が広がっているんだろうな。
上を向いているのに、汗とは違う液体が頬を伝っていくのを感じる。
涙?
勝手に出てくるんじゃねーよ。オレは泣きたくなんかないんだ。
そう思ったが、涙と一緒にやるせない気持ちが少しずつ溶かされて外に出ていくような気がした。
オレは最後の最後に大失敗をしてしまったよ。
母ちゃんとナナエはこの会場に来てくれているはずだ。
失敗しちゃったけどさ。きっとこの会場にいる人達と一緒になって拍手してくれているよな。
母ちゃん、びっくりしただろ? オレがこんな風に走ってる姿なんて初めて見たはずだ。最後にオチがあって、悪くはないだろ? まあ、それは負け惜しみっていうやつだけどさ。
ナナエにも金メダルを掛けてあげたかったな。ナツとナナエはずっと一緒に頑張ってきたんだもんな。ナナエもナツも今回お預けになったメダル。四年後のオリンピックで金メダル銀メダルを争えよ。
聡さん。聡さんならきっと「ケンタ、何やってんだ!」って叱ってくれますよね? ペアを組んだ最初の頃は、オレの失敗も全部自分のせいにしていた聡さん。ヒデさん達との出会いがオレ達の意識を変えてくれましたよね。
最初に絆を結んだのは盲学校の時の村田先生だったな。先生が始まりでした。あの頃の倍速以上で走っているオレを見てくれてましたか?
「ケンタの最初の伴走者は先生だったんだよ」って盲学校の生徒達に自慢してくれますか?
目を失って、自分では何も出来ずに失望していたオレに希望の光を与えてくれたのは森本先生でした。オレを信用してくれた。
『出来るかどうかより、大切なのはやるかどうかって事だ』と教えてくれた。
いつもその言葉を胸にしてきたから、結果はこうなっちゃったけど、「やってやったぜ」って思っていいのかな?
ルイさんは?
「フォッリアに来いよ。色んな話、聞かせてくれよ。美味しい料理、五人で一緒に食べようぜ」
そう言ってくれるかな?
雲?
そう言えば、さっきナツが「私達の頭上に素敵な雲が三つある」って言ってたよな。
もしかしてそれは、キツネみたいな形の雲と、犬みたいな形の雲と、人みたいな形の雲じゃないのかな?
オレはもう一度空を見上げた。
ほら、やっぱり。
キツネのチャチャ。まさかもう生きてないよな。今はきっと天国にいるはず。山犬のロンと一緒になって天国から見てくれていたのかな? お前達こそがオレの走りの先生だもんな。オレの走りを見てどう思った?
「地上のケンタらしいな。そんなに上手くいくはずはないよ。地上にしては上出来だ」
そんな風に思っているのかな?
じいちゃんは?
「ケンタ、さあ、こっちへおいで」
そう言って両手を広げてくれるかな?
その手の中に飛び込んだら、優しく頭を撫でてくれるかな?
「いいんじゃよ。地上は楽しんだもの勝ちだ」と言いながら。
それから父ちゃん。
父ちゃんの事は考えないようにしてたけど、ずっと謝りたいと思っていたんだ。最後に酷い言葉を言っちゃったままだから。
「父ちゃんなんか大嫌いだ。父ちゃんの顔なんてもう見たくもない」なんて。
何も知らなかったから。何も聞こうとせずに、ずっと憎んでいた。
せめてもう一度だけでいいから顔を見れたらって思ってしまう。いくらそう思っても二度と顔を見る事が出来なくなっちゃったけどさ。会って謝らせてくれよ。
父ちゃん。父ちゃんは母ちゃんが言ってたように、会場に来てくれているのか?
ハルトさんが言ってたように、今回のレースも、そして今も近くで見守ってくれているのか?
そうだったら嬉しいな。
だけど、こんな大失敗をしてしまったオレは、今度こそ本当に見捨てられてしまうのかな。もしそうだったとしても、それはそれで仕方がないよな。
みんな、ありがとう。
会った事さえない人達からも、沢山の応援を頂いて、みんなの気持ちが全てオレ達の力になっています。
人だけじゃないよ。色んなモノ達がオレ達をいつも見守ってくれている。だから大丈夫だって思える。
ハルトさん。
ハルトさんの姿が浮かんで、オレは慌ててナツを見た。さっきまでぼんやりとしか見えなくなっていたナツの姿がはっきりと見えた。
そうか。そういう事か? ハルトさんが以前オレに言ってくれた事はきっとこういう事だったんですね。
小学生の時にオレに抜かれただけで泣いて落ち込んでいたナツが、何でこんなに元気なのか。何でこんな失敗を笑い飛ばせるほど強いのか、今の今まで分からなかった。
ハルトさんは「人間の心は単純な物ではなくて、とっても複雑だ」って言ってましたよね。
ナツは素直でストレートな子だから見えるんだと思っていた。複雑な物はオレに混乱をもたらして見えなかった。
でも、たった今見えたんだ。ナツの複雑な心が。
悔しい、悲しい、やるせない思い。それは、はちきれそうなほど大きくて。
でもそれが全てじゃないから。全てじゃないから、あんな風に強くいられるんですね。きっと。
ハルトさんが言ってたようにオレも今、複雑な心を持った人間っていう物が以前よりも愛おしい物に思えます。
オレはまだまだです。ハルトさんに負けないようにナツを導きたいって頑張ってきたけれど詰めが甘かった。
だけど、また大切な事を学びました。
「まあ、よくやったな」って言ってくれますか?
そして最後にナツ。
オレは悔しくてたまらないよ。
ナツと一緒に表彰台のてっぺんに立って君が代を聞きたかった。一緒に金メダルをかじりたかった。オレ達を応援してくれた沢山の人達に結果を残して恩返ししたかった。世界新記録、女子選手としてのナツの驚異的な記録。
全てを手に入れたと思ったのに、その寸前で全てが崩れ落ちた。
どん底だよ。最低だよ。オレ。
だけど。
たった今分かったんだ。
オレがこんな風にいつまでもくよくよしてたらナツはどうすればいいんだ? くよくよしてたら負けだよな。ナツにも、オレ達がやってきた事に対しても。
オレは男だから、大丈夫でいなきゃ。
そうだ。オレはナツよりずっと大丈夫だよ。
笑顔を作ろう。オレがくよくよしていたら、みんなが悲しい思いをするだけだ。インタビューをされたらしっかり受け答えをしよう。そして地上をしっかり締めくくろう。
笑顔を作ろう。そうすればみんなが嬉しい気持ちになるだろう。ナツも。オレ自身も。
雲か‥‥‥
ナツにもオレの大切なものが見えていたんだね。
君と出逢って、君がいたから、今ここに、こうしてオレがいるんだよ。本当にありがとう。
オレは地上で精一杯やったよ!
地上を思いっ切り楽しんだぜ!
ナツ、大好きだよ。
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