決勝前日まで

 ヒデさんのおかげで気持ちも楽になり、ぐっすりと眠る事が出来たし、翌朝の目覚めも良かった。

 今日からサブトラックで練習を行う事が出来る。

 

 競技場に行くとカラッとした空気を感じた。日差しは強くジリジリと肌が焦げそうだが、心地良い風がスッとオレの気持ちを清々しい物にしてくれる。

 乾いている。ジメジメした物はなく、アメリカらしい大らかさは相性がいい気がする。


 地上から山に入った時の感覚に似ていると思った。地上のモヤモヤから解放されて研ぎ澄まされていくような感じ。何だかウダウダと考えてしまっていた事もすっ飛んでいく。

山と同じように、グラウンドもオレの居場所なんだという気持ちが芽生える。


 その日を含めて三日間、サブトラックで練習する事が出来た。こちらの気候や空気に慣れるように、少し刺激を入れながら身体のコンディションを整える事が主な目的だ。


 ロンの事、軽いカルチャーショックも乗り越えて、オレ達は今、自分達史上最高に心技体が充実した状態にある。

 この研ぎ澄まされていく感覚がたまらない。走っているナツをこれ程までにはっきりと感じられるようになるとは思っていなかった。人間の潜在能力って凄いと思う。ナツも最高の状態だ。あとはこれを本番で出すだけだ。


「パラリンピックでいくらナツが速く走っても、ナツの記録にはならないけど、ナナエが出した日本新よりいいタイムを目指すぞ。それはオレ達の世界新記録だ」

 オリンピック後に、オレはずっとそう言い続けてきた。



「ケンタの背中、綺麗だね。浮き出た肩甲骨がまるで鳥の翼みたい」


 インターバルで流している時にナツが言ってきた。急に何を言ってるんだ? と思っているとまだ続きがあった。


「ケンタの目、日に日に鋭くなってくるね」

おかしな事を言ってくる。


「え?」

不思議そうな顔をナツに向ける。


「私には見えるの。ケンタの目が」


 面白い事を言う奴だな。オレの目はしっかりと真っ黒なアイマスクで覆われているし、そこに隠されている目は閉じられたまま開く事さえ出来ない。ナツは何だか言う事がオレに似てきたな、と思う。

 オレも思っている事を一つだけナツに言ってやった。


「ナツの足音、すごく柔らかくなってきてるよ」と。



 オレ達の走りを見て、まず驚きの声を上げたのがマサさんだった。

「あの子は何者や? 魔法使いとちゃうん?」

 ヒデさんがオレ達の様子をマサさんに細かく聞き、オレ達をからかってきた。


「何やて? ケンタが魔法を掛けられてるって? 可愛い女の子の尻追いかけてるんか? 見違えるようにいい走りになってるそうやないか。予選は別の組やからじっくり観させてもらうで。あー、オレの目が見えたらな〜。どんな可愛いなんか、ケンタとその娘がどんな走りをするんか見てみたいもんやわ」


 ヒデさん達だけではなく、面識の無かった日本チームの人達や報道の人達にもオレ達の走りは注目を集めているようだ。

 日本選手団だけではなく、海外の選手達も同じグラウンドで練習している。彼らの間でもオレ達の噂は広まっていった。


 選手村ではみんな自分の競技の事に集中しているから、リラックスしてゆっくりおしゃべりするような時間は中々取れないけれど、ちょっとした挨拶を交わし合うだけで、すごく仲間意識を感じる事が出来た。



 決勝前日の予選を危なげなく通過したオレ達にイギリス選手の伴走者が通訳を通して話し掛けてきた。


「第二組の君らのレースを観てたんだ。オレ達は第一組で予選通過したから、明日の決勝で対決だ。オレの相棒がハイスクールの三年生なんだ。君達と同じだろ? オレは一学年上の伴走者なんだ。いい走りしてたな。カッコよかったぜ。しかも伴走者が女子だなんてイカしてる。同世代の出場者が少ないから友達になれたら嬉しいなって思ってさ。オレの名前はジョージ。こいつはトーマス。良かったら名前教えてくれよ」


 外国の人と話すのは初めてだった。英語は全然分からないから通訳の人を通しているのは残念だけど、名前を聞かれている事だけは分かった。

「オレはケンタ。彼女はナツ。話しかけてくれてありがとう。嬉しいよ。明日の対戦、楽しみにしてるよ。負けないぜ」

 そう言って通訳してもらった。


 トーマスが話してきた。

「同い年で同じ全盲なんだよね? 大きい大会で、同い年の選手と競うのは初めてなんだ。明日の決勝が終わったら色々話したいな。君がよければ」

 通訳が訳してくれて、おれは言った。

「オフコース!」

 数少ない知ってる英語を使ってやった。こんな事ならもっと真面目に英語の勉強をしておけば良かったと思う。


 嬉しかった。何か世界が一気に広がったように思えた。ナツはオレの隣でただニコニコしていた(と思う)。



 ヒデさん達も危なげなく予選を通過した。

 その日のレースを終えて、宿舎に戻った。明日の最終準備を終えて、夕食を食べたらあとは眠るだけだ。


 ベッドに横になっているとヒデさんが話し掛けてきた。

「ケンタは緊張せえへんのか?」


「オレは、そういうの無いかな。明日がすっごく楽しみです」


「そうか。オレらは初出場の時は緊張しまくってたからな。心配御無用のようやな。オレらが力になれたらって思ったけど、なんや、つまらんな〜」


 オレは慌てて言う。

「力になってます。すっごく。こうやって今、部屋でも、こっちに来て分からない事だらけなのに、ヒデさんとマサさんがいてくれるから、いつも安心してリラックス出来てる。

 カルチャーショックにやられなかったのもヒデさんのおかげだし。

 それと、もし明日突然緊張したとしても、ヒデさん達もそうだったんだって思えば大丈夫だと思います。本当にありがとうございます」


「ケンタはええ子やな〜。ほなお休み」

 満足そうな声が聞こえた。

「お休みなさい」



 ナツはもう眠ったかな? 大丈夫だよ。しっかり休めよ。

 オレはいつもどおり、すぐに眠りに落ちた。

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