ここに来るまで その1
目を失った状態で地上で生きる事は、思っていたよりもずっとずっと大変だった。
怪我をして、意識が戻ってから一ヶ月位は身体も目も痛くて、特に目は強烈に痛くて、寝ている事しか出来なかった。
目は何回か手術してもらえたおかげで、見えるようにはならなかったけど、盲学校に入る頃には痛みはなくなっていた。
以前、真っ暗な山の中をじいちゃんと不自由なく歩いていたから、目が見えなくたって、少し慣れれば不自由なく暮らせるようになると思っていた。
盲学校に入った頃は何も自分で出来なかったけれど、それは長い間寝ていたし、怪我をする前から地上で暮らす時間が増えて目に頼る事が多くなっていたから、自分の感覚が鈍っているせいだと思っていた。だから練習あるのみだって言い聞かせていた。
自分一人では何も出来ないくせに、誰にも助けてほしくなかった。頼むのは迷惑だと思って、色んな事を一人でやろうとして、物を落としたり、ぶつかったり、壊したり、階段から落ちたり、かえってみんなに沢山迷惑をかけ続けた。しょっちゅう転んで生傷が絶えなかった。
こんなはずじゃなかった。オレなりに一生懸命やっても、何もかもが上手くいかない。
毎日毎日惨めで辛い思いをしているうちに、いつの間にか盲学校に来て三ヶ月位が経っていた。
ある日、何がきっかけだったか忘れてしまったけれど、ふとあの言葉を思い出した。じいちゃんの言った言葉、ナツと一緒に忘れない約束をした言葉。
「地上は楽しんだもの勝ち」っていうあの言葉の意味を改めて考えてみた。
そうか、地上と山とは違うんだという事を今更ながらにもう一度確かめたくなった。
盲学校に来て初めて先生に相談し、頼み事をした。入学してから一番オレの事を見てくれている森本先生なら聞いてくれるかな、と思った。
森本先生は、この盲学校のすぐ裏に人が入らないような木の生い茂った森がある事を教えてくれて、オレをそこに連れていってくれた。そこで心を透明にして座っているだけで気持ち良かった。
そこに連れていってもらう事が日課になって、オレは気づいた。ここから奥と、ここから手前は別の世界だって事を。
ここから奥はかすかに見えた。見えるっていうのは少し違うのだけど、かすかに分かる。今はまだ一人で歩ける気はしないけれど、練習すれば歩ける気がした。たぶんここが本当のオレの居場所だ。
手前はダメだ。何も見えない。分からない。
そうか、オレが何も出来ないのが地上。でも地上で頑張る事を決めた今はここで何とかしなきゃいけないんだ。
何も出来ない所がスタートだと思えば、出来なくて当然。何か一つでも出来れば楽しいって思えるはずだ。
ゼロから楽しんで積み上げていこう。そしてこれからはオレの居場所も大切にしていこう。そう思った。
そしてもう一つ大切な事に気づいた。地上では一人では何も出来ないけれど、ここは助けてもらっていい場所なんだと。
助けてもらえる事を嬉しいと思い、楽しむ事で、助けてくれた人の心も晴れる。もし感謝の気持ちを何かの形で返す事が出来れば最高だ。返す事が出来るのは今じゃなくてもいいのかもしれないし、大きな物じゃなくても、もしかしたら笑顔と「ありがとう」の言葉だけでもいいのかもしれない。
そう思えてからは、地上では色んな事を助けてもらいながら、一つ一つの事を楽しんで積み上げていけるようになった。点字を覚えたり、勉強は苦手だけれど、知らない事を覚えていく事は楽しかった。
森本先生に一緒に森の中を歩いてもらった。森の中に入ると、オレは杖を突かずに一人で歩ける事に先生はたまげていた。
そして先生は、オレが一人でも大丈夫だという事を確認すると、森に入る事と帰った事を必ず連絡する事などいくつかの約束を守る事を条件に、一人で森に入る事を許してくれた。
学校としては、そんな事は許してくれるはずがないから、先生とオレとの二人だけの秘密だった。森本先生は、何かあったら自分が責任をとる事になるが、ケンタを信じていると言ってくれた。
オレの能力と言葉を信じてもらった事は凄く自信になったし、行動に対する責任を強く持てるようになった。
森では白い杖は邪魔だ。これが無い方がよく見えたので、いつも入り口に置いていった。
少し入った所にしばらく佇んでいると少しずつ色んな物が見えてくる気がした。色んな物が語りかけてくる気がした。
そんな事を毎日繰り返しているうちに、いつの間にか随分と奥の方まで自然と入っていけるようになっていた。それに比例してオレの感覚はどんどん鋭くなっていった。
まだ、見えていた頃のように上手く分からない物は多かったけれど、見えていた頃よりも分かる物が出てきた。
この森で生きるもの達の繋がりのような物。見えていた時には見逃していた小さな花や木の実まで見つける事が出来るようになっていった。
その頃、地上でも変化が現れ出した。地上では森の中のように見えるという感じはまるでないのだけれど、何かを感じる力は凄く大きくなっていった。
見えなくても、気配がするというのか、初めて行く場所でも杖があれば危険は察知出来て、一人でかなり行動出来るようになった。
ただ、地上では様々な物を感じ過ぎるというのか混乱する事が多かった。一人の人をとってみても、オレの中にストレートに入ってこなくてぼやけた物に見えてしまう。
人間っていうのは様々な感情が複雑に絡み合って出来ている物なのだろう。一人の人間でさえそうなのに、人が集まっている場所はなおさら混乱した場所に感じてしまうのだ。
ある時、オレは先生にボソッと呟いてしまった。
「こんなに混乱してしまう地上で、オレは何が出来るんだろう」と。
その時、森本先生ははっきりと答えてくれた。
「ケンタは何をしたいのかな? 出来るかどうかより、大切なのはやるかどうかって事じゃないのかな?」と。
これは心にグッときた。
その頃から、地上でも見えるように感じる物が出てきた。きっとそれは大地や海や空にある物。
そういった物はオレにとっては地上で生きる
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