全中陸上 その1
大会に出場する仲間達と出場しない松葉杖の私が同じ空間にいる事は何だか不自然な感じがした。
これまで声を掛けた事もないような仲間に突然声を掛けるのも不自然だし、選手が必要だろうと思える事は全てコーチやマネージャーがやっている。
選手達は自然に声を掛け合い、特に三年生は下級生に声を掛けている事が多い。もしも私が出場する選手の立場だったら、自分の事に集中して仲間の事なんか考えもしなかったと思う。
私は何も出来ないけれど、せめて雰囲気を悪くしないように影を潜め、選手を笑顔で送り出し、笑顔で迎える事だけを心掛けていた。
こんなに間近でこんな風に大会を観たのは初めてだった。それぞれの種目で全力を尽くす選手達を観ながら胸が熱くなった。疾風学園の選手を一生懸命に応援し、大会一日目を楽しんだ。
この大会は三日間で行われ、ナナエが出場する1500m は二日目が予選で最終日が決勝となっている。本当なら私だってそこに居るはずだった。
二日目、私は昨日とは違い、複雑な気持ちになっていた。
怪我さえしていなければ、という思いが押し寄せてくる。まあ、今日は予選だから気楽に観ようと思う。予選は十五人ずつで三組ある。それぞれの組で四着までに入れば決勝に進める。プラス五着以降の選手の中からタイムの良い選手三名が決勝を走れる。
ナナエの今の状態は決して良いとは言えないけれど、決勝進出は問題無いはずだ。
はっきり言ってナナエには勝ってほしくない。まあ予選は普通に通過してほしいけれど。
同じ疾風学園の選手として素直にナナエを応援出来ない自分に嫌気がさす。
ナナエは仲間達に時々声を掛けながら、徐々に自分のレースに向けて準備を進めていき、集中力を高めていっているように見えた。
コーチがナナエに掛けている声に私は耳をダンボにして聴いた。
「四着までに入ればいいんだからな。勝とうとするな。普通に走れば大丈夫だから。もしも、もしも五着以下になりそうだったら、その時は気合いで四着に入れよ」
冗談を言うように笑って言った。
「はい。大丈夫です」
ナナエも笑っていた。
二人共、冗談っぽい会話をしてやっぱり余裕なんだなと思った。
ナナエは一組目だった。スタートから飛び出す事はなく、四番手をキープして走っていると、レース中盤でそのまま四人が抜け出す形となった。何事も起きず、そのままナナエは四着でゴールを切り、決勝に駒を進めた。
少し意外だった。予選とはいえ、決して速くないペースのレースでナナエは最後トップに立つと思っていたのに四位のままゴールしたから。
まあ、コーチの指示通り力を温存したんだろうと思った。
そしていよいよ最終日、1500m 決勝の日だ。優勝するのは誰なんだろう。
もしもナナエが勝ったら、全国にも私が負けるような選手はいないと思えるから安心出来る。
でもナナエが勝つ位だったら他の人が勝ってくれた方がまだましだとも思う。
誰にも勝ってほしくないけれど、もうすぐ全中陸上1500m チャンピオンが決まってしまう。
昨年のナナエのようなスター選手は出てこないでほしいと思う。つまらないレースで、つまらないタイムで終わってほしい。
だって、私がいないレースなのだから。
ナナエはどんなレースをするのだろう。
彼女が競技場に姿を表してからずっと目で追っていた。あまりジロジロ見るのも悪いと思い、目を背けながらも常に彼女を感じるようにしていた。特に昨日と違う様子は感じられない。
今日のコーチはどんな指示を出すのかすごく興味があった。
「レース展開の指示は出さない。決勝は競り合う場面無しには終われないから心の練習だと思って走れ。弱い心が出たら、その度に耐える練習をするチャンスだと思って踏ん張れ。踏ん張って踏ん張って最後まで諦めずにゴールに辿り着け。それが出来たら合格だ」
「はい。ありがとうございます」
ナナエは笑顔で答えた。
「え?」
私は二人をまじまじと見てしまった。これは冗談ではない。昨日の指示も冗談なんかじゃなかったんだと思う。
心の練習? 弱い心? 耐える練習?
私は去年の練習で私達が競り合いになった場面を思い浮かべていた。
競り合いになる度にナナエはわざとスピードを緩めた。負ける事を許せなくて、負けるかもしれないと思ったらその前にやめるなんて、凄く汚ないと思っていた。
もしかしたら、あれはわざとじゃなかったのかもしれない。そうだったとしたら、ナナエが苦しんでいる時に私が投げ付けてしまった酷い言葉に、彼女はどんなに傷ついた事だろう。
そんな事に、たった今気づいた。
プライドの高い彼女が、こんな状態でレースに臨むなんて、今どんな気持ちなんだろうと思った。ナナエはちゃんと走れるのかな? 何だか自分の事のようにドキドキした。
14時30分、選ばれた十五名によって1500m決勝のスタートが切られた。
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