ナナエの事

 彼女も私も1500m 位の中距離が得意だ。少しずつ練習の成果が表れ始め、中学二年の全中陸上の1500mで私は初めて六位に入賞した。優勝したのはやはり織田奈々恵だった。


 表彰式で初めて賞状を貰った。自分の名前を呼んでもらって賞状を受け取った時、ようやくここまで来れたと思った。自然と笑顔になった。

 それでも表彰台の一番高い所で笑顔で手を挙げているナナエを見上げると、悔し涙が溢れてきた。私は来年絶対ここに立ってやると思っていた。

 彼女はレース終了後に沢山の取材攻めに合っていた。私に声を掛けてくれる人なんて一人もいないのに。これが勝負の世界だ。


 レースはナナエの独壇場だった。スタートから先頭に立った彼女はグングンとペースを上げていき、駆け引きなどなく、レース中盤で独走となった。

 最後まで食らい付いていたのは私だったけれど、その背中はどんどん遠ざかり、私の足は動かなくなっていった。

 今度は後ろから選手が抜いてくる。一人、また一人と。どこまで落ちてしまうのだろう。挫けそうな身体と心。

 その時突然ケンタの顔が浮かんだ。ケンタに負けられない、なぜかそう思った。今、きっとケンタはもっと頑張ってると思って最後のチカラを振り絞った。

 

 喘ぎ喘ぎ、ゴールラインを越えた私はその場に倒れ込んでしまった。

 苦しかった。視界が奪われ、自分の身体がどこかに行っちゃいそうだった。しっかりしなきゃと思っても身体が動かない。

 

 そんな私に手を差し伸べてくれたのがナナエだった。

「頑張ったね」

 そう言って、私の身体を起こしてくれた。走りだけではなく、私とナナエとの差を痛烈に感じた。ナナエの記録は中学日本新記録だった。



 ここまでずっと順風満帆に来たように見えるナナエは、このまま突き進んでいくと誰もが思っていたに違いない。この日を境にナナエの中で何かが崩れ始めてしまう事になるなんて、誰が想像しただろう。

 でも中学校時代の中で、彼女が一番輝いていたのはこの時だったんだと思う。


 八月の大会が終わった後、三日間学校の練習は休みだった。私達の学校の陸上部は、連続したお休みはこの夏の三日間とお正月の三日間だけしかないので、実家に帰る子が多い。私も実家に戻ったけれど、自転車で行ける距離だし、毎日走らないと気持ち悪いから練習は休まなかった。


 休みが明けて、いつもどおりの練習が始まった時、ナナエの走りは重たそうだった。たった三日間で身体もふっくらした感じがした。

 何があったのかは分からないけれど、今までの走りじゃないなと思った。その後も練習で私は彼女と対等に走れた。私が速くなったんじゃなくて、彼女の調子が悪いんだからあまり嬉しくはなかった。

 けれど、このまま彼女と一緒に走っていれば、彼女の調子が上がっていっても一緒に走れるんじゃないかなって思えた。そして来年の全中ではナナエに勝つんだと益々気合いが入った。


 今まで私の事を全くライバル視せずに、優しく接してくれていたナナエの態度が変わった。何だかよそよそしくて、練習で私に負ける事は許せないといった感じで、競り合う場面になると彼女はわざとスピードを落とした。

 そんな事が何回も続き、私は心の声が無意識に出てしまった。

「汚ないよ。負けるのが嫌で勝負から逃げてるんでしょ」

 声は大きくなかったけれど、ナナエには聞こえていたと思う。


 ナナエは今までと同じように寮では明るく皆と仲良くしていたし、たまにお茶会と言って仲間でこっそりケーキなどを食べていた。

 そんなある日、私は目撃してしまった。お茶会の後、ナナエがトイレにこもって吐いている所を。

 私は見てはいけないものを見てしまったような気がして、誰にも言わずに心の奥に仕舞い込んでしまった。


 その後コーチの指示で、ナナエは全体練習から離れて、一人で淡々と練習する事が多くなった。

 どうしちゃったのかな? と思いながらも、私は人に構っている余裕は無かった。相手の状態がどうあろうとも、来年の全中では私が一番になる。彼女が今年作った中学記録を塗り替える。その事で頭が一杯だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る