山へ

 新しい年が始まり、お正月も終わった。冬休みもあと何日もない。

 ケンタは冬休みも走っているのかな? 私は毎日頑張ってるよ。ケンタの山に行ってみたいな。そう思うと行きたくて行きたくてたまらなくなった。

 

 明日は父さんとの練習は休みの日だ。ケンタは山の事はちっとも教えてくれないけれど、あの山に違いない。明日、こっそり行ってみよう。そう思った。きっとケンタに会えるに違いない。


 今日は友達と約束があるから夕方までには戻る、と母さんに言って自転車にまたがって家を出た。

 こんな冒険は初めてだ。ワクワク、ドキドキする。ケンタには「連れてってやるからもう少し待ってろ」って言われてたから、ちょっと悪い事をしている気もするけど、私が勝手に行くのは自由だよねって言い聞かせた。


 自転車を20分位漕ぐとその山の麓に着いた。

 山と言っても大きい山じゃなくて、里山って言われているらしい。ちゃんと下調べをしてきた。山の表側には駐車場があってハイキング道も整備されているし、そこそこ人が来るようだけど、裏側は道はあるけどかなり険しい所もあって殆ど人は入らないらしい。

 ケンタが行くなら裏からに違いないと思った。入り口の脇に自転車を置いて私は登り始めた。


 一人で知らない道を行くなんて、何だか大人になった気がした。

 思ったより道も明るくて険しくない。木々の葉は落ちてしまっているから太陽の光がいっぱい降り注ぎ、暑くて上着を脱いだ。

 シーンと静まり返った空間に私の足音と少し荒くなった息遣いだけが聞こえる。少しずつ険しくなっていく道を私は無心で登っていた。


 息遣いが荒くなってきた。視線もどんどん足元近くになってくる。

 私は一度足を止め、前方を眺めた。この先も険しい道がずっと続いていてうんざりする。

 ふと近くの木を見ると、枝分かれしている所にクルミが一つ挟まっていた。

「わっ! 可愛い。リスが挟んだのかな?」


 心が和む。冷たい風がスーッと通り抜け、火照った顔が冷んやりとした。少し元気を取り戻し、もう少し頑張ろうと思った。


 ガサッ!

 少し前方で音がして、ドキッとした。何? 獣? 急に恐怖が押し寄せてきた。

 引き返そう。そう思った。

 いや、待てよ。この道を下るのは結構怖い。誰もいないし獣がいるかもしれない。もう随分登ったはずだから、もう少し登って表側のハイキング道に出てそっちから帰ろうと思った。

 

 草藪の中に何かがひそんでいるような気がする。切り株や大きな石が獣物けだものに見える。不意に何かに襲われないように、五感を研ぎ澄ませながらゆっくりと前進していく。

 

 少し進むと開けた所に出た。ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、道が何本かに分かれている。

 どうしよう、こんな所で迷子になったら大変だ。何か目印、あって下さい! 

 ウロウロしていると、有難い事に朽ち果てたハイキング道という道標みちしるべがあった。

 良かった! 神様ありがとう。私は足早にそっちに向かった。


 その時、別の道に何かの影が見えたような気がした。私は立ちすくんだ。

 犬っぽい物と人っぽい物が勢いよく走り抜けた。人っぽい物が一瞬こっちを見たような気がした。ケンタのような気がしたけれど人ではないような気もした。その二つはあっと言う間に消え去った。

 

 腰が抜けそうだった。誰か助けてって叫びたかった。何でこんな所に一人で来てしまったんだろうと涙が出そうだった。

 風が音を立てている。さっきのように心地良い風じゃない。木のきしむ音がした。

 

 しっかりしなきゃと思い直した。私はそこに腰を下ろして、とりあえず落ち着こうと思い、持ってきた羊羹を食べ、お茶を飲んだ。

 

 こんな所でマゴマゴしているわけにはいかない。ちゃんと帰らなきゃいけない。私は覚悟を決めて立ち上がった。

 ハイキング道に向かいながら、さっきの二つの影は何だったのだろう? と思い返していた。怖かったけど、何だかとっても美しかったな。まるでアニメの世界を見ているようだった。山の神様につかえる二つの生き物のような‥‥‥。

 でも、一瞬私と合ったあの目は、やっぱりケンタの目だったような気がする。

 私は少し小走りになって先を急いだ。


「あっ!」

 突然身体が宙に投げ出された。

「痛っ!」

 びっくりしてそう思ったけれど、怪我は無かった。浮き上がった木の根に引っかかったのだ。

「もう! いや!」

 寝っ転がったまま、そう叫んで前方を見るとコロコロした可愛らしい物がこっちを見ている。

 

「え? 何だろう? ぬいぐるみみたい」

 思わず自分の顔がほころんでいるのを感じる。小さな小さな瓜坊がこっちを見てクーと鳴いた。

 私は匍匐前進ほふくぜんしんするようにその瓜坊に近づいていった。瓜坊は逃げもせずじっとしていて、またクーと鳴いた。



 その時だった。今までに感じた事のない恐怖が私の全身を貫いた。

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