食べないのススメ

「クラスメイトたちの鋭く冷たい視線が、わたしのからだを貫こうとばかりに突き刺さる。ああ……わたしってばなんて罪な女なのだろう。女も男も、みんなまとめて魅了してしまうなんて……」


「だれも見とれてなんかいないよ。以前の蛮行を忘れてないから、またやらかさないように見張ってるんだ」


「ちょっとした冗談よ」

「わかりにくいんだよな、月子のジョークは。本心にも聞こえるし」


 お昼の教室。月子と望はいつもどおり、いたって普通の会話をしていた。


「で、今回はなんのお話か、もういっぺん言ってみな」

「昆虫食が食糧危機から人類を救うという話を、キミは聞いたことがあるかしら?」


 お昼休みという安息の時間を楽しみたいクラスメイト達は、月子の昆虫食という言葉に敏感に反応し、夜の闇に潜む肉食獣のように目を光らせた。


「クラスメイトたちの鋭く冷たい視線が、わたしのからだを貫こうとばかりに──」

「それはもういいって」


 なぜ同じクラスの生徒たちがこのような反応をとるのかわからない読者の方々は、先に『GとK』を読むことをおすすめいたします。


「今回も隠語を使うしかないようね。では、K食と呼ぶことにしましょう」

「軽食みたいでわるくない」


「そうでしょうとも」

「そのK食が食糧難を解決するって話は聞いたことあるな。肉よりも大量生産しやすいタンパク源になるんだっけ?」


「ええ、そうらしいわね。でもノゾミくん。あなたはおなかが空いたからといって、K食を食べたいと思うかしら」

「うーん……さすがにきついな」


「わたしもごめんだわ。あんなものを食べるくらいなら、野垂れ死にしたほうがましってもんよ」

「極限状態になれば案外いけるかもしれないけど」


「でもね、本当に食糧危機から人類を救うのはK食ではないの」

「じゃあなんなの?」


「軽食よ」

「そんなまさか」


「軽食というか、食事の量を減らすということね。現代人の多くは食べ過ぎている。街を歩けば肥満に当たるのが、それを証明するなによりの証拠よ」

「肥満大国なんて呼ばれる国もあるしね」


「食べ過ぎるからたくさん作る。たくさん作っても日持ちしないから捨てなくてはならない。大量生産、大量消費、大量廃棄。じつに愚かな行いだと思わない?」

「うんうん」


「人類、おもに豊かな先進国の人たちがみんなで食べ過ぎをやめれば、食料生産にゆとりができて食糧危機など起こりようがなくなる。さらには肥満状態も解消されていいことづくしのはずでしょう?」

「たしかにそうかも」


「あきらかに現代人の多くは食べ過ぎている。それなのに、この食品はからだにいいとか、一日三食しっかり食べようとか、食べる健康法ばかりが注目される」

「食べる健康法ね……そういえばむかし、バナナダイエットっていうのが流行したらしいね。テレビで紹介されたあとに大勢の人たちが買い漁って、スーパーの売り場からバナナが消えるっていう」


「そう、そういうことよ。食べる健康法は精神的にも肉体的にも楽だから、つらい思いをせずに健康になりたい人たちが簡単に釣れるの。それが本当に効果的かどうかは別としてね」

「やせたいのに食べるっていうのは、矛盾してるよな」


「食べ過ぎをやめよう、添加物をとらないようにしよう。そうした、いわば『食べない』健康法は、食べる健康法と比べて一般的ではない。とても大事なことのはずなのに、どうしても軽視されがちなの」

「どうしてだろうね」


「つらいからでしょう。食べるのが好きな人にとって、あれはだめだ、これは食べるな、というのはストレスになるし、空腹状態をガマンするのはなかなかに酷なことだから」

「早弁とか、間食とか。ついつい食べちゃうことってあるよね」


「あとはテレビの影響もあるでしょうね。大食い番組を放送したり、人気の食品や飲食店を紹介することはあっても、食べない健康法に触れることはめったにない」

「やっぱり視聴率の問題じゃないの? 食べない健康法って、ちょっとネガティブな感じもあるし」


「それもあるかもしれないけれど、おそらくはスポンサーへの配慮でしょうね。飲食店や食品加工会社のスポンサーがついているのに、そのイメージを落とすような内容の番組は放送しづらい。つまり、金のためというわけね」

「なるほど。スポンサーの意向というやつ」


「生産者、卸売業者、小売店。さらに食品加工会社や飲食店。食にかかわる人や企業は星の数ほど存在している。そうした食品業界の人たちにしてみれば、食べない健康法は営業妨害でしかないのよね」

「不都合な情報は隠されるってわけか」


「そうね。といっても、どちらが正しいのかはだれにもわからない。定説が覆るなんてことはめずらしくないの。結局のところ、なにを信じるかは個人の自由なのよ」

「判断材料となる情報は多ければ多いほどいい」


「ちなみに、この作品の作者は一日二食でゆるめの菜食主義的食生活を続けているけど、医者とも薬とも無縁の健康体らしいわ」

「ふうん。最後の補足はわりとどうでもいい情報だね。蛇足ってやつ」


 と言って、望は昼食にしようとリュックから弁当箱を取りだしたが、ふたに手をかけたところでその動きをピタリと止めた。


「どうかした? ノゾミくん」

「ちょっと、イヤな予感がしたんだ」


「予言者みたいね」

「未来なんか見えなくても、月子のこれまでの悪行を考えれば十分に予想できるよ」


「悪行とは失礼ね。善行なら積んでいるつもりだけど」

「善行を積む月子の姿なんて、記憶にないし想像もできないね」


 望が手のうえに弁当を乗せて重さを確認する。


「あら、お弁当の量り売りでもはじめるの? めずらしいわね」

「おかしい……思いのほか軽くなってないな。どうせ月子のことだからこっそり盗み食いしておいて『食べない健康法を実践する手助けをしてあげたわ』とかなんとか言ってくると思ったんだけど……」


「うたぐり深いのね」

「だれのせいだよ、まったく」


「だまされやすいよりはいいでしょう?」


 月子のふてぶてしい態度にあきれつつ、望はあらためて弁当箱のふたに手をかけ、ぱかっとあけた。


「うわああ!」


 叫び声をあげる望。驚きのあまりふたを取り落としてしまった。


「さわがしいわ、ノゾミくん」

「だれのせいだ! なんだよ、これは!」


 怒りをあらわにした望は月子に弁当を突きつける。そのなかにはバッタのような物体がびっしりと敷きつめられていた。


「イナゴの佃煮よ」

「そういうことを聞いてるんじゃあない」


「ノゾミくんが食糧危機を乗り切れるように手助けしてあげようと思って」

「人類を救うのはK食じゃなくて軽食じゃなかったのか?」


「備えあれば憂いなし」

「じゃあおまえが食え」


「イヤよ。気持ちわるい」

「ふざけんな!」


 またひとつ悪行を積んだ月子。はたして、望に平穏なお昼休みが訪れる日はやって来るのだろうか。

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