歯のおはなし

「自分の歯が自分のからだの一部ではないような気がする。そんな風に感じたことはないかしら、ノゾミ君」

「その若さですでに入れ歯とはね。同情するよ」

「わたしのからだはね、髪の毛一本から魅惑のバストまで、すべて天然モノなのよ。養殖モノといっしょにしないでちょうだい」

 月子は胸を張り、いたずらっぽい笑みを浮かべる。

「疑うのなら、試してみてもいいのよ?」

「なにをだよ」

 望は視線をそらして言った。


 昼休みの教室での一幕。ごくふつうの高校生ふたりによる、ありふれた会話である。


「それで、歯がどうしたって?」

「歯とは不思議なものよ。爪は切っても切っても伸びてくるし、骨は折れてもまたつながるでしょう? それなのに歯は自然には治らない。割れたらそのままだし、永久歯が抜けたら二度と新しいのは生えてこない」

「そう言われると、たしかにそうだね。最初期の虫歯は自然治癒することもあるらしいけど、一度進行したら治療しないと治らないって聞くし」

「そうでしょう」

「でも、からだの一部じゃないっていうのは、あんまりピンとこないかな」

「ふぅん、手ごわいわね」

 月子は自分の机に右ヒジをつき、手のひらを頬にあてて考え込んだ。


「それならこれはどう? 歯の治療を考えてみて。ドリルで削ったり、人工物を挿し込んだりするのよ。これは生身のからだの治療というより、もはや機械の修理に近いのではないか、とわたしは思うの」

「SFっぽいかも」

「そうね。いまの時代、火星移住だとか人間を超えるAIだとか、SF小説が現実になろうとしている。でもわたしには、そんなスケールの大きい話よりも、歯科医のほうがよっぽどSFっぽく感じられるわ。実験体に改造手術を施す、ドリルを手にしたマッドサイエンティストのよう」

「ずいぶんな偏見だな。歯医者が怖くて駄々をこねる子どもみたいだぞ」

 そう言って望は笑ったが、月子はなにも言わずに視線をそらした。


「まさかとは思うけど、図星なのか? めずらしく動揺してるけど」

「動揺? それはやましい気持ちのある人がすることでしょう。どうしてわたしが動揺しないといけないのかしら?」

 と、左に首をかしげた月子は、そのままお茶を一口飲んだ。

「──なあ、月子。さっきから右側をかばってない?」

「さあ、なんのことかわからないわね」

 月子はそっぽを向いた。


「だったらお茶を口に含んで頭を右に傾けてみ。なんともないならできるよね?」

「……そんなことをしたらシミて悶絶してしまうわ。ノゾミ君、キミはまるで、虫歯菌のように鬼畜な男ね」

「そんな罵倒、はじめて聞いたな。そこはせめて鬼とか悪魔にしといてくれよ」

「鬼? 悪魔? そんなもの、虫歯菌に比べたらかわいいものよ。虫歯菌は生活のすべてを狂わせる。昼も夜も関係ない。盆も正月もない。年中無休、二十四時間営業で宿主を苦しませる。鬼や悪魔に、こんな鬼畜の所業ができて?」

「いや、まあ、どうだろうね……鬼も悪魔も見たことないからわからないけど……」

 鬼気迫る月子の勢いに、望は圧倒された。


「とにかく、はやく歯医者にいったらどうだ? 虫歯は早期発見、早期治療が有効だっていうからね」

「まだ虫歯と決まったわけではないわ」

「は? だってさっき──」

「わたしはシミると言っただけで、知覚過敏の可能性だって残っているのよ」

「あの熱い語りはなんだったのか……」

 望はげんなりしてイスの背にもたれかかった。


「ちょっとばかり冷たいものがシミて痛いなあ。その程度のものだから、まだ証拠不十分といったところね」

「十分な状況証拠だと思うけどね。というかさっき悶絶するとか言ってなかった?」

「言葉の綾というものよ。わたしは虫歯ではない。断固として容疑を否認するわ」

「しかたない、これだけは使いたくなかったけど……」

 望は、ポケットから小さくて四角いものを取り出して、月子に手渡した。


「こ、これはまさか……虫歯治療の大敵、キャラメル……! 歯の詰め物がとれる原因ナンバーワンの危険物──月子の個人的見解──を渡すとは、やはり鬼畜ね」

「歯が健康な人にとっては、ただのおいしいお菓子にすぎないよ。さあ、どうする?」

「くっ……キャラメルを踏絵に使おうなんて、キャラメルの神様に謝りなさい」

「それは違うよ。歯のなかに穴でもあいてない限り、どうってことないはずだろう? まあ、無理に食べずに歯医者にいったほうがいいと思うよ」

「……いいわ、望むところよ」

 ままよ、と月子はキャラメルを口に放り込み、かみはじめた。


「おいおい、無理しないほうがいいんじゃないか?」

「なんだ、たいしたことないわね──」

 ガリッ、というキャラメルとは思えない音が聞こえ、月子の動きがとまった。青ざめた顔は能面のようにピクリとも動かない。

「月子、いまの音は、まさか──」

 月子はキャラメルにくっついた硬いものを恐るおそる取り出してみる。その指には小さな白いかたまりがつままれていた。欠けた歯のかけらだった。


「決定的な物的証拠が出たな。いいかげんに自白して、楽になったらどうだ?」

「わたし、生まれ変わったらサメになるの。サメの歯は何度も生え変わるのよ。生まれ変わると生え変わるって、漢字で書くとなんだか似てるわ。うふふ……」

「現実逃避なんかしてないで、さっさと歯医者にいきなさい」

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