月子とノゾミ

椎菜田くと

真実のクッキー

「おはよう、ノゾミ君。クッキーを焼いてきたの。食べてちょうだい」

 リボンの巻かれたかわいらしい包みを持った月子が、登校してきて自分の席についたばかりの望に話しかけた。

「へえ、めずらしいね。調理実習でもあった?」

「家庭科の調理実習で焼いたクッキーを意中の男子に手渡してキャーキャーするなんて、そんな冗談は昔のラブコメのなかだけにしてほしいわ。この作品にラブはないの。それと、まだ早朝だから」

「やけにじょうぜつじゃないか。急にどうしたの? 今日はバレンタインでもぼくの誕生日でもないけど」


「そうね……ある日突然、女子力に目覚めたとか?」

「超能力者みたいだな。ど……味見はした?」

「いま毒見と言おうとしたことは見逃してあげるから、四の五の言わず食べなさい。これ以上引き延ばそうとしても無駄よ。授業はまだまだはじまらないから」

「わかったわかった。見た目はおいしそうだし、大丈夫か」

 月子がクッキーの入った包みの口をあけ、望に差しだした。観念した彼は一枚つまんで口のなかに放り込む。


「どう、おいしい?」

「──うん、いいんじゃないかな」

「はっきり答えて」

「まあ、おいしいよ……」

「はぁ……キミには大いに失望させられたよ、ノゾミ君。キミは違うと思っていたのに」

 月子は大きなため息をついて首を横に振った。


「え、なんで? 言われたとおり食べて感想を言ったのに……」

「その感想に問題があったの」

「おいしいと言われて失望する料理人がいるなんて話、聞いたことないけど」

「本当においしかった?」

「えっ?」と、意外な質問に戸惑う望。

「正直に言いなさい。怒らないから」

 月子はいたずらした子どもを諭すように言った。


「────すごくしょっぱかった。リアルに砂糖と塩を間違える人がいるとはね。そんな冗談、マンガのなかだけにしてほしいよ」

「間違えたわけじゃないわ。そうなるように作ったのだから」

「まさかとは思うけど、わざと大量に塩を入れたってこと?」

「そうよ」

「こいつ、殴りてえ……」

 悪びれなく平然と言ってのける月子。望はギュッと握りしめた右の拳を左手でつかみ、校内暴力沙汰に発展するのをなんとか阻止した。


「落ち着きなさい。暴力はなにも生まないわ」

「元凶がよく言うよ」

「ちゃんと理由があるの」

「この極悪非道な行いの理由ね……嫌がらせ以外にないな」

「違うわ。そんなくだらない理由で、わたしがクッキー作りなんて面倒なことをわざわざすると思う?」

「してもおかしくはないと思う」

「心外だわ。ノゾミ君にそんな風に思われていたなんて。泣いちゃおうかしら」

 月子はわざとらしく泣きまねをして見せた。


「泣きたいのはこっちだよ。それで、どんな高尚な理由があるって?」

「このクッキーで人間の本性を暴き立てるのよ」

「は?」

 望の口があいたままふさがらなくなった。月子はその開きっぱなしの口に例のクッキーを突っ込んだ。


「ぶはっ、しょっぱ! 脈絡のないことをするんじゃない」

「締まりのない口をもどしてあげようと思ったのだけど、迷惑だったみたいね」

「当たり前だろ。月子も食べてみればわかるよ、このクッキーの凶悪さが」

「マズいとわかってて食べるほど、わたしはマヌケじゃないわ」

「こいつ……」

 望はいまにも抜かれようとする拳をなんとか鞘に収めることに成功した。


「ふぅ──で、本性がどうしたって?」

「ノゾミ君、もらった手作りクッキーがマズかったとき、嘘でもおいしいと言うのにはどういう意図があると思う?」

「またいきなりだな。相手を傷つけないようにしよう、という優しさだろうね」

「それは本当に優しさと言えるかしら」

「どういうこと?」

 望は頭の上にはてなマークを浮かべた。


「おいしいと嘘をついた場合、そのあとどうなるかを想像してみなさい。作った人は、実はクッキーがマズいということを知らずに、他の人にも渡すかもしれない。そうすると、マズいクッキーを食べさせられる犠牲者が増え、作った人は多くの恥をかくことになるわ」

「言われてみれば、たしかに」


「はじめに食べた人が指摘していたなら、犠牲者は最小限に抑えられ、作った人もいらぬ恥をかかなくて済む。失敗は成功の母と言うように、つぎの機会に生かすこともできるわ。つまり、おいしいと嘘をつくことはだれの得にもならない。『ぼくってば、なんて思いやりのある優しい人間なんだ』と、自己満足に浸っているだけのナルシストなのよ」

「そのセリフを言ってるのは、まさかぼくなのか?」

「このクッキーは、多くの人が気づいていないだけで確かに存在している、心の内に隠れたズルく汚いものを照らし出すの」 


「なるほど、月子の言うとおりかもしれない」望はうなずいた。「でもそれはそれ、これはこれ。罪はちゃんと償ってもらわないとね。弁解があるなら聞いてあげよう」

「犠牲はつきものよ」

「自らの悪逆無道な行いに対し、反省の様子が見受けられないことから、被告に掃除肩代わり二週間の有罪判決を言い渡す」

 望は自分の机をコンコンと叩いた。


「執行猶予があってもいいんじゃないかしら」

「情状酌量の余地なし」

「控訴します」

「棄却」

「そんな殺生な……袖の下をあげるから許してちょうだい」

「わいろになるか、そんなもの。責任もって自分で食べなよ。いまの時代、コンプラがどうとかうるさいからね」


「ノゾミ君のいけず……」

 月子は件のクッキーをしぶしぶ口に運んだ。

「──涙の味がするわ」

「自分でまいた塩だろう。同情の余地なし」

 その後、残りのクッキーを食べ切ったことで、月子は恩赦をうけた。

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