トモワヅライ
遠山李衣
トモワヅライ
「深雪にとって私は何だったの? 私がやったことは深雪にとって迷惑だったの……?」
電話越しに紗花は子どものように泣きじゃくった。深雪のためだけを想ってきた紗花の三ヶ月は一体何だったのだろう。
いつになく弱々しい紗花の嗚咽を聞きながら、私は途方に暮れていた――。
最初に言っておこう。これはSNS上で起きた人間関係の話だ。
私が紗花と仲良くなったのは、五月の末だった。昨年の九月には知り合ってはいたけれど、それまでは共通の友人の部屋で偶に遭遇するくらいだった。
「舞てぃん省吾と仲良いから、喧嘩しちゃった身としてはなかなか絡みづらくて」
「いやいや省吾くんと仲が悪いことと、紗花と私が仲良くすることは関係ないじゃん。そんなこと気にしないで遊ぼ」
「ありがとう~」
紗花が前につるんでいたグループで揉めたリーダーと私が仲良かっただけに、私と話すことにさえ躊躇いがあったらしい。ユーモアに富んだ紗花と話すのはとても楽しくて、一回りも歳が離れているにもかかわらず、すぐに一日一二時間通話するくらいの仲になった。
「実はずっと言えなかったけど、私勇兒さんのこと苦手なんだよね」
それだけ毎日長く話していたら、当然知り合いの愚痴を話すようになる。本人に晒されるかもしれないことは考えない。ただ同年代の少女と話すように、危うい話を共有したかったのだ。
「え、私もなんだけど。なんでなんで?」
「何の前触れもなく急に長文カカオ送りつけてくるの、『お前いい加減にしろよ』から始まって、他の人は忙しい中ちゃんとしてるのにふざけるなみたいな。私が悪いからあんまり言えんけど、もっと理性的に言うことはできなかったのかなと思って。確かに学生で暇だと思われてるのかもしれないけど、私にとってコミュニティはそこだけじゃないから。とにかく怖くてカカオブロックする直前だった」
「それで全部終わってから『強く言い過ぎた、ごめんな』って言うんでしょ」
「わかるんだ」
「勇兒はいつもそうだもん、とにかく直情型、いつも感情に任せて怒鳴りつけて後で謝って帳尻合わせてくるんだ」
「勇兒さんって三八だよね、どこのDV夫よ」
「間違いない」
紗花は、チャームポイントの翠色の眸をきらきらさせて笑った。今思えば二人で愚痴言い合って笑っているうちが華だったのかもしれない。ある日、勇兒と不倫関係にある奈穂の親友・深雪も同じく彼に疑問を抱いているとその中に加わった。いや、紗花と深雪の友情に私が加わった、という方が正しいのかもしれない。
「深雪は奈穂たんの親友じゃん。いいの? 私たちと仲良くしてて」
「奈穂? 私、一度も親友だなんて思ったことないよ」
深雪はそう言ってころころ笑った。ただでさえ細い目が、一層一本の線を描く。二年以上親友と奈穂が言っている側で、深雪は微塵も同じようには思っていなかったのだ。
私たちはその時点で気づくべきだったのだ。この友情が紛い物であることに。
私たちは三人で集まると、勇兒たちの話を肴に盛り上がった。二二歳・三一歳・三四歳と歳の全く違う者グループだったけれど、馬鹿話する姿はアミュプラザのフードコートでお喋りする女子高生とそう変わらない。
「今日な、奈穂の誕生日やったんやけどな、早く紗花と話したくてすぐに帰ってきたわ」
「今私の心を占めてるのは八割紗花、一割五分奈穂、五分その他やよ」
「ふたりで一緒に夢叶えような」
深雪の紗花への愛情表現は並大抵ではなかった。結婚はしているが子どもはいない、煙草が大好き、撮る写真のアングルが同じ……共通点を挙げればキリがなく、ロマンチストの紗花がきっと自分たちは前世で何か縁があったに違いないと考えるまでそう時間はかからなかった。二人で行った占い師に「あんたたち前世双子だったんだよ」と言われ、紗花はいよいよ深雪との運命を信じ、深雪にのめり込むようになっていった。
「そこまで深雪たんに赤裸々に話していいの? 紗花しかいないとは言ってるけど、実際奈穂たんの親友だよ。一番裏切る可能性があるのは深雪たんで、メッセージをスクショでもされたら傷つけられるのは紗花の方だよ」
そう一度紗花に忠告したけど、「一番リスクがあるのはわかってる。だけど、ここで深雪を信じられなくて何も言えなかったら、本当の運命の双子じゃないから」と笑って一蹴されてしまえば、もう私に言えることは何もなかった。頭で思い描いた最悪のシナリオが現実にならないことをただただ願うばかりだった。
深雪が金欠だと言えば「電車賃だけ握りしめておいで、私が全部出すから」とお金を注ぎ込み、深雪が紗花に予定が入っていなければ会えたのになと言えば全ての予定をキャンセルし、深雪との時間を作った。まさに深雪中心に紗花の世界は回っていた。
だが、前世が双子だからといって、今世は双子ではない。深雪には本人は思っていなくても、公然の親友として奈穂がいたし、ふたりとも夫がいてそれぞれの生活があった。比較的自由に過ごせる紗花は、必然的に学生の私と過ごす時間が多くなっていった。
そのうち深雪が不可解な行動を起こすことが増えていった。紗花とのお揃いのアイコンやプロフィールを変えたり、紗花に送っていたメッセージを全部消したり。何の兆しも相談もない不可解な彼女の行動に、紗花も私も困惑せずにはいられなかった。
『深雪、なんでこんなことするの?』
『それは……私にもわからない』
深雪は自分の行動の理由を説明できなかった。彼女は年齢にしては精神が幼く、自分が一番の存在でなければ我慢できなかった。紗花が私と行動することが増えたことに嫉妬していたのだ。
私は紗花が深雪のことを一番に考え行動していたことを知っていただけに、それを理解せずに勝手な行動ばかりする深雪に次第に苛立ちを募らせるようになった。その気持ちを彼女に伝えたところ、『勝手に嫉妬して、勝手に変なことばかりしてごめんね』と一見理解したかのように見えた。三人で話し合い、打開策を見つけようと試行錯誤した。
それでも彼女は変わらなかった。『今まで勝手なことばかりでごめんね。一度ひとりで考えたいです』再会を約束して、彼女は私たちの元を去って行った。紗花はずっと泣きじゃくっていたけれど、確かに平和なサヨナラだった。二日後に深雪の姿を見て、もう大丈夫そうだと安心さえしていたのだ。
「お前ら、俺たちの仲間になにしてくれとんじゃあ!」
だから、そうやっていきなり怒鳴りつけられた時、何が起こったか全く理解できなかった。
「お前らがやったことはな、結局は自分のことなんよ。深雪ちゃんのことひとつも考えてない」
紗花が深雪のことを全く考えていない? そんなはずはない。私はその言い草にあり得ないと首を振ったが、深雪の仲間のひとり、嵐士は私たちをこき下ろすことに一生懸命だった。
「お前たち、『小さな親切、大きなお世話』って言葉を知っているか? まさにそれなんや。『小さな親切、大きなお世話』や。いいか、『小さな親切、大きなお世話』やぞ」
幼子が覚えたばかりの言葉を説明するかのような稚拙さだった。だのに、勇兒と奈穂も嵐士の言う通りだと、何度も頷く。
「私たちが深雪に何をしたの?」
「お前らは卑怯にも二対一になって深雪ちゃんを虐めて傷つけたんや」
今の三対二の状況は良いのだろうか。
「違うよ、これは私と深雪のふたりの問題だよ。舞てぃんは間に入っていてくれてただけ!」
「あのな、結果が全てなんよ。お前らは深雪ちゃんを虐めた。それが結果や」
紗花が説明しても、取り付く島もない。彼らの中では『私と紗花が深雪を虐めた』という構図が出来上がっていた。初めの怒鳴り声の時点で薄々気づいてはいたけれど、これは話し合いでも何でもない。自分たちの仲間を「傷つけた」者たちへの断罪であり、リンチだ。
「深雪ちゃんはな、とっても優しい子なんや。お前らに傷つけられて誰にも言えずに一人で苦しんどったんや。落ちるところまで落ちた深雪ちゃんが最後に助けを求めたのはお前らやない、奈穂ちゃんや。お前らのことを深雪ちゃんは一個も信じてなかったんや」
嵐士の中の深雪像は聖女のようだった。自分たちが守らなければ彼女が穢される、そう信じて疑わない様子は、純真無垢で女神を崇めたてる信徒と変わらなかった。
「深雪ちゃんはな、傷つき苦しんでいるのに『私が悪いの、二人を責めないで』って言ってたんやぞ。この優しさを前にお前らは何も思わんのか?」
嵐士の中で、いや、リンチ組の中で私たちはどこまでも鉄槌を下すべき悪者だった。真っ白と真っ黒。絶対正義と絶対悪。
「まあ、いつか自分らがどれだけ最低なことをしたか気づく日が来るやろ。今回のことはいい勉強になったんとちゃう?」
嵐士は言いたいことだけ言って満足したのか、とりあえず、とまとめにかかった。
「今回の件ばかりはどうしてもお前らを赦せん。お前らとはこれで縁を切らせてもらうわ」
「そうやな、俺ももう無理やわ」
勇兒も後に続く。そして終始黙ったままだった奈穂に目を遣る。
「奈穂、お前も最後に何か言うことはないか」
「うん……。舞ちゃん、わかった?」
三ヶ月とは言え、親友を奪った形になった紗花には目もくれず、ただ私にそう言った。
正直こうして振り返っている今もなお、私たちのどの言動がどれくらい深雪を傷つけたのかわかっていない。ただ、わからないと食い下がったところで、状況が変わらないことだけは確かだった。
「うん、わかった。今までありがとう」
「奈穂ももう無理やから。じゃあね」
嵐士も奈穂も居なくなった後、一番付き合いの長い紗花と勇兒は積もる話があると残る。
翌日、例の如く『昨日はいきなり怒鳴りつけてごめんな』とカカオが来た。一日考えても納得できない、けれどこの状況を今更ひっくり返す気はさらさらない、と伝える。『俺は深雪の言い分が全てではないだろうし、むしろ盛っているだろうと思っていた。でも、奈穂に全て任せると決めたから』この文章を見たとき、笑いが止まらなかった。勇兒だって盲目的に深雪を信じているわけではなかったのだ。感情に任せて怒鳴りつけ、違和感に蓋を閉じて奈穂に忖度しただけだった。
最早彼らに何の未練もなかった。第二の紗花を生み出さないよう、深雪の手綱をしっかり握っておくよう念を押した。
彼らとの縁が切れることでリンチは終わった。そう思っていた。
冒頭のように紗花が深夜四時まで泣きじゃくった日から二週間。紗花からぱったり電話が来なくなった。私は就活が終わってその報告をしようと電話をかけても一切出ない。その代わりラインのテキストが歓喜を伝えていた。おかしいと思いながらも、紗花の声の調子が悪いという言葉に深く言及することはなかった。
そんなある日、紗花の友人から連絡が来た。
『瑠未です、紗花ちんのことでお話があります。今お話しできますか』
紗花は声を失っていた。いつ声が戻ってくるかわからない。明日か一ヶ月後か、一年後か、それとも一生か……。終わりの見えない苦しみと、ひとり闘っていた。後に声を取り戻した紗花は、起きたらまた声が出なくなっているのではないかと、今でも朝が来るのが怖いと語る。
「お喋り大魔王の紗花ちんの声が出なくなるだなんて、耐えられない。紗花ちんはきっと、声を取り戻したらまず、深雪さんへの復讐を考えると思うんです。私も赦せない。紗花ちんを泣かせたあいつらを、私は赦さない」
瑠未の眸は復讐の炎に燃えていた。怒りの連鎖が、続いていく。
瑠未の予想通り、復活後紗花がまず考えたのは、診断書を手に入れることだった。診断書を手に入れるだけで五千円かかる。かつて深雪の心を繋ぎとめるために使ったお金を、今度は追い詰めるために使おうとしていた。
法廷で闘えば紗花は確かに勝てるかもしれない。でも、そのためにお金や時間、もう一度苦しい思いをするだけの価値が果たして、深雪に、勇兒に、奈穂に、嵐士にあるだろうか。
正直に言えば、私も知りたい。深雪は何故紗花に近づいたのか。彼女の行動の意図は何か。紗花の何が深雪の癪に障り、リンチをさせたのか。自分だけ安全なところで自分より若い者に手を下させることに躊躇いを持たなかったのか。美人局のような真似をしてまで紗花の全てを奪いたかったのか。深雪に関してだけではない。俯瞰すべきグループのリーダーという地位にありながら、直情的に見境なく鉄槌を下す勇兒の行為に、本当に正義はあったのか。ただ不倫相手の奈穂のご機嫌取りのためではないのか。全く一連に関係しない女々しい金魚の糞でしかない嵐士に、他人を断罪する権利はあるのか。数え上げればキリがない。
「あいつらはなァ、全部自分らだけが正しいって思ってるからなァ。それに気づいた人は皆、距離を取ってるもんなァ。誰かが体張って教えてあげないと、一生気づくことはないやろなァ」
彼らの友人は諦観したように苦笑して足元を見つめた。
紗花はその話を聞き、一層その役目を果たせるのは自分しかいない、と自らを追い詰める。
私は翠の眸を再び曇らせたくはなかった。
「瑠未さん、私、紗花を復讐の道に進ませたくない」
意を決して瑠未に伝えることにした。瑠未はちらりと私に眸を向け、続きを促した。
「紗花は遊ぶことに全力で、楽しいことのためなら何をするにもきらきらしていて。あの人たちのやり方は私も赦せないし、復讐を止めることは間違っているのかもしれない。でも、それはあの人たちの更生を促すためでしょう? 紗花がそこまで面倒を見てあげる義理はないと思うの。
深雪は紗花から声を奪うために、未来を奪うためにここまでした。紗花に私しか居なかったら、今でも紗花は声を取り戻すことはできなかったと思う。それは瑠未さんを始め、紗花を想う暖かい人が周りに溢れていたからだと思うの。
紗花が深雪の意図に反して幸せになることこそ、あの人たちへの復讐になるんじゃないかな。私は紗花の笑顔を失いたくないの」
瑠未は暫く反駁した後頷いた。
「そうだね、一度きりの人生、私も紗花ちんには幸せであってほしい」
瑠未の笑顔を見たのはいつぶりだろうか。復讐の色が消えた瑠未の眸は青空のように美しく澄み渡っていた。
人生百年時代。紗花はこれから沢山の人に出会う。これまでのように、人を信じ裏切られ、ぼろぼろに傷ついてきてもなお、懲りずに彼女は人を信じ続けることだろう。
それでも仕方ないなあと笑いながら見守るのだ。紗花の生き様を――。
―― おわり ――
トモワヅライ 遠山李衣 @Toyamarii
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